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どうしたものか、と極東の地に再び舞い戻ったシエルは半ば途方にくれていた。
カソックが雪に埋もれる。
襟元に首を埋めながら、未だ手の付けられていない遠野の廃墟をじっと見つめた。
「彼女らは……一体どこへ」
ミハイル・ロア・バルダムヨォンの消滅を機にシエルは三咲町から、そして教会からも姿を眩ました。
ふと、猫が消えるように。
教会の追手を逃れるため海外を渡り歩き、悠に半年以上は経っただろうか。
埋葬機関としての仕事に嫌気がさした訳ではない。
発端はある少年の予言から。
――――三年後、貴女はアインナッシュの討伐に向かわされるでしょう。
シエルが少年から手渡されたノートには、信憑性の見いだせない不気味な文字の羅列。
三度読み返したそれは、お話としては良く出来た代物であろうとシエルを妙に納得した心地にさせたのを覚えている。
ただ、その未来予知の中でのシエルは人間に戻ったにも関わらず、埋葬機関の仕事を続けていた。
仇を討った後も、古巣に残りで死徒狩り続けている理由。
それは罪滅ぼし。
否、シエル自身の罪を見つめ続けるためであると予言されて――怯えたのかもしれない。
因縁を断ち、監視もいない。
それでも尚、シエルがその機会を自らの手放すのだとしたら。
自身が死ぬか、古巣自体がなくなるまでやはり死徒を処罰する機械としてシエルは動き続けるのだろう。
生真面目な、加えて自分の罪さえ解っていないなら強ち間違っていないと今更ながらに苦笑する。
そして――――シエルは気付いたら抜け出していた。
心の内を見透かされたので反発したのか、あの馬鹿力の吸血鬼に頭を思いっきり殴られた所為かはわからない。
いつだって抜けたがっていたし、いつだって迷っていた。
それに少し背を押された形となり、取り返しのつかない事をしてしまった。
「しかし、その原因となる彼女らは行方不明と……」
いつかの風景が脳裏を掠める。
化け物でも構わないと豪語した彼女。
この町で二人の笑顔を見つめながら生きていく事が幸せだと、啖呵を切ったあの言葉は嘘だったのか。
微かに残留する気配に寂しさを感じるシエル。
数多くの死徒を追って来たシエルにとって、少なくともあの吸血鬼がこの地を離れたのが一週間やそこらでない事は理解できた。
会いたかった訳ではない。
彼女たちと敵対関係を取った覚えはあれど、友好的な立場に立った覚えは一度もない。
ただ、ロアに運命を狂わされた点で境遇の近い彼女が、自分と異なり平穏な生活を手にしているかを確認しておきたかっただけ。
……そこまで考えて、結局は一目見たいがためにこの地を訪れたのではないかとシエルは溜め息をついた。
為す事も、思考さえも覚束ない自分が情けない。
おまけに現状に少なかれ影響を与えた彼女らは、あの時の叫びも空しくもぬけの殻。
かつて羨望に映ったものが根無し草のようなものであったとなれば、溜め息以外にどうしろというのだ。
それでも、シエルは取りあえず足を進めた。
木々の奥から聞こえる幼い声を筆頭に、鈍い音が後に続く。
葛藤ではなく迷い。
曇天からちらつく雪の粒が、三咲町を覆い隠した。
憑依in月姫no外伝
第十六話
道なりに木々の合間を歩いた先には古びた小屋と巻き藁を叩く少女の姿。
赤いランドセルが傍らに投げ捨てられており、それが栗色の髪をなびかせる少女がまだ小学生である事を示していた。
遠野の敷地内にいる事から、遠野の関係者であろうと思われる。
幾らか魔術を用いて、シエルは少女から彼女らの事を聞き出してみた。
もっとも、最初はさして期待した訳でもない。
それでも、期待の遥か上を行く程に彼女らの情報を持ちえた人物であったのは何の悪戯か。
抑揚のなかった声色が、次第に熱を帯びてくる。
「――では、弓塚さつきという女の子とアキハは夏の間はここで暮らしていたと?」
「うん、琥珀と一緒に毎日遊びに来てたから、旅行に出掛けた日も覚えてるよ」
「行先はわかる?」
「ん〜、秘密って言われてたから……あ、でもお母さんなら知ってるかも!
