「……」

 

「……」

 

 

 蛇に睨まれた蛙の如く、息苦しい雰囲気が漂う中、

 

 

「……アキさん、これ、お返ししますね」

 

「は、はい……」

 

 

 スッと白いリボンが差し出される。

 

 正座したまま、更に姿勢を低くしてそいつを手に取った。

 

 

「……さっちゃん、ボロボロですね」

 

「ぐっ」

 

「アキさんも傷口が開いて、右足には大怪我して……他の皆様も」

 

 

 琥珀の指が、眠っている弓塚の頬を撫でる。

 

 バーサーカーとの戦いで受けた傷に加え、服の裂け目から当てられた日光に依る吸血鬼故の火傷。

 

 それでも、不利な状況の中で踏ん張ってくれた弓塚は、今は深い寝息を吐いている。

 今朝と打って変わり、所々に巻かれた包帯が痛々しい。

 

 

「――――アキさん、私、怒ってます」

 

 

 真剣な表情で、睨まれる。

 怒鳴るよりも冷やかな口調で言われる方が心に刺さると、厳格な面を崩さない琥珀を見て思った。 

 

 

 キャスターの転移魔術で可能な限り遠くへ跳んだ後、悲鳴を上げる身体を押して衛宮邸へと帰還。

 

全員魔力が空なのは言わずもがな、裂傷を負ったキャスターやゴドー、シオンも何気に酷い怪我で、士郎に至っては重傷だ。

 血の臭いを漂わせたこのメンツを見て、琥珀と桜は良く卒倒しなかったものだと思う。

 

 

「能力行使に疲弊した私を心配して、また桜さんの事もあってアサシンさんを傍に付けたのだと――解ってはいます」

 

「えっと……全員無事だったから良し、にはならないか?」

 

「駄目に決まってますっ!!」

 

 

 いきなりの大声。

 引っ繰り返りそうになり、慌てて床に手をついた。

 

 隣で、布団に包まりながら寝返りを打つ弓塚の姿。

 愛嬌のある顔付きを見て、少し和む。

 

 

「聞いてますか、アキさん!」

 

「わ、解った。ちゃんと反省してるから、取り敢えず落ち着いてくれっ」

 

 

 周囲を見回しながら、琥珀を宥める。

 

 休息を取っているのは弓塚だけでなく、よって騒ぎは御法度だ。

 感情を優先して目を曇らせるのは、聡明な琥珀らしくない。

 

 

「……それだけ、私も参っているんです。

 アキさんが思っている程、私は強い人間じゃありませんよ」

 

 

 視線を落とし、琥珀は俯く。

 

 何て声を掛ければいいのか。

 こっちの言い分は在っても、琥珀の訴えも十分に理解できる。

 

 

 弓塚とキャスターを説得して、士郎救出は控えるべきだったか。

 もっと英霊エミヤに注意を払うべきだったのか。

 

 

「……」

 

 

 言葉が出ない。

 

 楽観的に振る舞って場を濁すには、現状は重過ぎた。

 

 

 

 

「――――決めました」

 

 

 ふいに、琥珀の眼の色が変わる。

 危なげな光が宿った、決死にも取れるその表情。

 

 垣間見えたそれは、とても見逃せるものではない。

 

 

「おい、間違っても危険な事は――」

 

「それを、アキさんが言うんですか?」

 

 

 遮られる。

 真一文字に口を結び、強い視線で抗議する琥珀。

 

 それが、何故か泣き顔に見えてしまう。

 

 

「私が起きてから、どのくらい不安だったか……解ります?

 桜さんを心配させまいと、気丈に振る舞っていましたけど……」

 

 

 琥珀の身体が震える。

 

 

「アキとさっちゃんが死んじゃったら、私は――」

 

「悪かった」

 

 

 これ以上聞くのが辛くて、その姿を視界から外す様に頭を下げた。

 

 無力は罪だ。

 いつも、何年経っても、ギリギリでしか生きられない自身の力量が酷く歯痒い。

 

 

「今度から、勝手にいなくなる事は絶対にしない」

 

「……はい、お願いしますよ、アキさん」

 

 

 ふっと、琥珀の気が緩む。

 

 視線を合わせると、一応は許してくれたのか慈しむ様な、けど微妙に睨む様な曖昧な顔。

 ただ、生きていてくれて良かったと……何となく、そんな言葉が感じ取れた。

 

 

「さてっ、では次は私が出掛けましょうか」

 

「ん、何処か行くのか?」

 

 

 そう言って腰を上げた琥珀に、少しばかり眉をしかめる。

 

 

