*
身体に降り積もる雪の、その冷たさが感じ取れる。
透けていた身体が徐々に輪郭を帯びて――――サーヴァント・キャスターは消滅の危機をどうにかやり過ごした。
「えっと……契約は上手く出来たのか?」
「えぇ、魔力も送られてくる。助かったわ」
パスを通して得られる魔力は、前のマスターに比べて酷く微量。
だが、使い魔として何よりも欠かせない依り代を得た事に、キャスターは地に伏したまま深く安堵の息を吐いた。
同時に、周囲に感じていた気配が消える。
野犬か、はたまた他の獣か。
見張られる様な視線は無くなり、辺りは真に静まり返った。
顔を上げると、暗い空を背景に今しがた契約を結んだ己の主が目に映る。
血濡れたマントを纏った自分に警戒しているのか一歩離れた場所で、しかし心配そうな瞳を向けて。
雪の様に綺麗な肌に、白いリボン。
造形の整った顔立ちに――――綺麗な子だと、一時己の状態を忘れてキャスターは思った。
マスターが又しても野郎だったと気付くのは、衛宮邸に入る一歩手前での事である。
憑依in月姫no外伝
第十九話
新しい主に招かれたのは、古めかしい和風の屋敷であった。
それなりの敷地に、それを囲む簡易結界が塀に沿って張られてある。
紹介された同居人は――いずれも、キャスターを落胆させた。
マスターと年が近いであろう、赤銅色の髪をした少年と肩まで赤髪を伸ばした少女。
衛宮士郎と名乗る少年からは魔力の流れが感じ取れる……が、魔術師としては三流以下と思える程に微弱。回路数はおそらくマスター以下に思われる。
赤髪の少女に至っては、綺麗な顔立ちをしている代わりに一般人。
弱者の元には弱者が集まるのか、他にも後一人同居人がいるらしいが、この分だと然したる期待は出来ないだろうとキャスターは内心で嘆息する。
疾うに日が沈んだ暗闇の中、いつ他のサーヴァントに襲われてもおかしくない状況でフリーの魔術師に会えただけで幸運な事ではあるのだけど。
マスターを中心として、双方に掻い摘んだ事情が説明される。
「――探していた?」
「あぁ、アキがマスターのいないサーヴァントがいるかもしれないからって、毎晩さ」
「……」
フードで顔が隠れていて良かったと、キャスターは思う。
でなければマスターに対して、侮蔑とも取れる容貌を見せていたであろうから。
飛んだ間抜け。
そのおかげで救われたのだが、余りにも非効率的な行動としか考えられない。
聖杯戦争の最中であるならば、他六組の参加者に狙われる確率の方がどれだけ高いか。
それを最善の行動と思って動いていたという事実だけで頭が痛くなる。
己のマスターであるが分、余計にだ。
自身を召喚した主は醜く、汚らわしい人間で。
命拾いと次に契約した主は、大した魔力も持たず頭の回らない馬鹿。
つくづく運が無いものだと、キャスターは現状を省みて己の運命に嘲笑した。
未熟な魔術師と契約し、勝ち抜くための手札が一つもない現状。
――それでも、一つだけ報われた。
キャスターはそっと、深くフードを被り直して視線を走らせる。
七夜アキと言う新たなマスターの身体には、忌々しい絶対命令権――令呪が刻まれた様子はどこにもない。
もっとも、肉眼で確認できる部分には見えないだけであって、胸や背中、所謂服で隠れた個所に刻まれた可能性も否定できないが……。
もしも本当に令呪が発現していないのなら、キャスターにとってそれは光だ。
マスターとは言え、相手は大した覇気も無い三流の魔術師。
依り代としてさえ存在してくれていれば、後は用もない人間だ。
傀儡にした後は、やり方次第で幾らでも手札は増やせよう。
それが、策略で絡め取るサーヴァント・キャスターの真骨頂なのだから。
「そうですか……助かりました」
故に、キャスターは低く姿勢を取った。
未熟な魔術師と裏では鼻を鳴らすが、キャスターとて貯蔵してある魔力は空に近い。
最低限の下準備を整えるまでは前のマスターと同様、従順な態度でやり過ごすのが一番賢いやり方だと心得ている。
プライドに拘って窮地に陥る程、魔女は馬鹿では無い。
「ではマスター、私も名乗った方が?」
「ん、何を?」
「……ですから、真名や宝具についてです」
「あ、あぁ! そう言えば、まだ教えてもらってなかったよな」
