今日も青い空。耳に響く蝉の声。非常に良い天気である。
そんな初夏の中、ボケーっと窓の外を見ながら、自身に迫られているであろう選択肢を手遅れになる前に考えること数日……ようやく結論を下す。
「……槙久を殺すか」
「――――はい?」
ぬいぐるみで遊んでいた琥珀が、驚いた。
一応言っておくと、琥珀も自分の現状は幼いながらもきちんと理解している。
「あの……アキが勝てるとは思いませんけど……」
「そんなのは俺だって思ってない。不意をついたってせいぜい……骨一本折れればいい方だ」
それに当主殺しなんぞしようものなら、一族が黙っちゃいないだろう。
どちらにせよ、そんな事をした日には間違いなく死ぬのである。
「けど、それは俺だけだった場合で、そこに琥珀が入ると結果は変わってくる」
「……わたし?」
七夜の体術や浅神の魔眼を持っていたとしても、子供一人では当主殺しなんて無理がある。
それもただ殺すだけではなく、自分たちが犯人と指されないよう殺すのだ。
だがそこにもう一人、琥珀という人物と、体術や魔眼に加えてそれ以上の武器でもある“これから起こる事を知っている”が揃えば、案外できないものも出来るかもしれない。
……十分、無茶な事には変わらないが。
(それでも、やるだけの価値はある)
琥珀も考えること数秒、こちらの意図に気がついて俯いていた顔を上げる。
「わたしの感応能力を使えば……ってこと?」
憑依in月姫
第四話
キスをした。ディープで。
なぜなら、琥珀たちの感応能力は体液の交換でのみ契約されるから。
そしてこの程度だと、だいたい三日くらいは持つらしい。
「……すまん」
唇を離した後、取りあえず琥珀に謝っておいた。
これからの計画には必要なこと、何より琥珀のためでもあるので自分が心底悪いと思っているわけじゃないし、真っ当な正義感を振りかざすつもりもない。しかし何ていうか、人として謝っておくべきだと思ったわけで……。
「この借りはいつか返すから、今はあんまり恨まないでくれると助かる」
さらに言うと保身のためでもある。
琥珀に恨まれるのは非常に怖い。今ではなく将来とか特に。
「アキ? 別にそんなに気にしなくていいよ」
「……何で?」
だが琥珀の表情は唇を奪われたと言うのに普通。
そう、普通の表情をしていた。
「だって……わたしは嫌とは思ってないから」
……あれ? いつの間にかフラグ立った?
好感度を特別上げた覚えはないんだが。
「アキは女の子の顔してるから、翡翠ちゃんとキスするのと変わらないし」
「……せめて、女顔って言ってくれ」
いや、どっちも変わらないけどさ。
といったやりとりが先程あったわけだ。ちなみにここから本編である。
「俺は、槙久を殺そうと思う」
「……それはさっき聞きました」
ぬいぐるみでママゴト遊びをしながら、琥珀は返事を返す。
「ついでに四季も殺そうと思う」
琥珀がこの話を拒否しなかったことを確認しつつ、俺は動物兼父さん役のカバを動かしながら、続けて言った。
「四季?」
「四季ってのは、いつも志貴と仲良くしてる黒髪の男の子のことな。槙久の息子でもある」
「……どこかで聞いたことがあると思ったら」
琥珀の視線は動かしているぬいぐるみにある。
だが、目は合ってなくとも多少驚いていることぐらいはわかった。
「槙久様はわかるけど……どうしてその男の子まで?」
「えっと、そこは聞かないでくれると助かる。
琥珀がどうしても知りたいってなら話しても構わないが……」
ロアの話を琥珀にしたところで、理解はできないだろう。
元々、ゲームの方でもロアは表ルートの話であって、裏の遠野家ルートにはほとんど関わらないわけだし。
「どうする? 一応俺が四季を殺す理由、話してみるか?」
「……いい。アキがそういうなら多分、間違いじゃないと思うから」
「そうか」