 日は既に大分傾いている。

 完全に没するのはまだ先だが、不穏な空気は段々と町を染めていく。

 

 琥珀も当然、それは解っている筈だ。

 

 

「買出しです。私のも衛宮さんの家にある治療用具も、ここ数日で底を突いちゃいましたから。

 怪我しないのが一番ですけど、これからもそう言う訳にはいかないでしょう?」

 

「だったらアサシンを連れて俺が行こう。そっちの方が安全だ」

 

「足に大怪我しておいて、無理しちゃ駄目ですよ」

 

「いや、完治はしてないが……」

 

 

 凛の魔術で、最低限の処置はしてある。

 包帯を取れば生々しい傷跡が見えるだろうが、痛みさえ我慢すれば動かせる程。

 

 そう伝えて――――琥珀は、困った様な表情を浮かべた。

 

 

「何だ、心配なら一緒に行くか? 手早く済ませる分には問題ないし」

 

「違います、アキさん。

 ……はぁ、言ったらついてきますよね、絶対」

 

 

 首を傾けて唸る琥珀。

 その仕草に何を……企んでいるのかと疑う。

 

 調子は戻った様に見えても、今の琥珀は油断ならない。

 

さっき瞳に見えたのは、紛れもない覚悟だ。

 自己犠牲を良しとする琥珀だけに、弓塚以上に気に掛かる。

 

 

 

 

 そして、琥珀は瞳を据えた。

 

 

 聖杯戦争の負担を少しでも軽くするために動きますと、揺ぎ無い意志を込めて言う。

 

 

「――アキさん、私も命、懸けますね」

 

 

 

 

 

憑依in月姫no外伝

第二十八話

 

 

 

 

 

「何故に女装? しかもまだ人の多い時間帯だし……バレたら変態だよな、これ」

 

「別に無理して付いて来なくても構いませんよ、アキさん?」

 

「いや、大丈夫だ。まぁ、弓塚の服なんで微妙にサイズは合ってないが」

 

 

 ひょいっとスカートを摘まみ上げて、身なりを確認。

 学生や会社帰りのサラリーマンで賑やかな街並みを眺めながら、新都の方面へと足を進める。

 

 

「むむ……本当は私一人で済ます予定なんですよ?

 アキさんがあんまりにも強引でしたから、渋々同行させましたけど……」

 

「せめて何をするかくらい教えてくれ。じゃなきゃ、オチオチ家で待つ事も出来やしない」

 

「あはっ、内容を話しましたら大人しく帰って下さいます?」

 

「それは無い」

 

 

 なら教えませんよーと隣で頬を膨らます琥珀に、どうしたものかと頭を痛める。

 

 

 つい数時間前まで、死と隣り合わせの無茶をした。

 それを許してくれた琥珀ではあったが、やはり本人的にはどれだけ怒っても足りないのか。

 

 お返しとばかりに「命を懸けます」と息巻く始末。

 疲れ果てている弓塚はともかく、まだ動けるこちらとしては流石に目を離せる訳が無い。

 

 

 で、付き添う条件として女装。

 色々とワケワカメである。

 

 

 

 

 強く、北風が吹き付ける。

 服の隙間から染み込む冷気に身を縮めて、そっと琥珀に横目を向けた。

 

 

 互いにコートを羽織っているものの、琥珀の服装は普段と比べてどこか薄い。

 お洒落――これは色気とも言うべきか、この時期にしては些か露出が多く見える。

 

 加えて薄ら纏った化粧に、紅く誘う口紅の色。

 艶のある赤髪から仄かに香水の、言いも知れぬ匂いがして――心臓が高鳴った。

 

 

「アキさん?」

 

「はぇ!? ど、どうした?」

 

「いえ、何だか気抜けた感じでしたので……」

 

「そ、それは……あー、二人で出歩くのは久しぶりだなと思ってな」

 

 

 妙な気持ちを抱いてしまった所為か、咄嗟に言い訳がましい事を口にする。

 

 何をした訳でもないのに、顔が火照る。

 可愛いとか綺麗と言った感覚でなく、もっと別の、胸中に沸き上がった疾しい想い。

 

 

 首を傾げた琥珀は、だがすぐに納得した様に手を打つと、

 

 

「あ、あはは……すみませんけど、刺激が強かったら離れて下さいね」

 

「な、何なんだ、これは?」

 

 

 若干の距離を置いた後に訊ねるも、琥珀は気まずそうに微笑むだけ。

 答える気はないらしい。

 

 

 後ろ髪に結われている白のリボンを触り、思う。

 

 アサシンは近くに置いていない。

 出掛ける時、これは琥珀に言われたのだ。

 