契約を結んだだけで満足してしまったのか、思い出した様にマスターは言う。
キャスターのサーヴァントとは教えたが、真名は未だ口にしていない。
契約を結んだマスターになら予め伝えておくのは当たり前の事であるが、ここには関係の把握できない人間が二人いる。
使い魔と言う立場である手前、先走って下手にマスターの評価を下げるのは頂けない。
マスターとこの少年、少女の関係を探るためにも、この場で言うか言わぬかは定めておきたかった。
「――それよりキャスター、先に頼みたい事があるんだが、いいか?」
「っ、何でしょう?」
促そうとして、真顔でスッと視線を捉えたマスターに止められる。
引き締まった顔付きは想像した様な阿呆には思えず、知らずに警戒心が高められる。
「まず一つ……そのフード、取ってくれないか?」
「……はい?」
思わず、聞き返した。
「いや、だからその被ってるやつを取ってくれないかと。出来ればデフォルトで」
「でふぉると?」
「常に、って事だ」
意図が解らず、マスターの顔を見据える。
その表情は少し強張っていて、何故かは解らないが緊張している様子が見て取れる。
――何を、
考えているのだろうか。
魔女相応の格好に恐れをなしたのか、それともマスターの命令に抵抗なく聞き入れるかを試しているのか。
「……」
素顔を晒す。
それ自体に、デメリットは指して無い。
耳の尖りにした所で、敵に見られたとしても真名が割れる事はないだろう。
ただ、年端もいかないこの様な餓鬼に素顔を晒す事。
魔女として、憎たらしい要求をされたものだとキャスターは唇を噛む。
そうして――三秒。
それだけ迷った後、何となしに被っていたフードを後ろへ下げた。
「うわっ……」
「き、綺麗……」
マスターの隣から、それぞれ感嘆の声が上がる。
淡い水色の長髪を掻き上げて、同色の瞳をマスターの眼前に晒す。
「これでいいかしら?」
憮然と、しかし感情までは晒さずに恭しく顔を向けるキャスター。
対して、アキはその対応に一息ついて、
「それと、もう一つ頼みがあるんだが――」
特に感想を言うでもなく、変わらぬ調子で話を続けた。
「……」
「あ、あれ、不機嫌?」
「い、いえ……」
フードを脱いだキャスターは俯く形で面を隠した。
どうにも、このマスターが気に食わない。
容姿を褒められる事に期待した訳では決してないが、キャスターは、否、メディアはコルキスの王女。その容貌はそこらの女とは一線を画す、清楚端麗なものである。
なのに、顔を見せろと命じた本人から一言も無いのは如何なる事か。
ずぼらで気の利かない――嫌いな人種であると、明確に認識が作られる。
二つ目の頼みと言うのも、どんな突飛な事を言い出すのか。
胸の内で冷笑するキャスターは……直後、表情が反転した。
「――――魂喰いは、禁止にしたい」
「しょ、正気ですか!?」
これは、黙して感情を隠す事など出来はしなかった。
反射的に立ち上がったキャスターは、己の主を見下ろす形となる。
現状を見守っていた傍らの少年が、事の成り行きに驚いたのか疑問をぶつける。
魂喰いとは何なのかと、その不吉な言葉に顔をしかめて。
「サーヴァントは生命力を喰らう事で魔力へと変換できるんだよ。ちょうど、魔術師が魔術回路を通してマナをオドに変える様にな。
キャスターなら町中の人からそれを、本人の意思とは関係なしに奪う事くらいできるだろ」
「なっ、そんな事されたら九年前以上の被害が――」
「いいや、大勢から集められるのなら一人から絞り取る量は少しでも構わない。
だから、無理に集めない限りは死んだり倒れたりする様なものじゃないんだが……」
そう言って、キャスターの方へ視線を戻すアキ。
聞いていた分には、その説明に間違いは見られない。
「そうです、マスター。魂喰いと言いましても、それは本人も気付かない様な至極微量にも調節出来ます。
……そこまで解っていながら、何故止めるのです? 私たちが聖杯戦争を勝ち抜くには、必ずと言って必要な行為でありましょうに」
掌が汗ばむ。
そうではない。
魔力の収集がままならなければ、キャスターは何も出来なくなる。
それでは、キャスターの思う聖杯戦争は描けないのだ。
「駄目だ。本当に少量であって被害が見られなくとも、一般人に手を出せば真っ先に標的になる。
