「……うおぉ、恥ずかしい」
「琥珀ちゃん、何かアキ君がさっきからずっと悶えてるんだけど」
「まだやってたんですか……」
ホテルの一室。ベッドの上で転がりながら今日を猛省中の俺。
もう時間帯は夜になるが、昼間の失敗がなかなか頭から離れないでいる。
「琥珀ちゃ〜ん、髪の手入れお願いしていい?」
「はいはい、ちょっと待ってね」
風呂上がりのいつもの光景。
弓塚がごろんと横になり、ドライヤーで乾かしながらトリートメントらしきものを丁寧に塗ってあげる琥珀。
いつもと違うと言えば、二人の恰好が浴衣姿な事くらいか。
気持ち良さそうに手入れをされている弓塚の顔は、実に平和そのものである。
……うん、妬ましい。その緩んだ顔が妬ましいぜ。
「で、アキ君どうかしたの?」
「うーん、昼間の話なんだけど、勘違いというか一人で勝手に盛り上がっていたというか……アキさんらしからぬ失敗ですかね」
「へ? アキ君でもそういう事あるの? ……詳しく知りたいかも」
「人の過ちを笑うなんて性格歪んでるぞ、さっちん」
「ち、違うもん! ちょっとした興味本位だよ!」
別に馬鹿な事をしたわけじゃない、と心の中で言い訳しながらそっぽを向いとく。
弓塚に構うよりも、今は今日起きた事を考えたい。
(まさか、慢性の虫垂炎だったとは……)
喫茶店で藤乃に勢いよく原作介入してみたが、藤乃の現状は思っていた状況と違っていた。
聞いた話では、藤乃は数年前から慢性的な虫垂炎を患っており、今は定期的に検査しに病院へ足を運んでいるらしい。
医学はさっぱりなので琥珀に説明してもらったところ、急性の虫垂炎が再発を繰り返す症状だとか。
何で手術をしないのか疑問だが、そこは色々と事情があると言っていた。
……原作のズレかどうかはわからない。
月姫と空の境界の時系列や藤乃と鮮花が会う時期ははっきりと覚えているが、月姫とfateに比べて空の境界はそこまで読み込んだわけじゃない。
てか、らっきょの下巻に至っては読んですらいないし。
まぁ、ズレているかどうかはともかく、この世界の藤乃が慢性的な虫垂炎を患っているのは変わらない。
しかし慢性って……また随分と厄介なものを抱え込んでるなと思ってしまう。
(そうなると、藤乃って助けられなくね?)
病を治せないのだから、藤乃の暴走を止めるにはあの不良どもをどうにかするしかないだろう。
だが、藤乃と不良どもがいつ接触するかはわからない。
八章ある映画のうち、痛覚残留は三番目という事以外は知らないのだ。
……それとも、無理に介入する必要はないと割り切るか?
元々、ここへ来たのは蒼崎橙子と接触するため。
危険性がないなら救ってやりたいが、それに気を取られて本来の目的を疎かにしては意味がない。
「いざとなったら、志貴に頼る……かな。どうしよ」
「アキさん、また難しいお顔をしてますね」
「……いつの間に目の前にいるし」
深く思考に没していたせいか、気付かないうちに琥珀がベッドに腰掛けていた。
弓塚は? と思って振り向くと呑気にお笑い番組を見ていやがる。ちくしょう……。
「昼間の事、まだ気にしているんですか? 間違いくらい誰にでもありますよ、普通」
「そうじゃない、考えてたのは別の事だって」
「それは良かったです。今日はたくさん遊びましたけど、アキさんだけ楽しんでいなかったら寂しいですし」
「……ほんと、無駄に遊んだよな」
喫茶店で談笑した後、都内を案内してもらいショッピングやカラオケに行ってまいりました。
買い物はともかく、カラオケとか久しぶり過ぎてちょい焦った。
三人とも歌が上手いというか声が凄く良かったし、どう考えても俺だけ浮いていたが……聞けたから役得か。
また機会があれば、ぜひ能登さん……じゃなくて、藤乃とデュエットしたいなと、
「って、気が緩み過ぎだ、俺」
「いいじゃないですか。従妹の藤乃さんとも仲良くなれたんですから、アキさんにとっても決して無駄な時間ではないと思いますよ」
「……そうか?」
「はい」
微笑んで手を合わせる琥珀。
こっちも楽しかったし何より琥珀がそう言うなら、まぁ、言葉は取り消しておこう。