 故に霊体化させてギリギリまで離してあるが、どうにも不安は拭えない。

 琥珀が何をするのか――今の会話で何となく掴めては来たが、それが尚更動機を早める。

 

 

 いざとなったら、アサシンに足止めをして貰い琥珀を抱えて逃走。

 

脳内シミュレーションをしてみる。

 

が、アサシンが駆け付けるまでの一手。

そして現界しての戦闘時間が数秒と限られているアサシンが、どの程度稼げるかを考え……詰む。

 

 

 現実的な選択は、アサシンと共闘して琥珀を逃がす、が精一杯だ。

 

 

「……でも、確かに久しぶりですね」

 

 

 一歩先を行く琥珀が、振り返って言う。

 

 危機的状況を考えていた手前、何の事か解らずに問い返した。

 

 

「アキさんが言ったじゃないですか。久しぶりだって」

 

「あぁ、その事か」

 

「食料は基本的に買い込んでいますし、聖杯戦争中はなるべく大勢で外出してますから」

 

「普段は気を付けてるのに、偶々衛宮一人で出掛けた時だけ上手く攫われるとかやってられないよな」

 

 

 不貞腐れた様な文句に、苦笑する琥珀。

 

 思えば、こうやって二人きりで話す事は稀になったのかもしれない。

衛宮邸は賑やかだし、三咲町を離れてからは弓塚を含めた三人でいるのがデフォルトだ。

 

伽藍の堂を探す時には琥珀と一緒に出歩きもしたが、橙子さんに出会ってからの日々は過酷であったし、余りのんびりと外出を取れなかったのも事実である。

 

 

「私とはともかく、アキさんは鮮花さんや浅上さんと結構出掛けてましたよね」

 

「何か棘々しいな、おい。

後、鮮花とは橙子さんの仕事の件で色々回ったのであって、別に私用って訳じゃ――」

 

「それにしては仲良さげな感じでしたけど。えぇ、アキさんも満更じゃなさそうに」

 

 

 視線が痛い。

 

 

「何か怒られてばっかじゃないか、今日?」

 

「だったら反省して下さいよ、もうっ」

 

「微妙に理不尽な気が……」

 

 

 命云々はまだしも、鮮花とは完全に誤解である。

 

 そう言い掛けて――止まった。

 

 

 否定しきれない何かが、そこにあるのだ。

 友情とか恋愛とか、そう言った俗的なものじゃない。

 

 年が近く、同じ師を持ち、互いに切磋琢磨し合った仲。

 そんな黒桐鮮花に、何を感じていたのかと言えば――

 

 

「秋葉に、似てるんだよな」

 

「……秋葉様?」

 

「そう、容姿に加えて性格の方もな。

 それで心の壁と言うか、パーソナルスペースと言うか……何となく距離を近くに置いちゃうんだろ」

 

 

 同一人物とするには違う所が多々あるが、それでも人間として二人は近い。

 年も下であり、おまけに二人ともこちらより優秀なため、容姿や性格だけでなくポジションも似たり寄ったりなのだ。

 

 秋葉に重ねてしまうのは、無理もない。

 

 

 それを、遠くを見る様に思い出していたからだろうか。

 琥珀の表情が、幾分か神妙なものへと変化する。

 

 

「……秋葉様の事、まだ大切に思ってるんですか?」

 

「ん、どうだろ。琥珀は?」

 

「私は……」

 

 

 即座には答えられず、悩む。

 

 

 嫌いになる理由はある。

 同時に、嫌いになれない理由もちゃんとある。

 

 最後に会ったのは、勘当を言い渡された去年の五月。

 それが酷く、昔に感じる。

 

 

「遠野と七夜にはしがらみもあるし、子供には関係ないと言ってもな……」

 

 

 秋葉は曲がりなりにも遠野家当主。

 琥珀や翡翠、七夜への行いは父の所業だとしても割り切れるものではないし、また割り切ってはいけないのだ。

 

互いに沈黙したまま、歩く。

 夕日に照らされて映った影が、儚く揺れた。

 

 

「……昨日さ」

 

 

 琥珀の後ろ姿を目にしながら、掛ける言葉を探す。

 

 

「シオンさん達と戦った時、走馬灯が流れてな」

 

「そ、走馬灯? アキ、まさか――っ!」

 

「間違えた。こう、刃を交わしていて過ぎったんだが……いや、本当に」

 

 

 ジト目で睨んでこちらを覗き込んで来る琥珀に、流れる汗を隠して続ける。

 

 

「絶対に死ねないと思った瞬間、秋葉や翡翠の顔も浮かんでな。

 猟奇殺人を機に色々と崩れたけど、最後は元の鞘に収まりたいなと――」

 

 

 強く、望んでいる。

 意識的にも、無意識的にも、その想いは深いのだと三咲の町を思い浮かべながらに言った。

 

 そして、それは琥珀も同じ。

 付き人として一番秋葉の近くにいたのは琥珀なのだから、人一倍想いは強い。

 

 

「……そう、ですね。

 寂しくないと言えば、多分、嘘になっちゃいます」

 

「おぉ、そうか。少し安心した」

 

「あ、でも、まだ怒ってはいますよ?

