「遅い、帰ってくるの遅すぎるよ、アキ君!! 二日間もどこほっつき歩いてたの!?」
「いやいや、ちゃんと琥珀の方にメール入れといたぞ」
「“明日帰る”しか書いてなかったじゃん!
それでいつ帰ってくるかな〜って待ってたら朝昼過ぎてもう夜だよ? せめて鐘鳴る前に帰ってきてよね!」
漫画喫茶からの帰還もつかの間、玄関先でどやされる羽目に。
てか、帰ってきて早々テンション高いな、さっちん。
「例の魔術師に会った後、色々考え事が増えたんだよ。連絡入れなくてスマソ」
「心配したんだよ……こう、胃に穴が開くらい?」
「ストレスですね、わかります」
おかえりと出迎えてくれた弓塚の顔は不機嫌そのもの。
ストレス溜まって吸血衝動抑えられなくなりましたじゃ洒落にならんし、もう少し気を配った方がいいかもな。
……今回はこっちも精神的に手一杯だったんで仕方なかったけど。
「で、大丈夫なの? 見た感じ怪我はないようだけど……」
「あぁ、そこら辺は心配しなくてもいいぞ。かすり傷一つ負ってないから」
「そっか、良かった」
ほっと胸を撫で下ろして、弓塚はようやく普段通りの笑顔に戻る。
どうやら魔術師との交渉結果は関係なしに、心配していたのは安否の方だけだったらしい。
ボケてるというかお人好しというか……だが元の原因が弓塚にあるので、純粋に感心できない心境だ。
「まぁ、俺の方は置いといて……って、そういえば琥珀は? どこか行ってるのか?」
いつも一番に出迎える琥珀の声が聞こえず、不思議に思い訊ねてみる。
最近は心配症でも発したのか、拍車がかかって保護的だし。
「あっ、そうそれ! アキ君に聞きたい事があるんだけど」
早く入って、と部屋に招かれそそくさと靴を脱いでスリッパを履く。
天井の照明のうち片方が消えてるためか、部屋の奥が薄暗い。
何でわざわざ消しているのか、その理由を弓塚に訊ねようとして、異変に気付いた。
「……もしかして寝てる?」
「うん、昨日はずっと眠れなかったらしくて、眠れたのはついさっき」
「珍しいな。風邪でも引いたのか?」
まだ寝るには早い時間、そう思いながら、琥珀のいるベッドに近付く。
頭まで被っている毛布をずらし、寝顔を確認。
……顔が赤いとか、息が荒い様子は見られない。ただ、穏やかな寝顔とも言い難かたいが。
「琥珀ちゃんは病気じゃないから心配しないでって言ってたけど……」
「……だったら大丈夫だろ。琥珀の方がこういった類には詳しいしな。
多分、精神的に疲れてたんじゃないか? 三咲町を離れて二週間、環境も屋敷の時とは大分違うし」
「そうかなぁ、でもそんな様子は全然……アキ君、他に心当たりない?」
「……昨日帰ってこないで、心配させたとか?」
一応言ってみるが、さすがにそれはないだろうと口を閉ざす。
弓塚も同じく反応は薄い。
「取りあえず、今はゆっくり寝かしておこう。
明日になっても調子が戻らなければ、琥珀本人に聞けばいいだろ」
心配ではあるが、病気でないなら焦る必要もない。
もっとも、琥珀の場合は心配かけまいと嘘をついている可能性もあるけど。
「念のため体温計で計って……異常がなければ、置き手紙だけ用意しとくか」
「え、アキ君、またどこか行くの?」
「魔術師のところにもう一度。それに、この時間帯ならお前も出歩けるだろ」
わたし? と訳わからなそうに自身を指差してる弓塚に、早く支度しろよと声をかける。
昨日は世界がどうたらでテンパっていたものの、ゆっくりと一晩過ごした事で一先ず落ち着ける程度には整理できた。
そして今日、外部から記憶を読み取れないように魔術をかけてもらい目的の一つを達成。
帰り際に蒼崎橙子に声をかけられ、今もう一度、伽藍の堂を訪れる事になっている。
吸血鬼を連れてこい、と。
条件次第では引き受けてやる、とあの魔術師は言ったのだ。どんな意図があるかは知らないけどな。
「弓塚の身体を、今から交渉しに行くんだよ」
憑依in月姫no外伝
第九話
「――――きたか」
「は、初めまして! 弓塚さつきと申します。えっと……この度は」
「あぁ、堅苦しい挨拶はしなくていい、面倒だしな」
日の沈んだ街中を久しく弓塚と並んで歩き、伽藍の堂へ。
蒼崎橙子と会うのは三度目だってのに、隣に弓塚がいるせいか身体が強張る。