子供だけの長旅はどうもねぇって渋ってたし」
さつきお姉ちゃんの事はお母さんに秘密だよ、そう有間都古という少女に真顔で念を押されたシエルは、頷き礼を言ってその場を去った。
シエルが三咲を去ってから今に至るまでの彼女らの日常。
遠野の親戚である有間の娘にこの場で会えたのは、運が良いのか悪いのか。
少なくとも、これでこのまま立ち去る訳にもいかなくなった。
埋葬機関を抜けた身であれ、彼女の足取りが掴めたのなら……そして、もしも追った先で惨事を招いていたとしたら、それは見逃した自身のせいでもあるのだから。
被害のない、何事も無しに暮らしている風景ならば手は出すまい。
とは言うものの、彼女を目の当たりにして憎いと感じる衝動を抑えきれるかはわからないが。
「……それにしても、彼女らは何故戻ってきたのでしょうか」
少女の話によれば、シエルと同じ時期にこの地を離れ、戻り、そしてまた離れていったらしい。
この場合、離れるという言葉はどこか似つかわしくないようにも感じる。
何か企みがあるのか。
それならば、真っ直ぐな瞳をしたあの吸血鬼でなく正体の掴めない七夜アキハの仕業であろう。
例の如く、予知か何かしたのであればどんな奇行であれ納得がいくのだから。
天気のせいか、道行く人はどこも少ない。
坂を下り十字路を横切る。
以前に起きた猟奇殺人の名残は、すでに町から消えていた。
悲しむ遺族もいるだろうが、そんなのは大勢の中のほんの一部に過ぎない。
あまり、良い気分ではなかった。
一際大きな武家屋敷が視界に入る。
玄関口で傘二つを手にした赤毛の少女と鉢合わせた。
「――こんにちは、翡翠さん。突然で申し訳ないのですが、都古ちゃんの母親はいらっしゃる?」
「え、どなた――――ってシエルさんですか」
見知らぬ来訪者に硬直する翡翠だが、シエルの瞳に覗きこまれる。
その一瞬で、翡翠の疑念は消えた。
「えぇ、アキハ君と琥珀さんの事で尋ねたくて。
今から出掛けるようだけど、邪魔しちゃったかしら?」
「時間は掛かりませんから構いません。すぐ小母さまにお取次しますね」
翡翠はシエルの肩越しから外を覗き、そう言った。
多分、都古ちゃんを迎えに行くところだったのだろうと、翡翠の後ろ姿を見ながらシエルは思った。
本降りにはまだ遠い。
小雪が舞うのを無言で眺めるうちに、有間の奥方と思わしき女性が顔を出した。
挨拶を交わしたところで奥の座敷へと案内される。
丁寧にも茶を入れてくれたようである。
湯呑みの傍らにはお茶菓子のつもりかカレーパンが置かれてあり、ちらりと奥方に向けて目を見開いた。
「ごめんなさいね、他に出せるものが今なくて」
何を勘違いしたのか、申し訳なさそうに苦笑いを浮かべる有間母。
慌ててシエルは弁解する。
「い、いえ、私は一向に構いませんが。むしろ好物です」
「あら、それは良かったわ。
アキハ君の影響で都古も好きになっちゃって、今では買い置きする事が多くなったから」
「……成る程。やはり同志でしたか」
一息ついた後に、先程の都古と同じ手順で情報を引き出しに入る。
一般人への魔術行使は、何度やっても心苦しいものがある。
大規模な情報の改変に比べれば微々たるものだが、相手を思うように操る行為は見ていて気持ちの良いものではないのだから。
アキハが一日の大半を有間邸以外で過ごしているせいか、彼の生活状況は娘の都古に比べて把握していないところが多かったらしい。
それでも遠野の当主から面倒を頼まれた事もあり、大事なところだけは手綱を握れるように努めている、と何とも微妙な面持ちで奥方は答えた。
曰く、目を離すと置き手紙だけ残してどこかへ行ってしまうから大変だと。
まだ子供なのにと額の皺を押さえて呟く姿は、育児に手を煩わせている母親そのものにシエルは見えた。
今現在も、アキハと琥珀は周囲に行き先の詳細を教えぬままに家を出ている。
母親役として地名までは何とか吐かせて、後は週一回の定期連絡で渋々手を打ったとか。
冬木――彼らの目的は、どうやら西にあるらしかった。