下手したらアキさんが死んでいたんですから、そう簡単には許せませんっ」

 

「……」

 

 

 意外と根が深かった。

 

 眉をしかめる琥珀に、何と返せば良いのか――こちらの所為で怒ってくれている事もあり、中々言葉が出てこない。

 

 

「それでも、私だって好きですから」

 

 

 そう言って、琥珀は表情を元へ戻す。

 

誰を、とは聞かない。

そこまで通じない程、馬鹿じゃない。

 

 

「まぁ、全てはこの戦争を終えてからですよ、アキさん。

 過去の清算も未来の事も、まずは無事に遠野へ帰ってからに致しましょう?」

 

 

 努めて明るく、琥珀は話の幕を閉じる。

 今は集中して、やるべき事をやりましょうと。

 

 

「さて、そろそろ仕掛けますから……手も口も、出来るだけ我慢して下さいよ?」

 

「大丈夫なのか、本当に?」

 

「危険なのは承知の上。

さっちゃんの使い魔を走らせてある程度の情報は揃えてありますから……後は時の運ですね」

 

「心臓に悪いな……」

 

 

 歩を進める。

 標的の姿が段々と近づき、合わせて琥珀の思索も理解する。

 

 

 間桐慎二。

 

 壁に寄り掛かったまま道行く人を値踏みする様な視線で見つめる、桜の兄貴。

 帰宅する気は無いのか、日が落ちかけているにも関わらずマスターでもある彼にその場を動く気配は見られない。

 

 

 と、唐突に彼の足が前に出る。

 魅せられた様に一直線に、その口元は何が嬉しいのか嫌らしく端を上げていて、

 

 

「――アキさん、邪魔はしないで」

 

 

 琥珀の囁いた声が聞こえた直後、慎二が正面に立って行く手を遮った。

 

 

「やぁ、君たち、ちょっと――」

 

「間桐慎二さん、ですか?」

 

 

 目を見開く。

 

 柔和な雰囲気を出したまま、慎二の反応に構う事無く琥珀は続ける。

 慎二に向けて、微笑んで。

 

 

「良かった。やっと……会えました」

 

 

 お願いがありますと、乞う様に慎二へ半歩近づく。

 魅惑的な、理性を壊す香りが、慎二の嗅覚に吸い付いた。

 

 

 

   ◇

 

 

 

「へぇ、じゃああんた等は聖杯狙ってるんだ?」

 

「はい。ですが、聖杯の選定から外れてしまいサーヴァントを持てなくて……。

 それで、間桐の長男である貴方様にお話を伺えればと」

 

「……間桐で見られるのは気に食わないけど、まぁ、目は確かだな、あんた。

 御三家だっけ? 僕には関係ないけど、他に取り入れそうな魔術師はいなかったのかい?」

 

 

 喫茶店の隅の席へと、琥珀は慎二を誘った。

 

 テーブルを挟んで慎二と対峙。

 こっちは隣に座る琥珀と少し距離を保ったまま、二人の会話を黙って見守る。

 

 

「一度、遠坂の魔術師に会ったのですが――」

 

「遠坂? それって、僕と同年代の黒髪の女の子か?」

 

「えぇ、間桐様も彼女の事はご存知で?」

 

「ま、まぁね。同じ魔術師なんだから、顔くらいは覚えてるさ」

 

 

 動揺の色を抑えて、慎二は威張った。

 それに気付かない風に、琥珀はただ話を進める。

 

 

 輪に入らず、外側から琥珀を眺めて思う。

 

 遠野の従者として秋葉に付き添って来た所為か。

 会話が、場の流れを掴むのが、彼女は上手い。

 

 

「魔術師は利己的と言いますか、他者とは相容れない人達が多いです。

 遠坂の魔術師も例に漏れず、私たちは門前払いされました」

 

「ふぅん、可哀想にねぇ。

ま、余裕があるかどこかのお人好しの様に甘ちゃんじゃなきゃ、いちいち他人に構ってられる筈もないか」

 

 

