「……ア、アキ……?」
「…………」
口の中が血と砂でごちゃごちゃ。背中がじくじくと酷く痛む。
志貴が心配して声をかける、がアキは地面に伏したまま、正直立ち上がるのが凄くだるい。
志貴と秋葉を突き飛ばしたまでは良かった。
だが四季の斬撃は避けられず、結果としてアキの背中が十字架の如く切り裂かれた。
志貴は無事だが、自分の代わりとして血まみれとなったアキを見て、さっきまでの勇気を振り絞っている様はもうない。
今は不安と恐怖の二つだけ。
「ハ、ハハハハハハハッ!」
「――――ぁっ、」
そんな志貴に、反転した四季から逃れる術はない。
大した抵抗もできず、志貴は胸をえぐられた。
ドサリと、うつ伏せに倒れる志貴。そこを中心に広がっていく血溜り。
志貴が死んで、秋葉が叫ぶ。鬼となった四季が笑う。
邪魔な二人を動けなくして、四季は残ったメインディッシュに意識を向けた。
前座は終わり。後は満足するまでこの極上の獲物を殺しつくして――、
「――そこまでだ、四季」
悲しい声とともに殺戮が起こる。
不死の能力を知っているからこそ、それを上回る攻撃を。
駆け付けた遠野槙久によって、四季は何を考える間もなく殲滅された。
「…………秋葉、それに七夜の子供と…………アキかっ?」
槙久は娘が無事だったことに深く安堵する。
秋葉の近くには七夜黄理の息子が死んでいるが、彼にとってはどうでもいい事。
彼が疑問に思ったのは、何故、屋敷で仕事をさせているアキがここにいるのかという事。
それも重度の傷を負って、だ。
「…………アキ」
秋葉の前で四季を殺してしまった事は、心に病む。
だが、屋敷の者もすぐにここへ駆け付ける。元々、四季のコレは遅かれ早かれいつか来るだろうとわかっていた事。
迅速に事は進むだろうと、槙久は思った。
だから今は、アキの方へと近づいた。
親戚の者でも、アキと琥珀を皆が知っているわけではない。
知ったからと言って、槙久に抗議する者など存在しないが、やはり公になると面倒が増える。
槙久がアキに問い詰めようとして……だが、それは阻まれた。
「……どうした、アキ」
アキが立ち上がり、震えながら槙久に抱きついてきた。
俯いているため、泣いているのかまではわからないが……大人と同じように仕事をこなし、我儘を言わず、最近は琥珀の世話までしている――全く子供とは思えない――アキにとっては、槙久に多少なりとも驚かせるほど、珍しい行為だった。
何故、アキがここにいるのか? 巻き込まれたにしても部屋にいた場合はあり得ない。
自分から反転した四季に近づいて行ったのか? この傷は四季が無差別に襲ったためか、それとももしくは二人のどちらかを守ろうとしたのか。
槙久は必死に抱きつくアキをよそに、この状況について分析する。さすがに、血まみれで震える子供を突き飛ばしたりはできない。
実の子ではないので慰めもしないが、取りあえずは落ち着くまで、特に何をしようとも思わない。
――そして、槙久が何かを感じた時には、すでに事は終わっていた。
アキはこの瞬間を待っていたのだから。
立ち上がる力など、身体のどこにもありはしない。それができたのは槙久が駆け付けた後、言った通りに跡を追った琥珀のおかげ。
近くのどこかに隠れている琥珀。その感応能力によってアキの力が増幅される。
魔眼の存在は誰も知らない。知っていたのは七夜の里の人だけだから。
唯一の欠点は魔眼と回転軸の距離が離れていると全く発揮されない事だが、槙久に密着している今、その欠点も無くなった。
気づかれる前に、殺す。
回転軸を槙久の左胸、心臓を巻き込むようにソレを合わせ――
――身体に残る全ての力を使い、一瞬のうちに捻じ曲げた。
ここで森に響く足音とともに、アキの記憶は途絶えている。
アキが最後に見たものは、口から大量の血を吐き出す槙久と、志貴に何らかの術式を行っていた秋葉の姿。
惨劇を止める事は、結局、失敗に終わった。
憑依in月姫
第六話
「――君たちが、アキハ君と琥珀ちゃんかい?」
槙久の仕事部屋で、俺と琥珀は九我峰斗波の質問を受けていた。
おそらく、今は亡き槙久が残していた記録の確認といったところだろう。
九我峰の長男、九我峰斗波は見た感じ太ったおっさんでしかないが、細く見つめる瞳からは心が読まれてしまいそうで、俺は話は聞くも顔を上げずにずっと俯いている。