「そうだな……無駄にってのは撤回する。疲れたのに変わりはないけど」
「あはっ、どちらにしても今日は散策しながらデートって感じでしたしね」
「…………」
「は、反応して下さいよ!」
「えっと、切り返しが思い浮かばなくて……」
何を勝手に自爆してるんだろうか、琥珀は。
微妙な距離感に戸惑い、気を逸らすために携帯をいじる。
そう言えば今日の別れ際、鮮花とメールアドレスを互いに交換した。
藤乃とはしていない。タイミングが合わずに切り出せなかっただけだけど。
しかし鮮花の連絡先は手に入れられたのだから、ここから黒桐幹也と連絡を取れるかもしれない。
彼に接触できれば、そして協力を得られれば蒼崎の住処を見つけるのも格段に速くなるだろう。
少なくとも、漠然と探すよりは余程いい。
問題は原作キャラと関わるのはどうかといった話だが、蒼崎燈子と会う以上、その周辺の人間は仕方ないと考えておくしかない。
……明日、鮮花に掛け合ってみるか。
幹也に渡す依頼の報酬をいくらか用意して、話をつけられれば……一週間ほどでケリがつけられるかもしれん。
「……そ、そういう時はですね、“デートにしては、あまりイチャイチャできなかったな”風な感じで言えば」
「え、まだ話って続いてんの?」
憑依in月姫no外伝
第六話
「ここが、依頼されていた蒼崎橙子さんの事務所だ」
「キングクリムゾン」
一週間後、黒桐幹也に案内されて目的の場所に辿りついた。
伽藍の堂。
黒桐さんに提示したのは、蒼崎橙子という名前と人形展を時々開く腕のいい人形師といった情報。後は俺が描いた似顔絵くらいなのだが……。
「黒桐さん、よく見つけられましたね」
「少し手間取ったけど、調べているうちに僕もその人物に興味が沸いたんだ。
だからかな、思っていたより早く終われたよ」
ここに足を運んでいるのは、俺と黒桐さんの二人だけ。
琥珀はあくまで世話役だし、弓塚を連れてくるのは蒼崎橙子と話がついてからだ。
会う前から連れてきたら、下手に警戒されかねない。
それにしても、こうして黒桐幹也と会えた事に実は少しばかし驚いている。
高校二年と言えば、両儀式はまだ昏睡状態にある時期だ。
しかも春先なため、入院してからそう時は経っていないはず。
……なのに、黒桐幹也の顔に憂いの色は見えない。
表情を隠すのが上手い人だとしても、探偵事を請け負うほど余裕があるのはどうなのさと思う。依頼しといて何だけど。
(まさか、藤乃と鮮花のようにズレがあるのか?)
例えば一年、両儀式の昏睡が早かったのとなればこの状態も納得できる。
見舞いの足は絶えずとも、時が経てば不安にも一応慣れるのだろう。
――――どちらにしても、今考えたところで仕方ないか。
気持ちを切り替え、伽藍の堂を見上げた。
原作と同様の外観。四階から上は工事が途中のまま鉄骨むき出しの建物で、隣に大きなマンションが建っているせいで少し日当たりが悪そうだ。
「すみませんけど、後は俺一人で行かせてもらっていいですか?」
黒桐幹也はいずれ蒼崎橙子と会う事になるが、それは今日じゃなくてもいい。
魔術関係の話に入るのは必然。こっちの事情にあまり巻き込むわけにもいかない。
「おしいけど、僕も日を改めるよ。
……それはそうと、依頼料をあんなに貰って良かったのかい? 僕程度が受け取るには、額が多いと思うけど」
「いいですって。だいたい、依頼料についてはもう真ん中取って了承って事で決まったじゃないですか。
元々、黒桐さんに頼まなければ本職の探偵さん雇ってましたし、今更渋られても困りますよ」
それに、また世話になる可能性もないわけじゃない。
蒼崎との交渉がどう進むかわからないが、穏便に済めばまたこの地を訪れる事もあるだろう。
最後にお礼を言い、いざ伽藍の堂へ。
三咲町を出てから一週間と一日。
その間に三人もの原作キャラと出会ったのは予想外だったが、浅上藤乃のおかげでこの世界にズレがある事、黒桐鮮花と黒桐幹也のおかげで伽藍の堂を見つける事が出来た。
足を進めるにつれ、身体が強張るのが感じられる。