 高笑い。

 琥珀の苦労を憐れと思ったのか、凛に対して優越感を見出したのか。

 

 一頻り笑った後、慎二は背もたれに身体を預ける。

 そして琥珀を値踏みする様に、若干眼つきが鋭くなった。

 

 

「でも間桐の魔術師とは言え、良く僕がマスターだって分かったね。

 もしや……そうだ、実は裏で遠坂と手を組んでたりするんじゃないのかい?」

 

 

 思い付いたのか、こちらを指差す。

 そう考えながらも慎二が悠然とした態度を崩さないのを見て、やはり傍らにライダーを控えさせているのだろうと当たりを付ける。

 

 

 姿の見えない、だが確実にそこに存在するであろうサーヴァントに、心臓が握られる錯覚。

 緊張を解すため、アルバイトのウェイトレスに目を向けた。

 

 ――琥珀に太ももをつねられた。

 

 

「いえ、間桐の家は二人兄妹だと、事前に調べていましたから。

 男と女の役割を考えれば、予想は簡単に出来ましょう」

 

「へぇ、野蛮な女は駄目なのかい?」

 

「えっと、間桐様はお好きなのですか?」

 

「ハッ、まさか!」

 

 

 気分を良くしたのか、ずいっと慎二は前に乗り出す。

 琥珀は動じない。

 

 

「で、何? それでサーヴァントを持っている僕に交渉しに来たの?」

 

「交渉とは些か異なりますが……頼み事を。

 ――間桐様の聖杯戦争に協力する代わりに、私たちにも聖杯を分けて欲しいのです」

 

「協力……いや、それよりも聖杯を分けるだって? そ、そんな事できるのか?」

 

「聖杯は魔力の塊とも言われていますから、複数の願いを叶える事も可能だと思いますが――」

 

 

 もちろん、所有権はサーヴァントを使役する間桐様にあります、と琥珀は慎二を安心させる様に言う。

 

 琥珀の言動に対し、驚く事は何もない。

 

ここまでは予想できた。

 問題はこの後、慎二をどう扱うかにある。

 

 

「……は、ははっ、要はお零れに預かろうってんだ?」

 

「いけませんか?」

 

「いいや、最高だよ。

そうだ、凡人は身の程を弁えなくちゃね。良く解ってるじゃないかっ」

 

 

 間桐の歪んだ環境が、慎二の腹から声を上げる。

 

 その姿は、どこか憐れだ。

 慎二は自分と同じで、人を見下せる側には決して行けない。

 

 

 本物の真祖や、二十七祖の一角が放つ存在感。

 才覚を秘めた混血の娘や一流の魔術師を目にした事があれば、その境界線は容易に測れる。

 

 世界を埋め尽くす、不条理な程のアンバランス。

 慎二はまだ、それを知らない。

 

 

「おい、協力してやってもいいが、幾つか条件がある」

 

 

 当初に比べ機嫌を良くした慎二が、ふいに琥珀の手を掴む。

 

 衝動的に構えそうになった。

 が、琥珀が抵抗する素振りを微塵も見せないため、仕方なく抑える。

 

 袖を捲り上げて、指を這わせる慎二。

 左手にも同じ動作を繰り返した後、初めてこちらにも声を掛けた。

 

 

「そっちの女も手を出せよ」

 

 

 やはり男で扱われる事はないらしい。

 

 

 気持ち悪いとも思ったが、我慢して無言で差し出す。

 琥珀と比べて荒れた肌に、慎二の眉間に皺が寄る。

 

 余り触る気は無いのか、短い時間で放された。

 

 

「……ふぅん、令呪は無いね。マスターじゃないのは本当か」

 

「信用して下さいました?」

 

「どうだか。あんた等が使える人間か、まだ分からないからね。

 顔はそこそこ良いけど、それだけで聖杯を分けてあげる程お人好しじゃないよ、僕は」

 

 

一般人の協力なんて高が知れてるからね、と言い捨てる。

 

 

「私たちが魔術師では無い、とお思いで?」

 

「証拠が無いだろ?