「記憶で見ていたがこれが“弓塚さつき”か……風格はまだないが、確かに資質はある」
煙草をふかしながら、静かに弓塚の全身を見回す。
好奇の視線が含まれているのは、直に死徒を観察した事がないからか。
沈黙が続く室内、胸の内は期待と不安でごちゃまぜだ。
「どうです? 何か問題があるとか」
「内部まで調べてみる事にはわからないが……取りあえずは問題ないと言っておこう。
各組織は違えど、人型なのに変わりはないしな」
「良かった……最初はできないとか言ってましたから半ば諦めてましたよ、この選択」
「君の説明がなっていなかっただけだろ、あれは」
言葉とともに睨まれる。
そりゃ最初に用件を言う時、「吸血鬼用の替えの身体を作ってくれ」としか言わなかったからなぁと反省。
しかし記憶を見せた事で上手く伝わったわけだし、結果オーライなのでいいだろう。
何より、弓塚の問題解決に手が届いた。今はそれが非常に嬉しい。
「ねえ、アキ君。その、話が見えてこないんだけど……」
だって言うのに、当の本人は困惑気味。
袖を引っ張りって、説明プリーズって感じの顔を向けてくる。
……そういえば、特にこれといった説明は話していなかったっけ。
弓塚自身の話なので、流石に本人が蚊帳の外って訳にはいかない。
「弓塚の身体の問題あるだろ? それがどうにかできるんだよ」
「えっ! わたし、人間に戻れるってこと!?」
「いや、それとは違うんだが……」
歯切れの悪い否定に首をかしげる弓塚。
元の身体に戻れるのを期待されても困る。
アトラスの錬金術師であるシオンも不可能と考えながら研究するその治療方法。
それが身体を移し替えるだけで治るのなら苦労はしていない。
蒼崎橙子に目を向ける。
俺も簡単な説明だけで、詳しく聞いたじゃないんだが、
「もう一つの身体を操る、でいいんでしたっけ? ラジコンのように」
「ラジコンと言うよりは使い魔とした方が正しいがな。
なにせ共有するのは五感全てだ。そのような玩具と一緒にされては困る」
堕ちて吸血鬼となり果てたのは、身体だけでなく魂も。
魂まで犯されているため、仮に身体を移し替えたところで身体はまた吸血鬼へと変貌する……らしい。
魔術回路も魂に繋がっているわけだし、そう言われた時も予想の範疇なのであまり驚きはしなかった。肩は落ちたけどな。
「弓塚、なんで三咲町を離れたかわかってるよな?」
「わたしのせいで町に死徒の気配が広がるから、見つからないようにって」
「あぁ。だけど、一つだけ気配を無くす方法を言ったの、覚えてるか?」
弓塚の頭を回してやりながら、話を進める。
二週間前の大事な話。流石の弓塚も内容は覚えているようで、数秒黙った後に口を開いた。
「……それって、地下深くに埋めておけばって話?」
恐る恐る確認する。
何を怖がっているかはだいたい解るが、それはすでに却下された案だという事も思い出してほしいね。
「やだよ?」
「上目遣いで言っても駄目だ。てか、そんな事しないから安心しろ」
琥珀の事は友達以上と認めている弓塚だが、こっちの事をどう考えてるかも結構気になる。この反応を見ると特に。
そんな欲求は端に置いといて、先に進めよう。
「身体をもう一つ作って、そっちに意識を移すんだよ。で、視覚、聴覚、触角、味覚、嗅覚をリンクさせる
……そうしたら、どうなると思う?」
「どうなるって……」
「魂を移すんじゃなくて、あくまで意識だけ。そこがポイントな。
魂は本体の器に収まっているのだから、操っている方の身体にまでは影響を受けない」
もしかしたら、本体につられて日光の苦手意識が残る等、色々な問題があるかもしれないが。
「本体を屋敷の地下深くに結界張って置いておく。
もちろん本体も身体の維持に栄養は必要になるから、三日置きに点滴とした形で補給しなけりゃならない。それでも、」
「操っている方の“わたし”で、人間のように暮らせる?」
「そうだ」
声が出ないとは、こういう状態をいうんだろう。
両手で口元を押さえながら、信じられないといった表情の弓塚。
「食費は二人分かかる事に加え、移動距離もおそらく制限される。
仮の身体に変わりはないから、社会的に“弓塚さつき”が復帰できるわけじゃない」
「――――でもっ!」