キャスターの考えも解るが、明らかに“敵”と捉えられるアクションはこっちから起こしたくないんだ」
「し、しかし、陣地作成を行うにも魔力がなければなりません。失礼ですが、マスターから提供される魔力量では、とてもキャスターとしての技能を生かせるまでの――」
「そこはちゃんと考慮してある。実力を発揮出来ないのはむず痒いかもしれんが、まずは信じてくれないか?」
渋い顔で説明するマスターに、譲ってはいけないと食って掛かろうとするキャスター。
聖杯戦争は魔術師通しの凄惨な殺し合い。
なのに、何を呆けた事を言っているのか――否、別の思考が脳裏に浮かぶ。
――マスターは、自分を飼い殺しにする気ではないかと。
ぶるりと身体が震える。
何だそれは。それでは前の、卑しい欲望を向ける男が主であった時と何ら状況は変わらない。
健気に尽くして信頼を勝ち取りようやく令呪を消費させ殺した挙句、同じ様な状況に陥ってしまうとは。
そんなのは、余りにも運が無い。
しかし、と絶望に堕ちる思考とは別に、冷静にこの場を読み取っていく。
その行動は、確かに正しい。
現マスターが契約しているのは、聖杯戦争が本格的に始まる前に現われたマスターを失ったサーヴァント。
少しばかし視野を広げれば主を殺されたのか、殺したのか、警戒すべきサーヴァントと言う事は推し量れるだろう。
キャスターのサーヴァントであるなら尚更、不用意に魔力を与えずに様子を見張るのは間違っていない。サーヴァントを卸すに必要な令呪が無いのなら――
――キャスターはこの瞬間、マスターには令呪が刻まれていないのだと確信した。
「……わかったわ」
身を引く。
最善の一手を捨てるとともに、最上の情報を引きだして。
「マスターがそう言うのであれば、私は大人しくしていましょう」
「お、おぅ、解ってくれたか」
胸を撫で下ろすマスターに、内心で怒りの火を燃やす。
嘗めるな、と。
神代の魔女であれば、隠れて魔力を蓄える事も可能である。例え、相手がマスターであろうとも。
魂喰いの他にも、陣を引けば大気中にマナは多量にある。
少しずつ、少しずつ……そして、いつか喉を掻き切ってやろう。
最後に傀儡になるのはどちらか。
今だけは、マスターに花を持たせてやろうとキャスターは憤る。
「――マスター、私からも大事な話があるのですが……」
「ん?」
今度はこちらから話を持ちかける。
そう、先とは大分状況が変わったのだ。
対峙するのは、無能なマスターでなく自身を愚弄した敵。
ならばと、キャスターは先手を打った。
「私の真名は――――わからないのです」
「……何?」
「ですから、真名がわからないと」
「なっ、そんな筈ないだろ!?」
先程とは逆に、マスターが声を張り上げる。
真名がわからない――通常、そんな事はあり得ないが互いに情報が欠落している手前、言い訳は何とでも効く。
「召喚の際に不手際があった所為か、記憶が欠けているのです。聖杯から現代の知識は受け取れたのですが、自身の記憶が曖昧で生前の事は何も……。
私が不甲斐無いばかりに前のマスターもその事で悩み、度々虐げられていました」
悄然とした呟きに、少年が何てマスターだと憤慨する。
向けられる同情を流してマスターに目を向けると、皺を額に寄せて幾らか苦悶を漏らしていた。
気味がいいと、ほくそ笑む。
「いや、だが真名くらいなら別に……ってキャスター! もしかして真名がわからないとなると……」
「はい、お察しの通り――」
キャスターの狙いは真名を隠す事ではなく、その先。
「――宝具も使えません。魔術は覚えているのですが、自身の象徴となる宝具は真名が分からない限りは……」
「な、なんだって――――!!」
「残念だったな、アキ。せっかくサーヴァントは手に入れたのに……」
「残念ってレベルじゃないけどなっ!!」
そおぃ、と頭を抱えて床に突っ込むマスター。
宝具が使えない事に余程ショックを受けたのか、可愛い顔して髪を掻き乱し雄叫びを上げる姿は一種のホラーだ。
その半狂乱ぶりに、満足に浸っていたキャスターですら思わず引いた。
「あの……」
「な、何かしら?」
ふと囁いたのは、狂うマスターとそれを必死に止める少年を横目で見やる赤毛の少女。