情報を持ってるくらいで相手の素性を決めつけるのは、馬鹿な凡人がする事さ」

 

「……」

 

 

 証拠を見せろ。

 暗に慎二は、そう要求を提示する。

 

 これは、半ば当然の流れ。

 

 

 マスター同士なら互いにサーヴァントを見せる事。

 魔術師として取り入とうとするならば、己の素性を現す事。

 

 琥珀が、この状況を失念していたとは思えない。

 

 

 ――――どうする気か。

 

 

 心配して琥珀の表情をそっと覗いくが、琥珀に焦りの色は無い。

 

 ただ、困った様な面持ちで慎二に視線をやって、

 

 

「解りました。

 ……あの、少しお顔を前に出して貰えます?」

 

「あ? べ、別にいいけど――」

 

 

 慎二の顔が不意に染まる。

 身を乗り出した琥珀の胸元に、視線が食い付いて――

 

 

「んっ」

 

 

 

 

 ――――唇が、重なった。

 

 

「ん……ふぅ……」

 

 

 琥珀の舌が慎二のそれに絡まり、ぴちゃぴちゃと卑猥な音を立てる。

 

 目を閉じたまま、琥珀は水飴を嘗める様に舌を動かしていく。

 唾液が口の端から筋を作り……喉を鳴らした。

 

 

 ふいに、琥珀のキスに魅了されてか慎二の手が布越しに胸を掴む。

 喘ぎ声を漏らした琥珀は、その手を押さえて、スッと身を引いた。

 

 

「いけません……こんな所で」

 

「な、何だよ? お前から誘って来たんじゃないかっ」

 

「魔術です、間桐様。

 証拠が欲しいと仰いましたからお見せしたのですが……お身体の調子は変わりません?」

 

「か、体?」

 

 

 言われて、慎二は肩を動かす。

 

 他者には分からぬ違和感。

 慎二の表情が、段々と驚愕を帯びたものへと変わっていく。

 

 

「な、何だ……軽い、凄くいい気分じゃないか! 力が沸いてくる!」

 

「私の一番得意な魔術です。強化の部類に入りましょうか……もちろん、サーヴァントに対しても有効です」

 

「へぇ、いいじゃないか。そっちの子はどうなんだ?」

 

 

 気分が高揚しているのか、満足気に琥珀を見つめる慎二。

 自身の唇をなぞり、今度はこちらに顔を近付けた。

 

 

 ――冗談じゃなかった。

 

 

「こ、この子は違います! 間桐様!」

 

「あ? 何、駄目なの?」

 

 

 拳に力を入れた手前で、琥珀が割って入る。

 先程までは澄ました顔をしていた癖に、今は打って変わって慌てた調子。

 

 

「この子は魔術師じゃないんです。剣術が得意なだけで、後はその……。

 だ、だから、今みたいな事をしても意味はありませんっ」

 

「ちっ、詰まらないな……」

 

 

 琥珀の言葉に、惜しそうに慎二は引き下がる。

 

 そうして席に着くも、慎二の様子は落ち着かない。

 足を揺らし、気持ちが浮足立った……そんな感じに。

 

 

「――間桐様」

 

 

 それを見計らった様に、琥珀の声が耳に届く。

 顔を上げた慎二の顔は、どこか呆けていた。

 

 

「こちらも魔術を見せましたから、サーヴァントを見せて欲しいのですが……。

 ――――此処を出て、人気の無い場所へ移動しません?」

 

「は? な、何でそんな事――」

 

「駄目でしょうか?」

 

「……ま、まぁいい。力を見せてやるのも上の務めだしね」

 

 

ジッと琥珀に見据えられ、あっさりと慎二は頷く。

 

 琥珀の態度、一連の行動に明らかに低下した警戒心。

 しかし、それだけでは説明できない様な何かが……

 

 

「ほら、来いよ」

 

 

 何を注文するでもなく、こちらを一瞥して慎二は先導を切る。

 琥珀も歩きだしたのを見て、慌てて後ろ姿を追い掛けた。

 

 赤髪の隙間から、うなじが覗く。

 さっきの――嫌らしい行為が許せなくて、思わず琥珀の腕を取った。

 

 

 

 

 申し訳なさそうな、弱弱しく揺れ動く琥珀色の綺麗な瞳。

 

 

「――っ」

 

「さ、行きましょう?」

 

 

 言葉を発する前に、琥珀に腕を引かれてしまう。

 

 意図を確認する暇もなく、店を出た慎二の後に続いて人気の無い路地裏へと入っていく。

 

 

 サーヴァントの登場。

 すでに内心は、穏やかなものとは程遠い。

 

 

「ほら、姿を見せろよ、ライダー」

 

「……」

 

 

 無言で、何も無かった空間から浮き出る人の形。

 紫の髪を膝下まで伸ばし、黒のボディスーツに分厚い眼帯。

 

騎乗を得意とする英霊が、此処に姿を現した。

 

 

「余り役には立たない奴だが、仮にも僕のサーヴァントだ。

 そこらの魔術師なら……そう、例え遠坂であろうとも一捻りで潰せるさ」

 

「本当に英霊を従えていたのですね、間桐様は」

 

「何だ? もしかしてこの僕を疑っていたのか?」

 

