「六ヶ月ほど監禁されることになった」

 

「うわぁ……頑張ってね、アキ君」

 

「お前もだよ!!」

 

「わ、わたしも!?」

 

 

 まるで他人事な感じで遠い眼差しを向けてきた弓塚に拳骨を入れる。

 この娘、死徒になってからも変わらず呑気なのでほとほと困る。

 

 

「お前だけ三咲町に帰れる訳ないだろ。

橙子さんが結界張って一部屋貸してくれるらしいから、そこで大人しくしていてくれ」

 

「え……え?」

 

「わからないふりしても駄目だ」

 

 

 蒼崎橙子に今後の趣旨を伝えた後、ホテルへ帰宅した俺たち。

 

 今は部屋に散らばった私生活品をバックに詰め直して荷造り中。

 夜にはチェックアウト出来るよう、片づけを進めている。

 

 

 死徒である弓塚を長期間同じ場所に住ましておく事はできない。

 

 よって、弓塚を弄くりたいとする橙子さんに預ける事にした。

 あの人なら、数年は無理でも一年くらいなら魔術を駆使して気配の隠蔽くらいは可能だろう。

 

 こっちの方も魔術の修行もとい洗脳と言った風に面倒見てくれるらしいので、結果的に二人とも工房へ移り住む事になった。

 絶対に家事全般をどっかのシンジ君みたく任されるなとは勝手な予想。

 

 

「それで、琥珀はどうするんだ?」

 

「私ですか?」

 

「俺と弓塚は橙子さんの工房へお世話になるけど、一緒に来るか? まぁ、やる事なくて暇になりそうだけど」

 

 

 上手く荷物を詰められずに眉を寄せてる琥珀へ問いかける。

 

 予想以上に早くここを出払う事になったが、有間の家には翡翠を置いてきたまま。

 色々と一段落はついたのだし、琥珀はここらで三咲町へ戻るのもいいかもしれん。

 

 

 ……なんて気ままに考えていたんだが、返ってきた言葉は見事に斜め上を通り過ぎた。

 

 

「私も半年間、一緒に修行しますけど?」

 

 

 反応するのに数秒かかったのは言うまでもない。

 

 

「こ、琥珀ちゃん!?」

 

「すまん、意味が良く分からないんだが……」

 

 

 困惑すると同時に、弓塚が琥珀にずいっと迫る。

 落ち着いて、と琥珀は言うが、淡白なリアクションで済ましていい事じゃない。

 

 

「アキさんとさっちゃん、また危険な事に手を出すじゃないですか。

 もちろん、それはさっちゃんの身体を手に入れるには必要な事ですから、仕方ないですけど」

 

「でも、だからって琥珀ちゃんまで戦うなんて駄目だよ?

 ……って言うか、もしかして本当はわたし一人で行くべきじゃないかな、アキ君」

 

「今更だろ、それ。一応、逃げ足くらいは持ってるから付き合ってるけど」

 

 

 にゃはは、なんて誤魔化して笑うさっちん。

 可愛ければ何でも許されるものだと思ったら大間違いだぞ、こら。

 

 弓塚の調子に苦笑した後、真剣な表情に戻って続きを話す。

 

 

「私は足手纏いですけど、感応能力でサポートはできます。

 ですから、蒼崎さんに聞いてみたんです。アキさんがさっちゃんの援護をするのか、私がさっちゃんをサポートしてアキさんに守ってもらうのか……そのどちらが相手にとっては厄介なのかと」

 

「……それはちょっと気になるな」

 

 

 確かに、ここにいるメンツでの戦い方にはその二通りがある。

 琥珀を外して俺と弓塚だけで戦うのか、琥珀の感応能力で弓塚の能力を底上げして俺が琥珀の守りに徹するのか。

 

 

「で、蒼崎さんが言うには“もちろん後者の方だ”と即答されまして」

 

「…………」

 

 

 気遣っているのか、申し訳なさそうに言う琥珀。

 

 ……まぁ、聞いて軽く死にたくなったし。

 そりゃ、大して強くないのは自他ともに承認済みだが、そんな事言われたら修行する気もなくなってしまう。

 

 

「い、いえ、アキさんも十分お強いと思いますよ? シュパって壁を登れますし、走るのも私より全然速いですから」

 

「そうだよ、アキ君! “普通の人”より運動神経いいもん、自信持って!」                               

 

「……話を進めよう。

 琥珀がいた方が戦力上がるってのはわかった。それが蒼崎さんのお墨付きだってのも。だからと言って……」

 

 

 二人のフォローがやけに心を抉ってくるので、脱線する前に話題を戻す。

 

 

 だからと言って、魔術を覚えるとでも言うのだろうか。

 

琥珀の家系は浄の分家。

家系故に魔術師の素質はあるかもしれないが、琥珀が魔術に手を染めるのは賛同しかねる。

 

 俺や弓塚の世話をしてもらっておいてこれ以上裏の世界に関わるな、なんて戯言を言うつもりはない。

 ……ないけど、少し後ろへ引き返せば、翡翠と同じように普通の使用人をやって暮らしていけるんだ。

 

 

 弓塚を助けた手前、途中で投げ出したりはできない。

 だから俺は仕方ないとして、琥珀をこれ以上関わらせると、まるで泥沼に引きずり込んでいる様な錯覚を覚える。

 

 

 

 

「――――だからと言って、別に魔術を教えて頂くわけじゃありませんよ」

 