無関心と言う琥珀に対し話が早くて助かると思う反面、仮にも人殺しを手伝う話をするのだからその反応の無さに悲しいとも思う。
やっぱりこういった環境で暮らすと、子供は少しずつ普通とズレて壊れていくのだろう。
「それじゃ、本題に入る」
「うん」
この夏に起こる惨劇。これを通過して、月姫の物語は始まる。
夏の惨劇が起きたのは、高校二年の志貴から見て八年前か九年前。
つまり、琥珀が八才か九才の夏の出来事であり、今年か来年の夏。そのイベントはすでに近い。
これ以降、本編が始まるまでの空白の期間は詳しく書かれていないため、こちらができる事は何もない。
だから、これから先のために介入できるのはこの事件が今で言う最後となる。
あらかじめ描いておいた屋敷の周辺図を琥珀に見せる。周辺といっても塀の外でなく庭を指す。
そこに描かれた広場らしき図に指を当てて、説明を始めた。
「いつかは俺もわからないが、夏のうちにここで事件が起きる。これを知ってる事に関して詳しくは言えない。
ただ今知ってほしいのは、さっき言った四季が俺のダチの七夜を殺そうとするって事だ」
四季が狙ったのは秋葉だが、そこまで細かく琥珀に言う必要はない。
今は混乱させないため必要最低限の情報で話を進める。
「俺はまずそれを防ぎたい。
場所はおそらくこの広場だから、事件が起きるであろう昼間はずっとここら辺で監視しようと思う」
「……えっと、この夏のあいだずっと?」
「あぁ、ずっと木の上にでも隠れて、志貴たちを見張ってようかと」
琥珀が心配そうに見つめてくる。
……おそらく熱中症にかからないか心配なのかもしれない。
「七夜が殺されるのは多分、一瞬だ。
ヤバいって思ったらすぐ飛びだせないと意味がないだろ。だから仕方がないんだよ」
「……じゃあ、今度うちわ作っておく」
「おぅ、そいつは有難い」
材料を取ってくるのはどうせ俺なのだが、せっかく作ってくれるのだから有難く貰っておこう。
何気に、琥珀からの初めてのプレゼントだし。
「よし、話を元に戻すぞ。
この時、俺は七夜たちを助ける役目をしているから、琥珀には槙久を呼ぶ役割をしてもらいたい」
「……それだけなら、何とか」
でもどうやって伝えるの? と琥珀が首を傾げる。
琥珀の疑問は、琥珀が槙久に伝えることではなく、志貴たちが襲われたと森にいる俺からどうやって琥珀に伝えるかだ。
ここからでは到底、木々に覆われた広場は見えない。携帯電話もトランシーバーもなければ、打ち上げる閃光弾すらないのだ。
狼煙を上げる手という手も無くはないが……、
「さすがに狼煙は無理だな。殺しに掛ってくる四季を相手しながら火を焚くなんてのは不安要素が多すぎる」
「……じゃあ、アキはどうするの?」
「俺の考えでは、この屋敷の警報装置を使おうと思ってる」
すでに警報装置の位置はあらかた確認済み。
広場のさらに進んだ先、そこに志貴たちと移動しながら、隙を見てカメラの一台でも破壊する。
「そうすればこの屋敷に警報が鳴るから、琥珀でもわかるだろ? それが合図だ」
問題はそれによって槙久以外も気づくと言う事。
槙久を殺すのが目的なのだから、その殺す瞬間、志貴や秋葉は仕方ないにしても、それ以外の目撃者は出したくない。
「だから琥珀には少しでも早く槙久だけに場所を伝えてほしい。
森の入り口で秋葉と七夜が襲われるのを見たとか言えば、槙久は親戚と連携を取る前に急いで駆けつけると思う。それだけ時間がもったいないからさ」
ここに住んでいる子供の名前を知らない琥珀だが、身体的特徴を口にするだけでも槙久にわかれば問題ない。
警報が鳴っていることも加えて、我が子の大事さに琥珀も深くは疑われないだろう。
「そして槙久に伝えたら、琥珀もその後をばれないように隠れてついてきてくれ。
その時、槙久は多少なりとも焦っているはずだから、簡単には気付かれない筈」