「いえ、そう言う訳では……」

 

 

 対峙する英霊を冷静に見つめる琥珀は、その視線を慎二へと戻す。

 

 沈みかけた日の光はこの狭い空間までは入って来れず、辺り一帯は薄暗い。

 慎二の表情が、闇に隠れた。

 

 

「ただ、間桐様に令呪は見られませんから、一体どの様なカラクリになっているのかと思いまして」

 

「令呪? あぁ、気付いてたのか。

 そうさ、僕は他のマスターとは違う方法――この偽臣の書でサーヴァントを卸しているのさ」

 

 

 何でもない風に自然に話す慎二に、思わず素っ頓狂な声を上げそうになる。

 

ライダーも然り。

 黙して後ろに控えているものの、主の言葉に気配が動く。

 

 

 秘匿すべき情報を、己の手の内を、

 

 

「偽臣の書?」

 

「これの事さ。幾ら協力者である君たちでも、奪おうとしたら殺すからね」

 

 

いとも簡単に、慎二は明かしてしまったのだ。

 

 

「お手間を掛けさせてしまいすみません、間桐様。

 マスターであるその証、確かに拝見させて頂きました」

 

「ハッ、分かればいいんだよ、分かれ――――」

 

 

 恭しく頭を垂れる琥珀の姿に、慎二は充足を感じて足を踏み出し、

 

 

 ――――トスっと、まるで転んだかの様に琥珀の腕の中へと入っていった。

 

 

 ライダーは動かない。

 否、動けないのだ。

 

 

「……」

 

 

 琥珀に抱えられた慎二の首には、袖に忍ばせた鋭利なナイフ。

 主に突き付けられた凶器を視認して、ライダーは武器を構えるまでに止まった。

 

 

「な、何だ? 身体が動かない……お、おい、お前何してるんだよ!? ぼ、僕にこんな事――」

 

「アキさん」

 

「了解」

 

 

 その一声で理解して、騒ぎ立てる慎二の首筋へ手刀を落とす。

 怨みも含めて強めに打ったそれは、綺麗に意識を刈り取った。

 

 

「……マスターに仕掛けた様子は、一度もなかった筈ですが」

 

 

 ポツリと、今まで沈黙を守っていたライダーが呟く。

 視線を外さず、一定の距離を置いた後に琥珀は答えた。

 

 

「流石の英霊さんも、薬物までは警戒できませんでしたね」

 

「薬物? それにしては些かタイミングの良過ぎるのでは?」

 

「あはっ、残念ながらここから先は秘密です」

 

 

 ほくそ笑む琥珀。

 

 英霊との対峙に、竦み上がる事なく。

 マスターを人質に取ったまま、振り絞る様な声で琥珀は言う。

 

 

「――それよりもライダーさん。交換条件です」

 

「マスターの命と、ですか?」

 

「はい。不審な動きさえ見せなければ殺す気はありませんから……まずは後ろを向いて貰えますか」

 

 

 ライダーが従ったのを確認して、先を紡ぐ。

 

 

「貴女の本来のマスターが桜さんである事は知っています。

 そこで質問ですが――ここで偽臣の書を燃やした場合、貴女はどうしますか?」

 

「どう、とは?」

 

「私たちを殺すか、桜さんの所へ戻るかです」

 

「……」

 

 

 一瞬の間。

 

 痛い程に、緊迫する空気。

 

 

「桜がマスターとなれば、私に命令を下すのは彼女です。

 貴女達を殺す必要はないでしょう」

 

「……信じますよ?」

 

 

 願う様に、琥珀はライダーを見上げて言う。

 

 ふっ、と肺から息を押し出して、再び身体に力を入れた。

 

 

「アキさん、燃やして頂けますか?」

 

「……ライター持ってないぞ、おい」

 

 

 飛んだ失態だった。

 

 

「ちゃ、ちゃんと用意してありますよ、もう。

私のポケットにマッチが入ってますから、使って下さい」

 

 

 言われて、琥珀のスカートの脇に空いてあった穴を発見。

 少し赤面しながらも、無心を努めて手を入れた。

 

 

「んぁっ……」

 

「こ、これか!」

 

 

 固い感触が手先から伝わり、急いで抜き取る。

 

 状況が状況なので、余計な事に気を取られる前に手際よく物事を進めた。

 五本まとめて点火し、書の上へと落とす。

 

 

 燃え上がる炎に、露散する魔力を感じた。

 

 

 

 

「――――ふぅ」

 

 

 その場にへたり込む琥珀。

 視線の先のライダーは、早くもこの場から消えている。

 