吸血鬼に堕ちた身体を元に戻すなど、それは時間を逆行させるに値する行為。
そんな神懸かりな、魔法の域に達する所業などできはしない。
だけど、別にそこまでは望まない。
望むのはただ、遠回りしてでも平穏な生活を。
吸血鬼の治療方法には遠く及ばないが、これは俺たちが無事に暮らせる一つの形。
「あぁ、取りあえずは、逃亡生活なしに仲良くやっていけそうだ」
「やった!!」
歓喜にはしゃぎ、抱きついてくる弓塚。
柔らかい感触に俺も歓喜。
と言っても、まだ交渉はついてないけど。
「――――二人とも、喜ぶには早いんじゃないか?」
「わかってますよ」
見越したように声をかけてくる蒼崎橙子。
そう、今のは問題解決の手段であって、それを手に入れる仕事が残ってる。
「えっと……アキ君、何の事?」
首に手をまわしたまま、弓塚は真剣な面持ちに戻った俺に問いかけてくる。
顔がやけに近いな、おい。
「今話したのはこの人の案でな。
弓塚の身体を作ってもらうために、今から交渉しなきゃいけないんだよ」
「あっ、ご、ごめん。じゃあわたし、勝手に喜んじゃって」
「いいって。先にある程度は話しておきたかったしさ。それに、ここまで来たら手ぶらで帰るなんて真っ平だし」
目的達成の目の前まで来て、諦める選択肢は頭にない。
蒼崎橙子に会え、さらに現状を打破する術まで見えたのだ。
人の入り込まない山奥で暮らすか逃亡生活のどちらかしか未来がないのだとしたら、ここで最良の選択を手放すなどあり得ない。
「随分と気合いが入っているな、君は」
「金が足りなかったら銀行強盗してでも調達する気概です」
「くくっ……そうか」
さぁ来い、と弓塚を離して蒼崎橙子に顔を向ける。
が、返ってきたのは気味悪い忍んだ笑い声。ほんと、気味の悪い。
「な、なに笑ってるんですか?」
「いや、君も大概、頭が回らん奴だと思ってな」
口をニヒルに歪ませ、挑発的な眼をこちらに向ける。
眼鏡をしてないその瞳に、射抜かれるような錯覚を覚えた。
「私は“記憶”を見た。ならば、君の交渉カードとなり得るものも全て見せた。
……なぜ気付かない? それらを見た私が、金を等価交換に選ぶと思うか?」
「……もう少し簡単に言ってくれませんか?」
可笑しそうに喋る蒼崎橙子の意図が掴めない。
ただ、ポケットに入れた通帳は必要なくなるらしい――――そんな展開が予想できた。
「はぁ……つまり、金はいらんと言う事だ」
「えっ、それ困りますよ!?」
「私は困らん。元々、私が金に執着ないのは君も“知って”いるだろう?」
呆気カランと未来をひっくり返されるような事を平気で言う。
蒼崎橙子がこちらを助ける義理はない。それは、言われるもなく当然の事。
しかし、そうなると等価交換が出来なくなる。
金額の目途はわからないが身体を金で買おうとしていた手前、金がいらないと言われたら交渉も何もできやしない。
……だが、それならばそもそも、この魔術師が「弓塚さつきを連れてこい」なんて言うだろうか?
交渉の気がないのなら、わざわざ弓塚の身体を確認する必要などない筈。
だから、等価交換はまだ終わっていない。
それを示すように、蒼崎橙子は話を続ける。
「金は要らん。
――――その代わり、私の呪いを解け」
忌々しげに、顔を歪めて言い放つ言葉。
呪い。
それは、昔に蒼崎青子ともう一人の魔術師――名前は忘れたが――にかけられた、実家に寄せ付けないという呪いの事か。
「君にはそれが可能だ。別段、この呪いがあろうと問題はないが……やはり無いに越した事はないのでね」
「呪いを解く? そんな事……」
「出来るさ。君の知識を使えばな」
なに馬鹿なこと言ってるのかと思ったが、表情はふざけていない。
冗談でなく、本気で言っているらしい。
「そうか! 弓塚の能力で」
閃いた案を口にして、速攻で首を振られた。
「彼女の“魔術殺し”では消せんよ。
魔力を枯渇させたところで、また魔力が戻れば作動する。それでは解決にはならん」
「それじゃあ……」
弓塚に身体を提供する等価交換として、呪いの解除。
だが、弓塚の能力でそれは消せないと言う。
志貴の魔眼? いや、志貴って魔術まで殺せたかどうか……。