「本当に、お忘れになっているですか?」
「……疑っているの? この私を」
意外だった。
如何にも大人しそうな少女の、琥珀色の瞳。
魔眼でも邪眼でもない、ただ美しいだけのそれに――気圧される、訳がない。
「それよりもマスターを心配したら? あの調子では私も困るのだけど」
「……そうですね。――――アキさん、めっ!」
バチンと思いっきりアキの頬が叩かれると同時に、威勢の良い音が室内に響く。
叩かれたのはマスターだが、キャスターも無意識に自身の頬を押さえて擦った。
「……いい角度で入りましたね。
あの、衛宮さん、すみませんがアキさんを寝室の方へお願いします」
「見かけによらず凄いんだな、琥珀さんって」
「――――ちょっとちょっと! 今凄い音しなかった!?」
襖が開き、キャスターの知らぬ新たな少女が部屋へと慌てて入ってくる。
「ア、アキ君どうしたの!? ってこっちには凄い美人さん!?」
「サーヴァントのキャスターさんよ、さっちゃん。こっちに来たって事は、寝かしつけは終わったの?」
「うん、皆ぐっすり。ほんといいワン子だよ。あ、いつも部屋借りてごめんね、衛宮君」
「部屋は空いてるからな、気にしないでくれ」
ありがとうと礼を言う少女は、多感な性質なのだろう、表情が幾つも変わって見て取れる。
そして――キャスターの方へ視線を合わせた瞬間、理由も解らずキャスターは震えた。
「貴女がえっと、キャスターさん?」
「え、えぇ、貴女は何なの……いえ、何てお名前で?」
「弓塚さつきです。アキ君たちと一緒に聖杯戦争に参加する予定で……魔術師じゃないんですけど、こう見えても吸血鬼なんです」
「き、吸血鬼?」
「さ、さっちゃん!」
何となく尋ねたキャスターの問いに、予想外の回答が耳に届く。
傍らで慌てる赤毛の少女が、その言葉の不審さを表わしていた。
「この人にそれを言ったら……も、もう、私がついていながら」
「あ、あれ? だって、キャスターさんってわたし達の味方なんだよね?」
「そ、それはアキさんが契約しましたし、そうなんだけど……」
疑ったままなのか、歯切れの悪い言葉。
キャスターもこの得体の知れない少女に構えて、マントの裾を強く握る。
吸血鬼。
遥か昔に生きたキャスターにとっては、出会った事の無い未知の生物。
曰く、日光に当たると灰になる。
また、人の血を吸わなければ生きられないモノと、知識に基づけばその様な化け物となっている。
それがこの無垢な瞳をした、見かけはどこの女の子とも変わらない少女を指すのだろうか。
スッと右手が、キャスターの前まで伸びる。
「聖杯戦争、これから宜しくお願いしますね、キャスターさん」
「こ、こちらこそ……期待してるわ、お譲ちゃん」
手を合わす。
――瞬間、感じた。
弓塚さつきの中に溢れる、生命力を。
外見に騙されてはいけない、形が同じだけの、人を遥かに超越した生き物であることを。
少女のポテンシャルに、キャスターの口元が三日月の様に酷く曲がった。
空いているもう片方の掌で、さつきの手を包み込む。
拝むようにして、焦がれた想いを止められずに口の端から外へと漏らす。
「い、いいわぁ……最高よ、貴女……」
「キャスターさん?」
この子はおそらく強い。いや、間違いなく強い。
英霊が集う聖杯戦争の中でも、扱い方次第では十分に有力な持ち駒足り得るだろう。
――何故、弱者たちと共にいるのか。
それは疑問だが、機を見計らって探ればいい。
キャスターには切り札――“破戒すべき全ての符”があるのだから、例えこの吸血鬼にギアスが掛けられていたとしても問題になる筈がない。
――この子を、引き込めれば。
生前は魔女と蔑まれ、悲劇のまま幕を閉じた人生。
此度、またしても運が無いと嘆いていたが飛んだ喜劇だ。
蓋を開ければ他と比べて決して不利な状況ではなく、上手く立ち回れば有利にもなる。
「ほんと――――お願いね、サツキちゃん」
そう言って、魔女は深く微笑んだ。
◇
いずれ、欠けた記憶は思い出すだろう――そう締めて、キャスターと四人の少年少女の邂逅は終えた。
それから二日後の夜、キャスターは屋敷の玄関から数歩進んだ先に魔方陣を敷く。
言霊を紡ぎ、段々と輝きを増して闇を照らしてゆく紫の光輪。
キャスターによる、サーヴァントの召喚。