月姫本編を経験した時と似た雰囲気。三咲町を駆け回った嫌な思い出が頭に浮かぶ。
「……呑まれてちゃ駄目だよな。よしっ」
気合いを入れて、取り付けられていたインターホンを押した。
直後に響く電子音。ついでに心臓も高鳴った。
数秒の時間が長く思えてくる。
対面する前からこんなに緊張してたら、この先やっていけん。チキンもいい加減にしないとな。
扉の向こうから足音が近づき、ガチャリと音を立てて傾くドアノブ。
「――――誰だ」
「……突然の訪問、申し訳ありません」
開いたドアから蒼崎橙子が顔を出す。
後ろで結んばれた髪。色はくすんだ赤色で、ラフな格好と映画で見たのと同じ人間。
本人がいてくれた事に、まずは胸を撫で下ろした。
「名を七夜アキと言います。本日は二つほど、蒼崎橙子さんの力をお借りしたくて参りました」
偽名は使わない。
ここでは敢えて七夜と名乗った方が、向こうもこっちを判別しやすいから。
眼鏡の奥の瞳が上から下、そして上へと素早く動く。
全身を見られている感覚が一瞬、蒼崎橙子は口を開いた。
「依頼か、久しいな……しかし見たところ、君はまだ子供だろう。私の仕事は安くないぞ」
「えっと、お金ならこのくらい用意してありますが」
そう言って用意しておいた通帳を手渡す。
手渡されたそれを開き、記名してある金額を見て考えるような仕草を取った。
「……七夜アキと言ったか?」
「はい。退魔の一族の生き残りです」
「そうか……取りあえず話を聞こう。上がってくれ」
言われて、二階の部屋へと案内される。
出だしで転ばなかった事に、心の中でやったぜ弓塚と小さくガッツポーズ。
肝心のあいつは、今頃ホテルでPSPでもやってるだろうが。
部屋は外観を見て思った通り、日当たりが悪く昼間だというのに薄暗い。
蒼崎橙子が使っているであろう机の上は乱雑に物が散らかっていて、部屋全体の印象はお世辞にも綺麗とは言えないものだ。
置かれてあるソファに腰掛け、座るよう促されたので俺も対面に腰を下ろす。
眼鏡を押し上げ、さて、と一声。
「私は蒼崎橙子。ここ、伽藍の堂のオーナーをやっている。
むろん、知っていて来たと思うが一応自己紹介だ」
名刺を渡される。
こっちが子供とはいえ、仕事上の客として扱ってくれるのはありがたい。
差し出された名刺を受取り、玄関前での言葉を繰り返す。
「丁寧にありがとうございます。
七夜アキ。七夜の一族の生き残りで、今は遠野家の使用人をやっています」
「遠野家とは、あの財閥の遠野か?」
頷く。
七夜の一族、遠野の使用人、これほどわかりやすい相手の情報はない。
複雑な事情を持った身の上だが、そこは聞かれたら素直に答えればいいだろう。
「ふむ……聞きたい事はいくつかあるが、先に本題に入ろう。
君は二つほど、私の力を借りたいと言っていたが」
依頼の内容を聞かれ、一旦、気を落ち着かせる。
依頼は二つ。一つは弓塚の替えの身体だが、二つ目はまだ誰にも言っていない。
二つ目の依頼が、琥珀も弓塚も、今日一緒に連れてこれない最大の理由。
そいつを、深呼吸してから口にした。
「依頼の一つは、吸血鬼用の替えの身体を作って頂きたい事。
―――そしてもう一つが、俺の記憶を魔術で外部から読み取れないようにガードを掛けて欲しい事です」
聞いて、蒼崎橙子の眉間に皺が寄る。
飛んだ依頼内容、おそらくそう思ったに違いない。
「……そいつは、また」
面倒な、それとも厄介と言おうとしたのか。
表情は渋く、相手の一挙一動に不安になる。
だが、こっちも冗談や酔狂でこんな事を依頼しにきたわけじゃない。
「駄目でしょうか?」
「……その前に、君は勘違いをしている」
溜息とともに吐かれる言葉。
知識の無さに呆れたのか、姿勢を崩して煙草を胸ポケットから取り出して吸い始めた。
ふぅ、と口から出る煙にちょいと咳き込む。
「おっと、済まないね。
……だが、君の依頼は普通じゃない。それでは私も仕事にならないのでね」
「えっと、何がおかしいのでしょう?」
突き放した物言い。
魔術の知識がない俺には、何を指摘されているのかがわからないままだ。