「……その後は?」
「琥珀が近くにいる事を感じられたら、俺の力に感応能力をプラスして槙久を殺す。
四季は駆けつけた槙久に殺されるだろうから、その隙を狙って」
「……危なくない?」
「…………どうだろ」
苦笑いして誤魔化す。
が、話してみてやはり難しいと思わされる。
もしもこの身が主人公の位置だったなら、俗に言う主人公補正が世界からかかること間違いなしだが、生憎とこのアキハというのは本編上サブキャラでもないので、運良くなんてのは期待できない。
わかっているのは、反転した四季が秋葉を狙う事。
そして戦いになったらおそらく血を使って攻撃すると言うこの二つだけ。
溜息を吐く。
そしていつの間にか人形を胸に抱きしめている琥珀を見て、
「……ここまで話といてなんだが、やりたくないなら止めてもいいぞ?」
今更だけど、この計画は前回の七夜の里の襲撃と違い、命がかかっているわけでもない。
むしろやる事によって、俺たちが危険に晒される。
こんな事をしなくても、本編通りに琥珀が四季を操ってくれれば槙久はいずれ殺される。
今回のは、ただ単にその期間が長いと思ったからが理由。
この子がその間ずっと暴行や凌辱を与えられるとはいえ、それが危険な橋を渡るに見合う対価なのかはわからない。
「もし琥珀がやりたくないと思うなら、俺もやらない。元々、こっちが勝手に作った計画だから。
……琥珀はどうしたい? やるにしろやらないにしろ、俺はそれが聞きたい」
「え、わたしは……」
どうしたいんだろ、そう呟いて、俯いた。
ぬいぐるみは抱えたまま、空いてる片手で他のぬいぐるみを突きながら考えている。
……本音は、琥珀に協力してほしい。
ここで下手に動いて、もし志貴が殺されないような事があれば“直死の魔眼”が開眼していない状態になる。
そうなれば志貴に人外と渡り合える力は無くなり、少なくとも表ルートと関わることはできないだろう。
だが、俺はそれでも構わないと思ってる。
計画通りに四季を殺せれば、無限転生者のロアはまた次の世代の子供に乗り移る。
世のためを思えば、直死の魔眼で志貴が殺してしまうべき。
しかし周囲のためを思えば、この惨劇さえ回避できれば自分を含め琥珀や翡翠、秋葉、そして志貴は殺し合いなんかに巻き込まれなくなるだろう。
(……俺は正義の味方じゃないしな)
Fateの衛宮士郎は格好いいと思う。
凛ルートのクライマックスは数年たった今でも忘れていない。
しかしだからと言って、いざ自分がそんな生き方を迫られたってできはしない。
身勝手だが、この世界には教会や協会、守護者までもが存在する。
ならば、自分の周りの人が幸せに過ごせることを一番に考えるのは、一般人として間違いじゃないんだ。
「わたしは……」
ぬいぐるみを抱える琥珀を見ると、もしかしたら、ぬいぐるみを貰っただけで全て満足してしまったのではないかと思ってしまう。
誕生日プレゼントを喜んでくれたのは嬉しい。でも、琥珀にはまだそれで満足してほしくない。
黙って、琥珀が喋るのを待つ。
ゲームで言うなら、これも一種のイベントかもしれない。
好感度によって、ルートが自動的に決まるタイプの。
実際、琥珀がどう考えるかで、これからのルートが左右される。
「…………アキ」
「何だ?」
「わたしね、もうゲームは飽きたの」
何の話かと思って、口を紡いだ。
琥珀の言葉の意味が、すぐにわかったからだ。
「だから、そろそろ外で遊びたい。できれば、翡翠ちゃん達といっしょに」
「……あぁ」
それはつまり、こんな部屋に閉じ込められずに自由でいたいという事。
子供なりに殺すという言葉を口にしにくいのか遠回りな言い方。それでも、しっかり伝わった。
「褒められた行為じゃないが、頑張って成功させるか」
「うん、レベル上げとか飽きたしね」
「……あれってそんなに嫌だったか?」