それは図らずも、マスター・七夜アキからの提案であった。
その証拠に、儀式を見守るマスターとその他三人の姿が離れた位置に確認できる。
サーヴァントがサーヴァントを召喚するなど、聖杯戦争において完全なルール違反であろう。
しかし、綺麗事無しに生き残るのであれば、七つ全てのクラスが呼び出される前にぜひ試しておきたい手段ではある。
魂喰いをするな、そう言ったかと思えば、今度は規則無視の召喚を頼む。
大した魔術回路も持たない下級の魔術師かと思えば、吸血鬼という切り札を従えている。
賢いのか、馬鹿なのか。
こちらに魔力を極力与えない気でいるにも関わらず、サーヴァントの召喚には魔力が足りないと進言したら弓塚さつきを使えないかと訊ねる始末。
己のマスターが何を優先し、どこまで先を見ているのか……。
キャスターは、今一つ決定付けられずにいる。
「全く……サツキの力を知っているのなら、彼女をマスターにすればいいと思うのだけど」
「だ、だから、弓塚は色々と不安定で……吸血鬼としてまだ未熟なんだよ」
「未熟、ね……」
流した横目を、組み上げている魔方陣の方へと戻す。
キャスターには彼女、弓塚さつきが未熟とは思えない。
あの少女の中には、すでに確固たる芯が出来上がっている様な――少なくとも、不安定な感じはどこにも見受けられはしない。
やはりと言うか、キャスター自身を自由に動かせる気は微塵も無いのだろう。
そうだ、それで正しい。
キャスターにしても、すでに目途は着いたのだから。
吸血鬼という、他の何にも劣らない依り代。
それを背後から攫うまでは、彼らの内部に入り聖杯戦争を遠目に見張るのが最適であろう。
術式を完成させ、魔力光を集束させる。
薄らと光り輝くエーテルが人型に形成されていき、小柄な体躯を作り上げた。
「――――まさか、拙者が呼ばれるとはな」
儀式を目の当たりにし、声が出せなくなったのか。
風切りの音だけが耳に響く中で、キャスターは召喚したサーヴァントに隈なく目を通した。
漆黒の外套に全身を包み込み、仮面の様な白い面を外気に晒したその姿。
黒色に染められた身体は闇夜に溶けて混ざり、能面だけを敵に剥き出すソレは――まさしく、暗殺者足る風貌であった。
外れを引いた。
それが、キャスターの第一に現われた感情であった。
「貴方はその見てくれからして、アサシンのサーヴァントかしら?」
「如何にも。この身はアサシン――ハサン・サッバーハの影であろう」
「……影とは、どういう事?」
答えず、アサシンは首を捻り周囲を見渡す。
そこへ、緊張が解けたのかキャスターの元へ駆け寄るアキ。
「キャスター、召喚は成功か?」
「一応は。しかし、どうにも様子が怪しく……」
「怪しい? 何か、また記憶が無いサーヴァントだったりとか」
「いえ、そうではなく……自身を影だと」
判然としない物言いに、アキは訳が分からずに首を傾げる。
少し待って下さい、と言葉を残して、キャスターは目蓋を閉じた。
正式にサーヴァントと契約を結んだマスターであれば、自身が使役するサーヴァントの能力値が確認できる筈。
先の召喚で左手に宿った令呪を意識して、己がサーヴァント・アサシンを強く脳裏に思い浮かべる。
オールD。
そんなステータスが、垣間見えた。
「これは……酷いわね……」
「ど、どうしたんだ、キャスター!?」
「マスター、申し訳ありません……」
明らかな落胆の意を全身で示すキャスターに、慌てたアキが声を掛ける。
一瞬、説明すべきか逡巡し……騙しても仕方ないと考えたキャスターは事情を説明した。
おそらくはルール違反の影響か、本来の英霊とは異なる劣化物を呼んでしまったのでしょうと。
真名は確かに“ハサン・サッバーハ”と浮かび上がるが、どうにも蜃気楼の様に頼りなく、本人が称した影とは偽物と言う事ではないのかと。
そして、スキルだけは気配遮断EXと褒められたものだが――
「正門を依り代にしているので、アサシンはここから離れる事は出来ないと」
「はい、動けても精々五十m……依り代は変更できますが、諜報活動に扱う事は……」
不可能です、とキャスターは苦虫を潰した様にその美貌を歪めた。
キャスターにして見れば、せっかくの従順な僕を手に入れる機会。