「公言は一切しないでくれ、って泣いて頼まれたから……地名を聞いて終わりにしたけど、やっぱり心配なのよね。
男女の二人旅っていうのもまだあの子らには早いと思うし」
「翡翠や都古ちゃんも、行き先はご存知ないのですか?」
「えぇ。心配無用だから絶対に訪ねて来ないでくれって、それはもう必死だったわ」
「……そうですか」
口元に手を当て、頭を巡らす。
西日本の、冬木という地に何を求めているのか。
奥方の話を鵜呑みにすれば、彼らは遅くとも夏頃に再び三咲へ帰ってくるという。
となれば、吸血鬼の存在が彼らの手に余り逃亡したという線は消える事になる。
姿を眩ますのなら、一度踏み入れた土地を二度踏む事など極めて愚かであるからだ。
そんな事を、仮にも埋葬機関第七位の自分を足止めした彼らが犯すとは到底思えない。
ならば――彼らは何を見つけたのか。
予想も何も、全く見当がつかないのであればどうするか。
現地へ行き、肌で感じるのが手っ取り早い。
幸いにも今のシエルに帰る場所は無く、自由なのだから。
「立場上、強く言えたものではないけど……最近の遠野は危ういように見えるから、二人には少しでも早く帰って来てほしいわ」
「……何かあったのですか?」
「何もないわ。でも、シキ様は国外を渡り歩くために家を出ているらしいし、秋葉様は屋敷を再建せずに遠野系列のホテルを借り切ったまま。
身近に置かれていた使用人も……今はね」
「バラバラ、ですか」
素っ気なく答えるには、余りに目の前のご婦人が気の毒に思えた。
元々人が良いのか、遠野周囲に築かれた異様な環境に目を瞑る事は出来ないのだろう。
親子三人だけなら苦労も大して掛からない筈。
当の本人たちがこの迷惑を知らないのならば、やはりまだ子供と言う事だ。
一母親としては、見ていて辛いものがあるかもしれない。
どう態度を取ればいいものか、シエルは少々困惑した。
「――――お喋りが過ぎなくて、啓子さん?」
振り返ると、遠野秋葉が立っていた。
腕を組み、視線はシエルに――所謂、ガンを付けていた。
張り上げた声は、しかし以前ほどの覇気は見て取れない。
行き成りの当主の訪問に啓子は慌てるでもなく、子供の様に素で驚く仕草をした。
「あら、すみません。私とした事が確かに口が過ぎてましたわ」
「ふん。まぁ、今回は構わないわ」
どうせ貴女の仕業でしょう、とシエルを瞳で捉える秋葉。
「最初は秋葉さんのところへ行こうと思っていたのですが、生憎と屋敷が壊れたままでして。
まさか遠野の当主が家無しとは思いませんでしたから」
視線を流し、毒づくシエル。
苦労人の奥方に迷惑を掛けぬために、礼だけして早々に腰を上げて立ち去った。
万が一にも、この場で争う様な事があっては窮屈以前に人として気が引ける。
玄関口まで歩を進めると同時に、後ろから追い掛けてくる秋葉。
シエルの言動に対し、噛んでくる物言いは一向にない。
視界が開いた。
見事な大雪である。
「……貴女、冬木へ行くの?」
「おや、秋葉さんも彼女らの居場所は疾うにご存知で?」
「……」
答えなかった。
つまり、さきの立ち聞きで初めて知ったのだろう。
遠野家の内情が危ういというのも、奥方の主観的な意見だけではないかもしれない。
「大変ですね、貴女は」
「ど、同情される覚えは無いわ!」
「そうですか。では、私は行きますので」
「あっ――」
シエルは踵を返して雪道へと踏み出す。
袖に何か引っかかる感触を振り切って。
シエルにとって、もうこの地に用は無い。
訪れた平穏を無為に過ごすこの町に、自分の居場所は要らないのだから。
――冬木。
弓塚さつきに、アキハに会おう。
自然と身体に力が入るのは、予期せぬ出来事をすでに感じ取っているからか。
――まずは、行って情報を集めなくては。
一息に跳び、風になる。
雪化粧に染められた三咲の町を背景に、誰に見られる事なくシエルは姿を消していった。
短くて御免ね!!
月姫>Fateな作者としては、運命キャラのみで戦争を進めるには物哀しいので。前作で言いとこなかったしね、カレー