それに殺せたとしても、今の志貴は蒼崎青子の弟子扱いだ。殺し合いする程に仲の悪い妹の弟子を借りるなんて、この魔術師が言うだろうか。
そうなると……頭に思い浮かぶのは、残り一つしかない。
知識を使えば、なんて言ってくる辺り、むしろそれしか思い浮かばん。
絶対に頷いて欲しくない。
気持ちを顔に微塵も隠さず出して、その物騒な代物の名を口にした。
「“破壊すべき全ての符”……ですか? 違いますよね、すみません、寝ぼけてました」
「それだ、君はそれを手に入れてこい」
「なん……だと……!?」
「ふっ、答えを出すまでこれほど時間がかかるとは……大した奴だってばよ」
いやいや、ネタの応酬してる場合じゃないですよ、橙子さん。
心の底から聞き間違えである事を願ったが、この魔術師はこっちの心境なんぞお構いなしにリアルを叩きつけてくる。
「何もかの英雄王から宝具を奪えと言っているわけではない。
マスター殺しをした後に捕まえて信頼関係を気付く、または衛宮に投影させてもいいだろう」
「な、何言ってんですか!? そんなの――――」
裏切りの魔女と信頼関係とか、未熟な士郎に宝具を投影させるとか、突っ込みどころはたくさんある。
が、言いたいのはそんな事じゃない。
蒼崎橙子の言わんとしている事。
それは詰まる所――――
「聖杯戦争に参加しろって事ですか!?」
「その通りだ」
「ア、アキ君!?」
びくっと身体を震わす弓塚に、パニック一歩手前まで戻る。
いかん、思わず声を荒げて……一拍置いて、深呼吸だ。
「大丈夫? 怖い顔してるけど……それに今、戦争って」
「あ、あぁ、弓塚さっちんは気にするな。言葉の綾だから」
「も、もう一回深呼吸しよう!? あとわたしは弓塚さつきだからね!?」
弓塚の掌が横隔膜を持ちあげ、肺の空気が全て外へ。何というパワー。
「ゲホッ、ゲホッ、ち、力入れ過ぎだ!」
「あわわ、ごめんなさい!」
慌てて酸素を取り込み、咳き込んだ。
ちょっと目尻から涙出てきたよ、俺。
深刻さがわかっていない弓塚はいつもの調子なので、傍にいるこっちも段々と調子が戻ってきたけど。
(……そうだ、蒼崎橙子とは初めから依頼頼みで来てるんだ)
ボケてた頭が回り始める。
交渉だとか等価交換だとか、そう言った言葉は当てはまらない。
条件を出されたらYes かNo。
だいたい、向こうは呪いが解こうと解かれまいと切羽詰まった問題じゃないんだ。
こちらが無理と言ったらそれまで。慌ててどうする。喰い付いてどうする。
そんなの、一文の得にもなりゃしないのに。
「漫才は終わったか?」
「……はい、話を切ってすみませんでした」
どこまで読みが正しいかわからないが、そもそも完全に見込みがなかったら、この魔術師は口にする事すらしないと思う。
一応は可能性があるからこそ、呪いを解く事を条件で出したのではないのか。
“ズレ”があるとは言え、展開をすでに“知って”いると言う条件。
二十七祖候補枠に入れる程のスペックを持つ弓塚の存在。
そして、一般人よりはマシに動けるこの身体。ついでに微力ながらも歪曲の魔眼。
(断る道理は…………ない)
こちらのメリットに比べて、蒼崎橙子のメリットは大して無い。
呪いの解除は難しいが、本人が呪い自体に手を焼いているわけではないのだから。
それでも等価交換と言うのならば、これはチャンスなのだろう。
故に断るとすれば、それは己の命を天平にかけて考えた末に他ならない。
だから今、蒼崎橙子と話すとすれば胸の内に芽生えた疑問。
まずはそこから聞かなければ、結論は出せない。
「等価交換の条件はわかりました。宝具取ってこいとか無茶苦茶ですけど。
……どうしてその条件にしたんです?」
「君が呪いを解除する手段を持っているから、そう言わなかったか?」
「それ以外ですよ。だいたい、呪いなら両儀式で事足りますし」
借りを作りたくないにしても、本当にこの魔術師がたった一つの要因だけでこんな無茶な条件を出すとは考えにくい。
この人の事だから、裏でいくらか考えを持っていて……そうであれば、可能な限り聞き出しておきたい。判断材料として。
「ほぅ……つまり君は、この条件に何か他の意図があるとでも?」
「違和感ありますし。昨日はこの世界の重要なポジションにいる、自分の力量を把握しろだの言っておいて、今度は死地に飛びこませるなんて……」
