「もう、効かないっ!」
「対魔力でなく、術式の崩壊!? 親が強力といえ、ヴァンパイアにそんな事が――」
両肩の黒鍵を消すとともに、聖書の効力で抑えつけられていた弓塚の力が元に戻る。
代行者に真正面から、勝負を再開した。
「トゥレ、トロワ……串刺しに、なりなさい!」
黒鍵・大終節。計二十九本の剣を続けて投擲する、シエルの必殺技。
それを弓塚は避けず、右手を振るい迎撃する。
「邪魔っ!」
腕を払い、目前に迫る剣から次々に消してゆく。
黒鍵を掴む必要はない。
弓塚の右手に触れた瞬間、黒鍵を構成していた魔力は崩れ、刃は消滅する。
身体のポテンシャルが高い弓塚に取って、飛来する二十九の剣を迎撃するのは簡単な事。
今までは触れる事のできないものであったため、全力を出し切れなかっただけ。
感応能力を上乗せした弓塚に、右手だけとはいえ、枯渇庭園の能力を引き出したこの状態。
加えて、弓塚の読んでいた漫画の主人公と違い、右手との相性は抜群に良い。
(……いける!)
俺も倒れている場合じゃない。
感応能力の術者である琥珀を守りながら、早急に決めの一手を考える。
「―――聞け、弓塚っ!」
牽制の棒手裏剣は投げられない。
琥珀の近くにいるため目標が遠く、何より二人とも動きが早い。
本来の動きに戻った弓塚に対し、シエルも肉体強化の魔術を重ねがけしていると思える程の速さ。
半端な俺では、動きが追えないのだ。
だから、叫ぶ。
シエルに聞かれても構わない。
今はいかに早くシエルを詰みの状態まで持っていけるかが重要。
慎重さよりも、弓塚の勢いに賭けた。
「シエルの法衣を触れ! それも魔術だ!」
その言葉に反応する両者。
シエルは驚愕に、弓塚はその隙を逃さず一息に距離を無くす。
「―――っ、させません!」
言葉の意図に気付いたシエルは、コンクリートに黒鍵を突き立て、地面を高速で走らせる。
それらは交互に線を交わし、簡易であるが結界を形成しながら弓塚を取り囲んだ。
「同じ手にはやられない!」
足元に浮かぶ魔方陣に右手を付け、効力を発動する前に結界を打ち消す。
能力の扱いに迷いがない、早くも使いこなしている様に味方の俺も戦慄するほど、その姿は頼もしい。
だが、シエルに取って今のは弓塚に一瞬の隙を作らせるもの。
空を見上げる。
シエルは月を背に、必殺の構えを。
黒鍵を投擲する最高の間合い、威力、速さを兼ね備えた場所を位置取り、渾身の攻め手で勝負に出る。
「真上だ、弓塚っ!!」
<さつきside>
「い、いつの間に!?」
アキ君の声で上空へと意識を向ける。
魔方陣に気を取られていた瞬間、絶好の間合いにつかれた。
「―――主よ、この不浄を清めたまえ!!」
さっきの一斉投擲よりさらに数を増した黒鍵が降りそそぐ。
四つ、八つ、十二と右手を高速に薙ぎ払い、迫りくる刃を無効化する。
その時に感じる違和感。
(手が、熱いっ)
今までの黒鍵より込められている魔力量が多く、ダメージが手に残る。
枯渇するまでの一瞬にさらにほんの一瞬、時間がかかるだけ。
だから。すぐには気付かれない。
(この弱点がバレる前に、終わらせなきゃ!)
痛みは抑え込む。絶対、表情になんて出さないように。
代行者さんは持てる最大限の黒鍵を両手に、腕を翼のように大きく広げ、
(いまっ!)
全身で弓のように力をためて黒鍵が放たれた、と同時にわたしも跳び出す。
これは多分、代行者さんの本気。
右手で迎撃しきれない剣がわたしの身体を傷つけ、貫く。
痛いけど、止まらない。致命傷には至らない。
全身守るのは無理でも、箇所を絞っての迎撃なら突破できないなんて事はない。
「なっ、この技を抜けた!?」
「―――これが、わたしの一撃っ!」
アキ君に言われた相手の法衣、胴体に拳を突き出す。
その先を交差された黒鍵が阻んだ。
この構図は一度あった。
さっきはわたしが負けたけど……
「その先まで、打ち砕く!」
放った右手に触れた瞬間、幻想のように消える黒鍵。
勢いは無くさない。
法衣ごと、ボディに拳を捻じ込み、思いっきり振り切った!