「私は人形師だが、吸血鬼となれば分野は別だ。
それに、君は替えの身体と言っているが……身体を移し替えるにしても、そこには複雑な術式が幾重にもなることで初めて効力を発揮する。一朝一夕と簡単にできるものではない。ましてや、対象が人外なら尚更だ」
強い口調が部屋に響き、加えて、と言葉は続く。
「君の記憶に魔術を掛けるという事は、魔術を行使する側は必然的にソレを覗く事に他ならない」
つまり、君の記憶、秘匿にされている技術なども相手の手に渡るという事。
それは魔術師にとって許されざる事だと、蒼崎橙子は言った。
(……いや、関係ないんだけどね)
真剣に話をされているところに悪いけど、その理屈は当てはまらないなぁと脳内で突っ込んでおく。
だって魔術師じゃないし、俺。
というか、fateでも凛が士郎の記憶を消す場面があったが、あれだって記憶操作の一環だ。
相手の記憶全てを覗かなくても、指定の記憶だけ操作できると考えていたんだが……そんなに強調して言われる事なのだろうか。
それに、弓塚の身体はどうも無理っぽいが、記憶の方は最初からその程度は予想済み。
これから生きていく中で、いつ何が起こるとも限らない。
知らぬ誰かに記憶を読み取られる事態も、可能性としてありえるだろう。
だからこそ魔術の使えない自分に変わって、誰かに予防策として外部からのプロテクトを備えてほしいのだ。
弓塚の身体を依頼するついでに、蒼崎橙子ならその際に記憶を見られても構わない。
封印指定で隠れた生活をしており常に中立の立場で傍観するであろうこの魔術師なら、さして問題ないと俺は踏んだ。
「――――覗かれても構いません。
魔術師と言うよりただの魔眼使いですから、代々伝わるものなんてのは持っていませんし」
自分は魔術師ではない。だから問題ないと言い返す。
「取りあえず、頭の中を見てくれませんか。
そしたら、依頼した訳もわかると思いますので」
「……面倒だな、手間賃を頂くぞ?」
「え、マジッすか!?」
「これも立派な依頼だからな」
手の平をこちらに差し出したのを見て、頭を前に出した。
と言うか、まさかの手間賃……金には困って無い印象があったんだが、意外にケチなのか、この人?
って、今は下手な事を考えない方がいいか、読み取られるし。
――――途端に、辺りが静寂になる。
雑音は世界から消え、耳に届くのは……ドイツ語だろうか。呪文を呟く声が聞こえ、意識が段々と薄くなっていく。
頭のあちらこちらが引っ張られる感じ。
どこまで見られるかわからないが、人間ってのは記憶したものは自分が忘れたと思っていても、意外に頭の中に貯蔵されているものらしい。
それらはただ想起できないだけ。要は、こっちの忘れてる事も今、蒼崎橙子は読み取っているかも知れないという事。
……そう言えば、藤乃って原作でも慢性の虫垂炎だったな、確か。
魔術で読み取られている影響か、何となく思い出してきた。
「……ん」
頭から魔術の流れと思わしき違和感がなくなる。
終わったのか? と頭を元に戻してみた。
「えっと……蒼崎さん?」
目に映ったのは、これ以上ないくらい難解な問題を見つめているような蒼崎橙子の表情。
瞳が合った瞬間、何もなしに背筋が震えた。冷や汗も、流れる。
……まさかとは思うが、士郎のように殺されたりしないだろうか。
そんな事はないと思いたいが、この状況を見る限り言い切れない雰囲気。
死亡フラグに片足突っ込んだ、なんて思いたくないけれど。
逃げの一手も視野に入れ、相手の反応を固唾を呑んで見つめる。
これ以上ないくらい力が入る身体。
警戒させないため、弓塚を置いてきたのと同じく牽制用の棒手裏剣も今はない。
魔眼もこの一流魔術師に対しては、何それおいしいの状態だろう。
だが、実際にその足が跳ねる事はなく、
「―――す、すまない、もう一度見せてもらえるか? 手数料は取らんから」
「えっ、は、はい!」
平常を装いながらも狼狽する蒼崎橙子に、大いに安堵。
……いやぁ、ストレスで胃がマッハに痛む。また寿命が縮んだよ、絶対。