言っている事が矛盾している。
そう蒼崎橙子に言い返した。
緊迫した雰囲気になる室内で、一人、挙手する弓塚。
「あの……わたし、話がまたわからなくなってきたんだけど」
「今はさしで話してるから空気読んで黙っててくれ、さっちん」
シリアスな空気を壊されても堪らないので、弓塚を抱きとめ、黙らせる。
……いや、何で抱きしめてんだろうね。意味不明な行動だよ、これ。
平常心装ってても、内心じゃ蒼崎橙子と話すだけでガチガチに緊張してるってことか。内容が内容だし。
「ア、アキ君……」
腕の中で真っ赤になってる弓塚。火照っているのか、服越しに熱が伝わってくる。
こっちも恥ずかしいが、こうしていれば弓塚は大人しくしていてくれるらしい。
後でまとめて説明するから、と耳元で囁き、話を再開する。
「で、そんな風に思ったんで、宜しければ説明して頂けないかなと」
「……君の知り合いもあれだが、君自身も相当な異端だな。死徒を口説く人間は初めて見たぞ」
「口説いてませんって。それにこいつとは小学生からの付き合いですから」
「……まぁ、いい。話を戻そう。
そうだな、教えても差支えない話だけはしておこうか」
本人を前にして堂々と言うのは、やっぱりまともに相手にされていないのか。
全部は話してくれそうにないが、不満を言っても仕方ない。黙って、耳を傾けた。
「昨日、君の記憶を見た後に確認したんだが、こちらの方もすでに始まっていたらしい」
「何がです?」
「原作だ。空の境界……すでに両儀式が昏睡状態に陥ってから、一年以上が経過している事がわかった」
「なっ、いきなり最重要事項じゃないですか!?」
原作じゃ式が昏睡状態になったのはちょうど今くらいの時期。それは幹也の年齢で判断できる。
本来なら式が目覚めるのは今から二年と少し後。
しかし蒼崎橙子の言葉が真実なら、物語が動き出すのはすぐそこまで来ている事になる。
青子が関わってくるかは定かではないが、昏睡状態の期間がズレる事は考えにくい。
ならば、“ズレ”が生じたのは両儀式の内面と、幹也と会う時期が早まった事だろう。
藤乃と鮮花といい、何でこうもせっかちなんだよ。この世界のらっきょキャラは。
「……でも、それが提示した条件と何の関係があるんです?」
「関係は大いにある。――――君には、こちらの事件に介入して欲しくないのだからな」
「何か酷い事を言われた気がします。気のせいですかね?」
「気のせいだ。せいぜい、冬木で惨めにハラワタをぶちまけていてくれたまえ」
蒼崎橙子が、酷く歪に口元を曲げる。
あれ、俺なにかポイント下げるような事したっけか?
「ちょ、ちょっと待ってくだいさよ!! 何ですかその理由!?」
「君に寄り添う彼女らも不幸だが、君自身も結構な不幸体質だと私は認識しているのでね。
……こちらに厄介事を持ってきそうな要因は、他の地へ遠ざけておくに限る」
「俺が不幸体質……だと?」
なにその体術と魔眼に加えて新たなスキル。
全然嬉しくないけどさ。
「この世界が不安定だとは言え、大方の出来事は変わらないからな。
“空の境界”は私一人で動けば十分だ。君のトラブルにこちらまで巻き込まれる気はないんでね」
「ぐっ……言い返せないのが悔しい」
全力で否定したいところだが、こっちの世界に飛ばされてこの方、心の休まった日々は多くない。
主人公がいなくなるわ、代行者に狙われるわ……本編終わっても弓塚の問題に掛かりっきりの始末。
半分以上自分のせいだけに、周囲を巻き込まないとも断言できないし。
「……というか、それが戦争地帯にまで派遣される理由ですか? まさかの自分の所為だけに悲しくなるんですけど」
「君の力量を計る、という面でも聖杯戦争はちょうど良い催しだろう?
私としては君が参加すればより面白い劇になると踏んでいる」
「もうやだこの魔術師」
なにこの“オワタの大冒険”をやった時くらいの脱力感。
話が噛み合ってないんじゃね。話と言うより思考の方が。
「私利私欲どころか、ただの享楽で殺す気なんて……」
「何を今更……。私が両儀や黒桐の面倒を見る事になる理由は、君の“記憶”と変わらないぞ。
例え、歪んだ世界であってもな」
二人の行く末を瞳に移すのが面白かったから。