<side out>
「よしっ、やった!」
上空での一騎打ちにて、弓塚がシエルの法衣に右手を叩きこんだ。
あの法衣は第七聖典を変化させたもの。
形状を変えるためには術式を打ち込まなければならない。そして、その術式を崩壊さしたらどうなるか。
もちろん、法衣は第七聖典に戻る。強制的に。
シエルのメイン武装である黒鍵は法衣の下。
法衣が無くなれば、黒鍵の保管場所も消えてしまう。
よって、今まで戦闘スタイルが失われる事になる。
変化はすぐ、空中で起きた。
法衣を構成していた術式を打ち消され、パイルバンカーの姿へ。
宙に散らばるのは大量の聖書の頁と剣の柄。
落下するそれらは掴めず、シエルは第七聖典を抱え、着地した。
「アキ君、これって……」
「まぁ、魔術を使えば物の形を変えるのも、持ち運ぶのも便利になるって事だ」
隣に着地した弓塚は、触れた結果に驚いている。
実行したのは弓塚だが、命令したのはこちらだ。
その意図を説明していないのだから仕方ないか。
「アキさん、でもこの状況は」
「あぁ、何にしても……」
シエルへと目を向ける。
原作で見た完全武装と同じ格好。
破壊力はあるだろう。原作で志貴をロアの魂ごと滅ぼそうとしたぐらいだ。
だが、あれでは弓塚と戦えない。
第七聖典を右手で消す事はできないが、それ以前にあんな大物で弓塚を捕えるのは不可能だ。
その証拠として、シエルの顔は不利な形勢を悟ってか険しくなっている。
魔術もほとんどが弓塚には通用しない。
通るとすれば催眠系か身体強化。しかし前者はおそらく発動条件が厳しい。
後者も接近時に触れられたら一瞬で無効化されるし、強化したところで格闘メインの弓塚には追いつけない。
……勝敗は決した。
弓塚にとって、もうシエルは脅威でなくなったのだから。
「あとは時間が来るまで、シエルを通さなければ終了だな」
「……待って、アキ君」
収まらない威圧感に、振り向いた。
弓塚の眼は、まだ紅い。
「わがままなのはわかってる。
まだ危険はあるし、ほんとは安全にやり過ごしたいけど……」
拳は固く握ったまま、弓塚は一歩、前に出る。
「わたし、あの人と決着をつけたい。気持ち、はっきり言っておきたいから」
「弓塚……」
シエルを見つめ続けるその視線に、並みならぬ決意が見て取れた。
……止められる雰囲気ではない。
シエルに脅威はもう無いが、その手には第七聖典がある。
こちらからその射程に入っていけば、万が一の可能性も捨てきれない。
迷って、琥珀の方へ顔を向ける。
琥珀はいつも通り、任せますという顔で……じゃなくて、
「さっちゃんの好きにさせてあげましょう、アキさん」
「……珍しい。何かあった?」
返ってくるのは微笑み。
何と言うか、琥珀にそう言われてしまっては、さらに止められなくなった。
……仕方ないな。
「その代わり弓塚! 死んだりでもしたら一生メイドだからな、覚えとけよ!」
「……アキ君、それギャグのつもり?」
反応に困った弓塚に見つめられる。
……リラックスさせようとしたんだから、気を利かせて笑っとけよ、馬鹿野郎。
「いいから、早くいってくれ」
苦笑して、弓塚は駆けだした。
遠くから、校舎の崩れる轟音が響く。
志貴の方はそろそろ終わる。こっちも……これで決着だ。
突き貫こうと襲いかかる第七聖典。
弓塚はその先端を左腕で外側へ弾き、叫ぶ。
「―――わたしはずっと、この街で密かに暮らします!」
がら空きになったシエルの懐に潜り込む。
「迷惑かけないよう、琥珀ちゃんは輸血パックを用意してくれる!」
腹に拳が突き刺され、シエルは第七聖典を地に落とす。
「もしわたしが暴走したら、一分だけでも頑張って抑えます!」
くの字に折れ曲がったシエルの身体。
ガードの無い顔面に勢いつけた左の拳を。
「その間に、アキ君がわたしを殺してくれる!」
……そんな事を決めた覚えは全く無いが。
「だから、二人の笑顔はわたしが守る!
自分勝手だけど、狭い世界だけど―――それがわたしの幸福です!!」
反動をつけ、右の拳を顔面に。
それを繰り返す。左、右、左、右と身体を高速で揺らし、顔面へ拳を叩きこむ。
∞の字を描いたその情景。何かデジャヴュを感じる。
「もし、それを奪うのなら―――」
弓塚の髪が大きく後ろへ流れた。
縛っていたゴムは弾け、茶色の髪が宙へ広がり、
長髪をなびかせながら、弓塚はシエルの頭部を掴み、地面へと打ち下す!