槙久の死から、一週間。
屋敷は昼夜問わず、慌ただしい雰囲気が流れるばかりだった。
槙久の死亡原因は一時期、遠野家に敵意を持つ者も多いことから暗殺、という説も持ち上がっていたらしいが、最後には、反転した四季に殺された説に収まった。
その四季の行方だが、あの後、現場に駆け付けた親戚たちが見たものは苦しそうに胸を抱く秋葉と倒れている志貴、槙久、俺の四人であり、四季の姿はなかったと言われている。
現在、遠野家唯一の後継ぎである秋葉はまだ六歳。
緊急措置として、遠野家の財政面を支えている九我峰家が槙久に代わって指揮を執ることで、現状の混乱は多少落ち着いた。
そうして事件が一段落したところで槙久の葬儀。残った問題の一つとして、今日、九我峰斗波が俺たちを訪ねたのである。
「……俺たちは、どうなるんですか? それと、七夜の様態は?」
子供でも理解できる丁寧な説明がされた後、俺は考えていた事を口にした。
取りあえず、槙久殺しの犯人扱いにされていないので心が幾分軽くなる。
現場にいた者としてバレる可能性もあったが、志貴と同じく、血まみれで倒れていた事が功を奏したのかもしれない。
「君と琥珀ちゃんはまだ子供だからね。ただもし良かったら、アキハ君には仕事の手伝いを続けてほしいな。
今は槙久様がお亡くなりになられ、この屋敷も大変だからね」
斗波の言葉に、俯いたまま頷いた。
これには槙久を殺した事への罪悪感も入っている。それでも、琥珀は救えたので悔いはないが。
「七夜君だが先日、目を覚ましたとの報告があってね。身体にも特に異常は見られなかったらしいけど……」
そこで斗波は、言いづらそうに目を背ける。
まるで学校の先生が生徒たちに友達が転校するのを伝えるかのように。
何だ? 志貴は無事に目を覚ました。
確かに直死の魔眼によって志貴は精神的不安定に陥るが、それは青崎青子と出会う事でなくなるはず。
ならば……?
「七夜君はね……連れ去られてしまったんだ。
いや、正確にはいなくなってしまったといった方が正しいかな……」
「――んなっ!?」
九我峰斗波は、信じられない事を口にした。
七夜志貴が、いなくなったなんて。
だが、それはおかしい。それでは原作と合っていない。
七夜志貴は無事この屋敷に戻って来て遠野志貴となり、その後、勘当を理由に有間の家で秋葉が当主になるまでの八年間を過ごすのだから。
「本当に七夜はいなくなったんですか!? 俺たちに死んだのを隠しているとかじゃなくて?」
「ああ、担当の看護師が病室に食事を運んだ時にはベッドから姿が消えていてね。
……代わりに手紙が置いてあった。君宛てだが、すでに目は通さしてもらったよ」
手紙、と言っても紙切れ一枚。
書かれている文字も少なく、どちらかというと伝言に近い。
「……」
斗波からその手紙を受け取る。
読んでみると、そこには志貴から俺への謝罪と“魔法使いについていく”といった言葉が書かれてあった。
(魔法使いって……青崎青子?)
それ以外は思いつかない。意表をついてゼルレッチって事もあるかもしれんが、一番確率が高いのはどう考えても原作でこの時期に遭遇した青子だろう。
前半は俺への謝罪だが、俺の怪我を心配したり、ごめんと書いているだけで、そもそも何について謝っているのかがわからない。
「筆跡を調べてみたところ、それが七夜君の書いた手紙で間違いなくてね。
魔法使いなんて言われても私にはわからないんだが、そういうのに詳しい人たちが言うには、探しても見つからないだろうって言うんだよ」
「……そう、ですか」
確かに、“魔法使い”と魔術を知っている者が聞けば、志貴を探すことなんて無駄な事はしないだろう。
もともと、槙久が道楽で引き取った子供であり、心から心配する大人がいないのも加えると、その判断は遠野の親戚らにとって当たり前だ。
でもそうなると、遠野四季の代わりがいなくなる。
「だからね、アキハ君。私たちの話しあった結果、君に遠野四季君の代わりをやって貰おうと思う」
「……え」
半ば予想していた事が、斗波の口からはっきりと伝えられた。
志貴の話からいきなり四季の話なんて、普通の子供なら繋がりがわからずに混乱する。
だけど、原作をやった人ならわかる。
「七夜君がいなくなって寂しいと思うけど、槙久様の息子も一緒にお亡くなりになって、このままでは色々と騒ぎになってしまうんだ」