式と幹也が結ばれた後は、この魔術師は速やかにこの街から姿を消した。
それが蒼崎橙子の在り方であり、変わる事はないと記憶を通して証明する。
「それに、世界がどうであろうと私のやる事に変わりはない。昨日の忠告は知識提供の対価だと思え。
故に君が世界の選定を受けた存在でも、破滅の道を歩んでいたとしても、私は君を特別視する気は毛頭ない。注視はするがそれだけだ」
それが魔術師本来の在り方なのか。
もしくは“自己の唯一性への執着を持たない”蒼崎橙子だからこその態度なのか、わからないが。
「――――原作の知識の対価は、記憶の封印処置と君への警告。
身体を作って欲しいのなら、その対価はこの街から離れ、呪いを解く手段を入手する事だ」
提示された交渉内容に、息を呑んだ。
対価が変わる事はあり得ない。
後はこの条件に頷くか、首を振るか。大き過ぎて身体が縮こまる程に未来を決める選択肢。
一時の激流に飛びこみ、もう一度だけ命を賭けるか。
それとも……この腕の中にいる女の子に土下座し、妥協を乞い、人目を忍んで平穏とは似つかない生活を甘受するか。
「まぁ、結論を出すのは明日でいい。
前にも言ったが、私は吸血鬼に関しては専門外だ。等価交換を出した手前、後で出来ませんでは魔術師として示しがつかないからな」
弓塚さつきを一日貸してくれと、そう蒼崎橙子は言う。
その猶予で、身の振り方を考えろと。
「ア、アキ君……」
弓塚が心配そうにこちらを見上げる。
服は皺くちゃになるくらい握られていて、瞳は不安一色だ。
「その、あまり分かってないんだけど……む、無理はしないでね?」
「お前……っ」
「だ、だって、わたし一人のためにアキ君と琥珀ちゃんを巻き込むのは嫌だから。
そんなの、天秤にかけるまでもないってわかって欲しい」
二人を救うために、一人を切り捨てる。
どこかで聞いた台詞が、今は心に響く。それを言ったのが弓塚ってのが、余計に悲しい。
「……一晩たったら、迎えに来る」
まだ答えは出て……違う。もう選択肢は決まっている。
問題はその覚悟。
生半可な決意じゃ、いつか振り向く。
今回は選べる。選べてしまうのだ。
追い詰められての選択ではなく、行くか、退くか。その選択肢が重く圧し掛かる。
しかも、確実に自分以外の命を背負ってだ。
そんな覚悟、まだ用意なんてしてないってのに。
だから、絞って絞って、この一言しか言葉にできなかった。
「……うん、わたしはどっちでも、アキ君の選んでくれた道に後悔はないから」
だって言うのに、弓塚は学校に通っていた頃と同じ風に恐れもなしに口にする。
「わたしはアキ君についていく。
アキ君がわたしたちの事を考え抜いた上で、わたしに死ねって言ったのなら――」
いざという時は、男性よりも女性の方が強くなる。
それはこの目の前の女の子も例外じゃない、と気付かされて、
「――――わたし、死んであげるよ」
怖いけどね、と笑い、俺の腕を解いて一歩だけ離れた。
……普段はボケてるくせに、ネロ・カオスの時やシエルとの戦闘など必要とされる場面では卑怯なくらい格好つけやがる。しかも素で。
馬鹿なこと言うな、とか、守ってやるから心配するな、とか。
そんな感じに、物語の主人公みたいに恰好を決められない自分が情けない。
「……あぁ、そこのお二人さん。告白シーンはもう終わったかい?」
「はぅ!?」
不味そうに煙草をふかしながら、遠い目でこちらを見つめる蒼崎橙子。
そうでした。つい居場所を忘れてたが、魔術師の工房で何してんだろうな、俺たち。
それと弓塚の反応が尋常じゃない。はぅって鳴き声なんて初めて聞いたぞ。
当の本人は、それどころじゃないらしく赤面してうろたえてるけど。
「ち、違います! い、今のは告白なんて大層なものじゃなくてですねっ」
「ふむ、清々しい程にウブだな君は。
吸血鬼という超越種でありながら人と変わらないその心、実に好意に値するよ」
「こうい?」
「好きってことさ」
「っ!?」
「いやいや、何ネタ走ってるんですか。てか、弓塚も乗ってんじゃねぇよ」
こんな性格だっけ、この魔術師。
……大した問題がない部分だけに、ズレていてもおかしくないかもしれん。
「取りあえず……えっと、弓塚、今の話だが」
「わわっ、なしなし! 今のなし!!