「……わたしは、何度でも代行者さんを殺します」
動かない代行者を見下ろし、静かに最後の言葉を呟いた。
……これで終いだ。
立ち上がる様子のないシエル。崩れた校舎。もう、やるべき事はない。
「退くぞ、弓塚!」
「……うん」
声をかけると、弓塚は跳躍してこちらへ戻った。
隣に降りた時に目が合う。
「アキ君、琥珀ちゃん……ありがとうね」
そしていきなり、お礼を言った。
まるで、今までの憑き物が落ちたように晴れ晴れとした笑顔で。
……多分、魔がさしたのだろう。
服も身体もボロボロで、お世辞にも綺麗なんて言えないはずなのに……、
満面の笑みを浮かべてこっちを見る弓塚は、とても美しかったのだ。
◇
「……はぁ、眠い」
戦闘を終えた後、前日までの下宿先でなく有間の家へ戻った。
時刻はとうに零時を回っている。
そのため、琥珀と弓塚は先に部屋へ戻らせ俺だけ外、玄関の前で志貴を待っていた。
「……やっと来たか」
「―――アキ」
姿を現す志貴。
こちらを呆けた顔で見て、しばらくして溜息を吐いた。
「心配したよ、もう。現場に行ってみたら荒れ放題、血痕もたくさんあったし」
「ん、代行者は倒れてなかった?」
「いなかったけど……倒したの?」
「まぁ、何とか」
いないという事は、こちらが撤退したすぐ後にその場から去ったのか……。
気絶しているかと思ってたが、そうなると弓塚の言葉はちゃんと最後まで聞こえていたのかもな。
「そういえば、真祖の姫さんは?」
「……アルクェイドは、途中で力尽きたよ」
半ば予想していた答え。
辛そうな顔で答えた志貴が、俺にとっては意外だった。
年上嫌いと言っても、人の性格はそれぞれ違う。
青子が苦手として、それをアルクェイドに当てはめる事はできないのだ。
二人の間に、どれ程の思い出があるかわからないが―――
「そうか……悪いな、気がきかなくて」
―――別れに涙する志貴。
頬を伝う涙を見て思う。
時間なんて関係ない。どこの世界でも、こいつらの絆は強いんだ。
運命ってやつだろうか。
誰かと運命で繋がっているなんて、俺なら恥ずかしくて笑ってしまう。
だが、志貴とアルクェイドなら似合っているし、納得だ。
「いいんだ。あいつ、最後は笑っていたから……。
墓も作って埋葬した。これからは、ゆっくり眠れるように」
アルクェイドの事は忘れない。
そう言って胸に手を当て、志貴は目を閉じた。
「……さ、中に入るぞ、志貴。特に今日はしっかりと身体を休めろよ」
「うん……あれ、アキは?」
足を進めない俺に、志貴は立ち止る。
「俺は少し考え事があるからな。先に部屋で寝ててくれ」
「……わかった。アキもあまり遅くならないようにね」
扉を引いた後、何かを思い出したように振り向く志貴。
「アキ……」
「ん、どうした?」
「……年上も、いいもんだね」
目を若干腫らしたまま、笑いながらそう言って、
「―――それじゃ、おやすみ」
扉が閉まる。
「……いい顔するな、志貴の奴」
一人の少年が、魔法使いに刻まれたトラウマを克服した。
これは……アルクェイドの置き土産かな。
◇
「―――で、しばらくしてから部屋に戻ったんだが……なぜ志貴がいない?