知っている。財政界にも名高い遠野の長男が死んだとなれば、それを機に騒ぎも起こるだろうし、悪い噂も流れてしまう。
だからこの時、原作では親も親戚もいない、息子と名前が同じである七夜志貴を、戸籍を書き換え遠野志貴へと変わらせた。
実際、名前はあんまり関係ない。
大事なのは性別と、その子供に身寄りがないため反対する者が誰もいない、という二つの事。
俺の名前はアキハだが、それ以外は志貴となんら変わらない。
「最初は七夜君に代わってもらう手筈だったのだが、肝心の彼がいなくなってしまったからね……。悪いけどアキハ君に役割が回ってきたんだ。
でも遠野四季として過ごすのだから、学校にも行けるし、今までと違って外でも遊べる。アキハ君にとっても良い話だと思うんだけど、どうかな?」
どうかな? と斗波は聞いているが、ここで承諾しないようなら暗示の魔術を使えばいい、とおそらく考えていると思う。
斗波自身、魔術の存在を知らなくても、遠野の親戚らにはそういった類がおそらくいる。遠野家は表だけでなく、裏の世界にも名が通っている家柄だから。
欲しいのは遠野四季という空いた席に座る子供。よって、俺に暗示をかけても何ら問題はないはずだ。
問題があるとすれば、忙しい今、多少であれこれ以上厄介事を増やしたくないという事だけ
「……わかった」
暗示をかけられるのは御免だ。
ならば何も疑われないよう、子供らしく、斗波の言葉を聞きいれるまで。
俺の返事を聞いて満足する九我峰斗波。
加えて一つ、お願いをする。
聞きいれてくれなかったらそれまでだが、言ってみる価値はあるはずだ。
「でも……もし、いつか七夜が帰ってきたら、その時は俺と七夜が代わっていい?」
魔法使いについていくと言った志貴。
その時点で、すでに原作の話からずれている。
この物騒な世界でも何とか生きていけるのは、先の展開を知っているからこそ。
槙久を殺せたため、琥珀が遠野家に復讐する事は多分ないだろう。
だが、四季の死体は発見されておらず、志貴も直死の魔眼を開眼。遠野家ルートはわからないが、志貴が表ルートのアルク・シエルと関わる可能性は高い。
月姫の物語自体から逸れてくれれば一番良かったが、四季を逃がしたことに加え、志貴が直死の魔眼を持ってしまった今、その可能性はあり得ない。少なくとも、ロアか四季か、敵は必ず現れてしまう。
……主人公がいつ帰ってくるかはわからないが。
そんな中で、そのアバンテージが崩れるのは絶対に避けたい。
月姫は一本道ではなく、数多くのBAD ENDがある。必ずしもTRUE ENDにたどり着けるとは限らない。
これはアニメではなく、現実なのだから。
「それを決めるのは私だけでは出来ないんだが……数年経てば、秋葉ちゃんが権力を握るようになるからね。
その時、君と七夜君で秋葉ちゃんに相談すればいい」
秋葉の性格を見抜いているのか、困ったような顔をして斗波は言う。
斗波の言っている事は正しい。だったら、特に心配はいらないかもしれん。
「たくさん話を聞いて二人とも疲れただろうし、詳しい話や手続きはまた明日。今日はまだ我慢してこの部屋にいるようにね」
斗波は立ち上がり、安心させるよう俺と琥珀の頭を撫でてから部屋を出た。
脂っぽい手で頭を触るのは勘弁してほしい。
後、子供扱いは見た目そのまんまだから仕方がないが、あやすような口調はむかつくな……。
黙っていて聞いていた琥珀。
笑顔でもなく、でも無表情でもない顔。
そんな顔で、俺に声をかけてきた。
「今日からアキは……シキ?」
「認識早っ! ……いや、琥珀はアキのままでいいから」
志貴がいなくなる、そんな原作とのズレに頭を抱える。
唯一救いなのは、今回の惨劇も志貴が秋葉を守っていた事。
秋葉のブラコンに間違いのないことだけが、不安な未来での救いだった。
もっとサクサク話を進めるつもりだったのですが……プロローグと子供時代の話に計七話。次の話も中学生辺りだし、思ったより長くなってしまった……。
ついでに言うと気づいた方もいるかと思いますが、四季が反転した時、作中では志貴と秋葉しかいませんが、原作では翡翠もその場にいたのです。「翡翠が内向的になったのは志貴が倒れた時に何もできなかった自分が嫌になったため」……すっかり忘れていました。
その件については突っ込まないでくれると有難いです……。