ま、魔術師さん、それより早く調べたりしなくていいんですか?」
「何その苦しい話題転換」
俺も人のこと言えた身じゃないけどさ。
……だけど、ふざけるのもここまでだ。
今夜は少しでも、考える時間は手放せない。
「――――では、そろそろ始めるか」
煙草を何十本と盛られた灰皿に、また一つ押し付けすり潰す。
蒼崎橙子の発した言葉が、この場を立ち去るきっかけだ。
「それじゃ、弓塚のことお願いします」
「朝には済んでいるから、好きな時間に取りに来い。ただし、明日中が条件だがな」
「……わかりました」
重く頷き、踵を返す。
扉に手をかけた辺りで、背中に声がかかった。
「良い返事を期待する」
実に面白そうに、顔は見えなくとも笑っているのが予想できる、そんな声。
嫌な性格してるよ、魔術師って。
「……で、わたしは何をすればいいんですか?」
「そうだな。では服を脱いでくれ、もちろん下着までな。
準備してくるから、それまでここで待機だ」
「ま、また!? しかも全裸待機!?」
悲鳴は放っておいて、俺は伽藍の洞からフェードアウト。
飯はいらない。そんなの喉を通らない。
今日中に覚悟を決めよう。
後悔しないだけの強い覚悟。それができなきゃ、弓塚にはもう会えない。
◇
「…………ふぅ」
疲れも癒すついで、ホテルの部屋に付いている風呂を沸かし、そこで考える事にした。
悩んでる時は、こういう狭い空間の方が何となく落ち着くし。
「……どうしてこうなった?」
先日に吐いた台詞をもう一度。まぁ、世界がどうたら言われた前回ほどの衝撃はないんだけどね。
それでも、さっき蒼崎橙子と弓塚さつきを会わせた隣で、おぉ、クロスオーバーだ〜なんて少し感動してたりしていたのだ。
それが遠くない日にゃfateの誰かと会う事になろうなど誰が思おうか。いや、思わない。
……考える内に、やっぱり、と回避を選択するかもしれないので、まだ決定事項ではないけれど。
臆病とか優柔不断という以前に、どっちを選んでも後悔しそうな二択だからな。
琥珀の凌辱に送る日々を見たくがない為に槙久を殺そうと決断した時と、同じ種類の選択。
上手くいけば万々歳だが、下手したら命の保証はない。しかし、その機会を逃せば以後ずっと悔やむ事になる性質の悪い誘惑に似たソレ。
(ほんと、朝までに全部ケリつけておかないと……)
ここ数日で、正確には昨日の今日で状況が大きく変わってきている。
まず、ゴールが見えてきた。弓塚の問題の決着が。
ここまで来たのは半ば駄目元。逃亡生活をするにしても、思い付く限りの事を試してからとの理由で蒼崎の元を訪ねたのだ。
そして……意外にも、望みは叶った。
吸血鬼の身体のままでも、やり方次第で制限付きの日常は手に入れられるという事実。
問題は、その日常を手に入れるための手段。
対価として提示された代物を得るためには、戦争に参加せずに……なんて虫のいい話では獲得できないそうにない厄介な物だ。
……というか、万が一fateの方も“ズレ”ていたらどうするんだろうか。聖杯戦争の時期とか。
月姫に比べて、前後のどちらに位置する物語かはわからないので、そもそも“ズレ”かどうかさえわからないけど。
「………そこは考えても仕方ないか」
時期が違っていたところでどうにもならないし、今は無駄な思考は却下だ。
不安定な世界、魂まで乗っ取ってしまった憑依など、他の悩みも尽きない。
頭を抱えるにしても、自身に近い問題から順々に考えたいのだ。
「取りあえずは、」
肩まで……だとのぼせるので、胸の下辺りまで湯に浸かる。
今日は長湯。超長湯。覚悟が決まるまで風呂から出んぞ〜な勢いで。
手と足を目一杯伸ばし、骨を鳴らす。
目の前にある二つの選択肢、その未来。
今一度、その情景を出来る限りリアルに思い浮かべる。
「――――アキさん?」
思考が中断。
思いがけない声が聞こえて、ドア越しに洗面所の方へ振り向いた。
琥珀?
……しかいないよな。弓塚は向こうに預けてるわけだし。
「起きたのか?」
浴室で出す声はやけに響く。
隣の部屋への防音がどのくらい効いているのかわからないので、普段よりも小さな声で確認する。
「はい。すみません、私だけ勝手に寝てしまって」
「屋敷にいるわけじゃあるまいし、気にする必要ないぞ? 疲れてたのに気付かなかったこっちも悪いし」
「い、いえ、別に疲れが溜まっていたわけでは……」
言葉が遮られる。
琥珀には珍しく、はっきりとしない喋り方。続く言葉もないまま、ガラス越しに沈黙している。
「え、何か用か?」
「……何も。ただ、声が聞きたかっただけで」
「そうか」
「はい……」
「………」
「………」
なぜか一向に立ち去る気配のない琥珀。
これは……気にしたら負けなのか?
しかし、顔を向ければ影があるので、何と言うか考え事をするにしても非常に集中しにくいぞ。
「あの……さっちゃんはどこかにお出掛けですか?」
「弓塚? あいつなら魔術師のところにいるから、今日は返って、いや、帰ってこないぞ?」
「そうですか……」
「もしかして、用って弓塚に、」
言う前に、足音が離れていく。
……人の言葉を無視する琥珀って珍しいな、なんて思ったら、三十秒経たない内にまた洗面所に戻ってきた。
そして聞こえる衣擦れの音。
………うん?