琥珀はまだ起きてるし」
「まがりなりにもお世話する立場ですから、アキさんより早く就寝につく事はしませんよ」
静かな声で喋る琥珀。布団にはすでに翡翠がパジャマ姿で眠っていた。
てか寝像悪いな、翡翠。
「有間の方々を起こしてはいけませんから、くれぐれも騒がないで下さいね」
「子供じゃあるまいし……」
「あはっ、そうですね」
「……あれ、今の笑うとこ?」
翡翠に毛布を掛け直しながら、琥珀はさきほどの問いを答える。
「志貴さんは一度、この部屋に来ました」
「だがいないぞ。トイレか?」
「今日は都古ちゃんの寝顔を見ながら寝ると言って、奥の部屋へ向かいました」
「って、おい!」
思わず大声を上げる。
琥珀に人差し指を口に当てられて睨まれるが、いや、今のは突っ込むところだろ。
「……俺の感動を返せ。というか、それ不味くないか?」
「それを言ったら、わたし達がいる事だって驚かせちゃいますよ」
「……た、確かにそうだな」
屋敷が崩れて有間の家に住み移ったのもつかの間、シエルから逃れるために翡翠以外の全員が三日ほどいなくなったのだ。
置き手紙はしておいたが、直接話していないので有間の方からすればいきなりの事。
帰ってくるのもいきなりだから、迷惑極まりない。
それに比べれば、志貴が都古ちゃんの部屋で寝ている事など些細な事なのだろう。
「まぁ、この件はわたしが早く起きて、啓子様に説明すれば大丈夫でしょう」
「すまん、頼んだぞ、琥珀。こっちは魔力使いきって昼まで爆睡してると思うし」
「わかってます。アキさんとさっちゃん、頑張りましたからね」
いや、お前も頑張ったけどな。
……そう言っても、琥珀は謙遜するだろう。
だから言わない。言わず、心に留めておく。
不思議にも、言葉にしない方が伝わる事もあるのだ。
「取りあえず俺も寝るわ。
緊張とけてから、段々と刺された脇腹が痛くなってきてな……」
処置はしてあるが、傷口は見るに堪えない。
さっさと寝ないと、今度は痛みで寝れなくなってしまう。
「明日、ちゃんと病院に行って下さいよ?」
「言われなくとも大丈夫だって。
必死になってこの一週間生き延びたのに、傷口からバイ菌が入って死にましたじゃ笑えない」
何とか命懸けで、本編の終わりまで辿り着いたのだ。
ほんと、寿命が尽きるまで生きなきゃ割に合わん。
「弓塚は? あいつも怪我してただろ」
「さっちゃんはわたしが措置をした後、すぐに寝ました」
「姿が見えないが……もしかして、押入れで寝てるのか?」
「……そこ以外ありませんでしたから」
部屋を見回す。
……どうりで布団が必要以上に出ているわけだ。
翡翠を除いて三つ。明らかに一つ多い。
「有間の方に見つかると、色々と説明できない事がありますし」
「そうだな……そう考えると、早く屋敷を立て直さなきゃな」
と言っても、違う世界の弓塚は路地裏で生活してたりする。
現状の問題のいくつかが解決するまで、後回しでも構わないだろう。
体力的にも精神的にもそろそろ限界なので、さっさと布団に入る。
この気持ち良さ……もう一生入っていたい気分になる。
(現実逃避的な意味で)
数秒で眠気が襲ってくる。この浮遊感、堪らない。
「それで、アキさん」
「―――なぜ話しかけるし」
「そ、そんな怒らないで下さいよ」
うろたえる琥珀。
怒ったつもりはないんだが……ちょっと不機嫌になっただけで。
「もう……お疲れさまでした、って言おうとしたんです。
さっちゃんもそうですけど、アキさんも何か、悩みが解決したんじゃありません?」
「――――顔に出てた?」
「表情に出ていなくとも、わかるものはわかるんですよ」
琥珀は立ち上がり、部屋を出た。
シャワーでも浴びるのだろう。手に着替えを持っていたし。
(悩みが解決した、か……)
暗闇の中で、意識が落ちるまでの間に考える。
琥珀が言ってくれた、お疲れ様。
それは凄く、嬉しかった。
だって、それがこの努力した七年間の結果だから。
(原作とは形が違うけど、それなりのところに収まった……と思いたい)
志貴とやり方は異なっても、琥珀は救えた。
弓塚も、今ある形は幸せだと言ってくれた。
秋葉と翡翠にも見た感じ問題はない。
アルクェイドは……力尽きたって事は死んでしまったのか、眠りについたのか。
……表ルートの方は、保留にしておこう。
だけど、決して悪い状況ではないと思う。
(あとは……そうだ。まだ最後に、大事な仕事が残ってる)
わがまま以外、そいつは何物でもないのだけど。
(原作とかけ離れないよう、駆け回ってここまで進めて……無事に、ロアを滅ぼす事ができた)
この街から脅威は取り除いた。
まだ、ワラキアとかオシリスの砂だとかが残っているが、それまで一年以上ある。対策はおいおい考えていこう。
今度は自分自身の番。
憑依して、未だここに存在し続けている。
本編が終わったら戻るかなとも考えていたが、そんな兆しはやっぱりない。
ずっとここにいるのも悪くないと、今は思っている。
危険もあるけど居心地は良いし、何よりこっちでできた家族をおいてまで戻りたくない。
(元の世界に帰りたいわけじゃない……それでも、こっちに来てやった事は、知識を頼りに原作通り進めただけ)
まだ、自分にできる事はある。
知識は月姫に関するもの以外にもあるのだ。
だから、そうだ。
――――この世界に来た意味を、作らなきゃ。