戦力として歓迎できないアサシンの能力は、アキが感じるよりも大きい痛手となっている。
「なんなんだアンタ」
極自然に、アキはアサシンに向けて呟く。
まさに心から思った事であろうと、キャスターは同意しながらに思った。
「拙者はハサン・サッバーハであって、ハサン・サッバーハでない者」
「もっと解り易く頼む」
「ハサン・サッバーハの影」
「駄目だこいつ……」
会話が成り立たない事に冷や汗を垂らすアキ。
その隣で、キャスターはどうしたものかと思考に耽る。
「アキさん、アキさん」
「ん?」
「あの方の仰っているのは、もしかして影武者の事じゃないですか?」
「……成る程、それだ!」
二人の会話を耳にしたキャスターが、もう一度アサシンへ問いかけた。
「貴方、生前はハサン・サッバーハの身代わりに? まさか、それで座に着いたとでも言うの」
「否、身代わりではなく影。
我らはハサン様として戦い敵を欺き、ハサン様として殺され敵を欺き、ハサン様の手足となり敵を欺く者」
「我ら……と言う事は、他にもいたのね」
「故に、我らはハサン・サッバーハの一部であり、ハサン・サッバーハであると言えよう」
「見事な外れね。こんな英霊を私が呼んだなんて――――っ」
神代の魔女として許せぬ失敗。
何より、キャスターとしてはここで持ち駒を増やせなかった事がこの上なく悔しかった。
脳裏に浮かぶアサシンのステータスは何度見ても不甲斐無く、スキルも一つしか欄が無い。
止めに、宝具は×と記されていて、気配遮断だけが彼の持つ唯一つの奥義であると理解する。
「何て欠陥品――――」
続くキャスターの罵倒は、しかし唐突に終わりを迎えた。
屋敷中に、突如鈴の音が響く。
その意味を知る者は即座に構え、周囲へ素早く視線を向ける。
「――――よぉ、随分と集まってるじゃねぇか」
塀の上から掛けられた声に、一斉に集まる目線。
蒼いタイツを身に纏い、深紅の槍を担いだ人影が薄らとした月明かりに照らされる。
その存在感、紛れもないサーヴァント。
魔力の少ないキャスターや偽物の英霊であるアサシンとは違う、圧倒的な強者としての威圧感。
「夜中にうじゃうじゃと……サーヴァントが二人に人間が三人、禍々しいのが一匹か」
「ま、禍々っ!?」
心外とばかりに反応するさつきを無視して、そのサーヴァントは槍の切っ先を天から地へ、キャスター、アサシンの両名へと狙いを付ける。
「ようやくラストだ。せいぜい楽しませてくれよ、お二人さん」
「ラスト……貴方ってば、まさか!」
「へっ、内のマスターは臆病なんでね。何でも情報が集まらない限りは表へ出る気も無いらしい。
ま、俺としてもあんな鬱陶しい奴を連れて戦うのは勘弁したいところだからな」
気儘にやらせて貰っているぜ、と口元を歪ませるこのサーヴァントに、キャスターは更なる危険を感じる。
ラスト――それは詰まる所、
「全てのサーヴァントと戦ったのね、貴方はっ」
「おうよ! お前らが六、七人目だ。
――――もっとも、俺としては今すぐにでもセイバーとの続きを所望したいがなっ!!」
「追い返しなさい、アサシンっ!」
獰猛に瞳を滾らせ襲いかかるサーヴァントに、キャスターは迷わず令呪を発動させアサシンを迎撃に向かわせる。
対サーヴァント用の罠も結界も用意しておらず、加えて相手はその獲物からランサーと推測。
対魔力を持つ三騎士相手では、並みの魔術は通らない。
実力を測る偵察か、命を懸けた死闘か。
どちらにせよ、状況が不利なのに代わりは無い。
だが、このような現状にも関わらず、キャスターの意識は外へと逸れた。
戦況は確かに旗色が悪く、どう突破するかにキャスター自身苦心している。
そうは言っても、果たしてこちらを見守る主の様子は常識的に考えてどうなのだろうかと思ってしまうのだ。
――――頭を抱えに抱え、身体を極限まで捻って呻く様は、最早異常ではないのだろうかと。
アサシンは当初普通に小次郎さんを呼ぶ予定でしたが、良く良く調べてみると「柳洞寺の山門=依り代&触媒」である事が判明して急きょ変更。微妙なオリキャラとなってしまいました申し訳。イメージ的には腕の長くない真アサシン。
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