「お邪魔しますね」
「――――ちょっ!?」
ガラッと躊躇の欠片もなしに洗面所の扉が開く。
その先に立つのは、幻覚じゃなかったらバスタオル一枚を身体に巻いた琥珀。
手に得体のしれない緑の物体を持って……やだ、気味悪い。それを抱きかかえている琥珀は綺麗だけどさ。ビバ、素肌。
って、落ち着いて鑑賞している場合じゃない。
「こ、琥珀っ! お前、なに入ってきてんだよ!?」
「あら、アキさん照れてるんですか? ふふ、可愛いですね」
「いやいや、お前も顔真っ赤なんだけど」
「い、言われなくてもわかってますよ!」
じゃあなぜ入ってくる? 琥珀ってこんな自爆娘だっけ?
突っ込んだら怒られるし、訳わからん。
何を考えてるか知らんが、ここは冷静に対処を……
「あ、あの……身体を洗いたいのですが」
「わ、悪いっ!!」
慌てて身体を反転させ、壁を正面に。ついでに目も瞑る。
そうだ、バスタオル姿じゃ身体に石鹸つけられない。ボケっとしてないで気がきかせろよ、俺。
……な、何で謝ってるんだろうな。ちょっと混乱してきたぞ。
そんなこっちの心境はお構いなしに、背中からは身体を擦る音。次にシャワーの音へと切り替わる。
やがてそれも止み、水の滴る音だけが耳に残った。
「終わりました……足、曲げてもらって宜しいですか?」
「あ、あぁ」
そっと揺れる水面。
窮屈になりながらも琥珀の入るスペースを確保した。さながら、体育座りに似た格好だ。
「えっと、タオル使います?」
「先に渡せって」
ひょい、と胸元からタオルを取り出したので、それで急いで下半身を隠す。
心もとないが、これで少しは落ち着いたぞ。
「……あれ? 琥珀、それって」
「覚えてるんですか?」
「そりゃ一応は。贈った本人だし」
浴槽に浸かる琥珀は、先の緑の物体を抱いたまま。
そして良く見ると、そいつには見覚えがあった。
「……ぬいぐるみ、まだ持ってたのか」
「大事にしてるでしょう? 見て下さいよ、この治療の痕」
「カッパ……だよな、それの原型は。何かキモイけど」
「し、失礼ですね!? 立派な河の主ですよ、この子!」
「だって頭に皿ないじゃん、そいつ! しかも全身ツギハギだらけで、何かブラックジャック思い出しちゃったよ!?」
捨てないで大切にしてくれていた証拠なのだろうけど、子供にあげたら絶対泣きそうな面してるし。
まぁ、八年も前の物だから仕方ないけど。
「……で、その、何だ……どうしたんだよ、一体。
まさか、ぬいぐるみを見せるためにこんな事したんじゃないだろ?」
「…………」
琥珀の身体を直視しないようにそっぽを向きながら話しかける。
が、返事はなし。動こうにも、こっちからは動けないのがつらい。……動けない理由は、男だったら察してほしい。
「あの、さ……思春期の男にこんな行為して、何も言わずに黙ってたら、あ〜、普通は勘違いされるぞ?」
だから、用件を早く喋ってくれ。
まるで、駄々をこねる子供に言い聞かせるようだなと言って感じた。
いつもなら表情だけで読み取ってくれる筈なのに、返ってきたのは見当違いの言葉。
「……なら、ここで襲います?」
「ぶっ!! な、なに言い出すんだよ、熱でもあるのか!?」
「言い出したのはアキさんの方です」
「じょ、冗談に決まってるだろ、そんなの!?」
「私はっ――――!!」
普段の琥珀からは想像できない叫び声。思わず怯む。
何をしたわけでもないのに、琥珀の息が荒い。
身に纏うのは互いに布一枚で、その状況を再認識した脳が心臓を馬鹿に動かしてくる。
……冗談じゃない、とでも琥珀は言おうとしたのか。
(っ、それこそ……)
そっちの方が、冗談では済まされない。
琥珀は知らないのだ。この身体は別人のもので、七夜アキハのではない事を。
そもそも七夜アキハ自体、イレギュラーで作られた存在である事を。
前の世界の事は、もういい。
こっちで過ごしてゆく事は、本編の終わりにケジメをつけたから。
だが、それと身体の問題は別。
違和感なく動かせても、魔術回路を使えても、自分以外の別の男の身体である事に変わりはない。
「アキさ……うぅん、アキ」
懐かしい呼び方。
そして気付く。琥珀のリボンが、青色ではなく白色に変わっている事に。
リボンは少し汚れていて、新調したものでない事は明確だった。
それは、何の覚悟の現れか……
「大事な……大事な話があるの。
――――逃げないで答えて下さいね」
真剣な顔つきと口調が、昔の琥珀と重なる。
世界の事や、対価の事。
そんなものよりも先に、決着をつけなきゃいけないものがある。
今夜の行く末はどこか。
……長い夜になる事だけは、確かだった。
…長ぇ、いつもが短いだけなんですが(--
心の方をメインにする話は、次回で一段落つけたいかと。