 身体から緊張の糸が解れていく。

 慎二が琥珀に寄り掛かって気絶したままだったので、さっさと壁際へ退かした。

 

 

「お、お疲れさまでした、アキさん」

 

「お前こそ……はぁ、い、今までで一番疲れたぞ」

 

「一度きりですよ、こんな事は。

 アキさんが無茶を一回したから、私も一回無茶をさせて頂いたと」

 

「ハンムラビ法典ですね、分かります」

 

 

 全くもって、油断のならない女である。

 

 腰が抜けたのか、琥珀は座った状態でモゾモゾと身体を動かす。

 コートを脱ぎ、端に寝かされた慎二へと静かに被せた。

 

 

「この人には悪い事をしてしまいましたね。

マスターとは言え、聖杯戦争の被害者である事には変わりないのに……」

 

「……気にし過ぎじゃないか? サーヴァント使って人を襲ってるんだから」

 

 

 謝る様な視線を慎二に向ける琥珀の、その感情を否定する。

 それが少し意外だったのか、目を丸くする琥珀。

 

 

「あれ? 何か冷たいですね、アキさん」

 

「そんな事ないぞ」

 

「そうでしょうか…………ははぁん、分かりました」

 

 

 嬉しそうに、表情がにやける。

 

 

「さては、他の殿方と接吻をした事に嫉妬していたりして?」

 

「……そう言えば、何で慎二は急に倒れたんだ?」

 

 

 そっぽを向いて話題を逸らした。

 そういう返事に窮する質問は勘弁願いたいものである。

 

 

「……むむ」

 

「膨れるなよ、おい」

 

 

リアクションが弓塚に似てきているのは、気のせいだろうか。

 

 今もぐっすり寝息を立てているであろう元同級生を脳裏に浮かべる。

 

成り行きにもあいつを拾ったせいでこの苦労。

 友情だけでは割に合わない行為だと、自身の性格を棚に上げて少し怨んだ。

 

 

「予め対抗薬を服用しておき、感応能力と一緒に口移しで自白や麻痺や睡眠やらをブレンドした薬物を飲ませただけですよ。

 後はタイミングに合わせて感応の供給を断てば、勝手に倒れてくれますから」

 

 

 これでいいですか、と一息で捲し立てられる。

 どうやら、先程の質問に答えなかった事が余程不満らしい。

 

 溜め息を吐いて、琥珀に背中を向けた。

 

 

「えっ……?」

 

「取り敢えず、もう辺りも暗いんだ。何時までも此処にいるのは危険だろ?」

 

「……そ、そうですね」

 

 

 おずおずと伸ばして来た手を掴み、肩に回してから背に乗せた。

 

 一つ年上とは思えない、軽く華奢な体。

 こんな琥珀に英霊と対峙させていたのかと考えると、色々と悔しくなってくる。

 

 

「……あはっ。おんぶなんて、小さい時以来ですね」

 

「二人しかいなかったからな、あの時は」

 

 

 調子に乗って転び、ゲーム機をぶっ壊したのはいい思い出。

 

 

「で、その、まさかこのまま帰るんですか、アキさん?」

 

「それ以外に帰る方法ないだろ」

 

 

 うぅ、と可愛い声で呻く琥珀。

 

 

「……あの、出来れば人通りの少ない道をお願いできません?」

 

 

 深く身体を預け、耳元で囁く。

 

 柔らかい感触と掛かる吐息に、反射で頷きそうになる。

 弓塚と違い、琥珀は解ってやっているから性質が悪い。

 

 

「罰ゲームも兼ねて大通りだ」

 

「い、意地悪ですね……」

 

 

 身体に力を入れ、賑やかな人混みに向かって歩き出す。

 

白と青のリボンが揺れる。

 鼻に掛かる後ろ髪に、琥珀がくすぐったそうな声を上げた。

 

 

 

 

 一先ず、怪我もなく無事に終えられた事に深々と安堵。

 戦力の問題も、ライダーが桜の側にいるのなら何とか突破口は見えて来る。

 

 

 だから、物騒な話はまた後で。

 

 今は――

 

 

 

 

「ねぇアキさん、一体何に対しての罰なんですか?」

 

「ぐっ……そ、それはだな」

 

 

 背負われながら、楽しげに訊ねて来る琥珀。

 

 いつも上手をいく彼女を、どう扱うか。

 そんな事を悩んで――今回は少し真剣に叱ってやろうと、汗を垂らしながらに決心した。

 

 

 

 

 

 

 

 

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今回は琥珀さんのターン。

秋葉と長年感応を結んだ賜物、巧みな技術?なのは変わらずです。