 

 考え込んでいたところに声が届き、俯いていた顔を上げた。

 

弱った様な琥珀の表情。

 それを見て、自分はそんなに辛気臭い顔をしていただろうかと少し恥ずかしく思った。

 

 

「もう、深刻に考え過ぎですよ、アキさん。

 魔術師として立派な蒼崎さんから三人一組(スリーマンセル)の判子を押してもらえたんですから、何も悩む事ないじゃないですか」

 

「いや、そう言われてもだな……」

 

「だいたい、私の身を案じてくれるのは嬉しいですが、もしも私の知らぬところでアキさんがお亡くなりになっちゃったらどうする気です?」

 

 

 そんな事はないと言い切れますか? と説教でもされる感じで詰め寄られて、ぐっと口をつぐむ。

 自分で弱いと認めている手前、まず言い切れないのも琥珀はわかっているのだろう。

 

 もし死んだら、なんて、まさか琥珀の口から言われるとは思ってもみなかったけど。

 

 

「どうして無理にでも傍にいなかったんだろうって、ず〜っと後悔しますよ、私。

 感応能力がある分、おそらく余計に悔やみます」

 

 

 リボンが揺れる。

 今まで以上にこれから首を突っ込む正体を知っているせいか、三咲町を出る前に交わした言葉よりも重い口調。

                                                                                      

 

「それは……誰だって、身近な人が死んだら悔しい」

 

「はい、お手伝“できた”のなら尚更でしょう。

 ……だから、私一人で戻る事はずっと前から、とっくにできなくなっているんです」

 

 

 にこやかに笑いながらそう言われて、一体どんな言葉を返せばいいのか。

 

 要するに、今更悩んだって無駄ですよと勧告されたようなもの。

 死んだら一生後悔するなんて、実に打算的な言い方だと思う。頭が痛くなる暇もないくらい。

 

 

「……もしかして嵌められた」

 

「あはっ、まだハメられてはいませんけどね」

 

「…………えっと」

 

「わ、笑って流して下さいよ! ちょっとした言葉遊びじゃないですかっ」

 

 

 真面目なのか、ふざけているのか、判断できなくて溜め息を吐く。

 勝手に赤くなる様は可愛いけど、女の子が下ネタを言うのはどうなのさ……って、そうじゃない。

 

 琥珀も此度の自爆はさすがに恥ずかしいらしく、すぐに真面目な話へと咳払い一つで軌道を修正した。

 

 

「感応能力をもっと上手く扱えないかなと、そう思ったんです」

 

「修行の話か?」

 

「はい、ちょこっと魔術を習ったところでアキさんやさっちゃんに近付けるのなら、魔術師の皆様は苦労してないでしょうし。

 だから、私に備わっている能力をもっと伸ばそうかなって」

 

「……感応能力ってそんな事できたっけ?」

 

「わかりません。ですけど魔術にも似たようなものがあると思いますし、できる可能性だってあるんじゃありません?」

 

 

 何事も挑戦ですよ、と意気込む琥珀。

 

 魔術回路を繋げると言った意味では、魔術と近いのもあながち否定できないが……さて、どうだろう。

 

 

「イメージとしては、体力か精神力かを必要に応じて使い分ける事でしょうか。

瀕死の怪我でも、生命力に感応能力を集中させる事で一命を取り留めるといった具合に」

 

「それって都合良過ぎないか?」

 

「う〜ん、でも、どの方面を補強するかをコントロールできたらいいですね。そうなればきっと、私もお役に立てると思います」

 

 

 嬉しそうに両手を絡ませて、頬を少し朱色に染めて。

今でも十分役に立ってるというのに、それ以上を琥珀は望む。素で気付いてないだけかもしれないが。

 

 

(全く……)

 

 

 どうにかして、強くなりたい。

 それか、強さを覆すほど圧倒的な運が欲しい。

 

 

 ……志貴に頼むのもありかもしれん。

 連絡は相変わらず取れないが、来年の夏に帰ってくる事は約束付けた。

 

 志貴一人では厳しいが、真祖も手伝ってくれるとなれば心強い事この上ないし。

 

 

「……まぁ、今は自分が少しでも強くなれるように頑張ってみるか」

 

「はい、私も感応能力の扱い方をあれこれと模索してみますから……手伝って下さいね」

 

「何を?」

 

「嫌ですよ、アキさん。実際に使う以外どうやって練習するんです?」

 

 

 あぁ、言われてみれば確かに。

 魔術のような学問体系が確立されているわけでもない感応能力では、机上の空論は意味をなさない。

 

 ……いやいや、それと今の発言は関係ないぞ。

 

 

「ゆ、弓塚がいるだろ!?」

 

「さっちゃんは一般人と勝手が違いますから、やはりアキさんにも協力して頂かないと……」

 

「それ以前に昨日の話、思い出せって」

 

「あれはアキさんがセンチなだけで、私は構わないと言ったのも思い出して下さいね」

 

 

 即座に言い返されて言葉に詰まる。

 うん、責められるのはいいんだが、これだと昨晩心臓抑えてまで話した意味ないじゃん、と熱くなる頭で努めて冷静に突っ込んでみる。

 

 え、Mじゃないんだからねっ!

 

 

 

 

「……予行演習、します?」

 

 

 

 

 口調は普段と変わらぬ悪戯する様な物言いで。

 思考に霧がかかった感じが、身体の正常な反応を奪う。

 

 

 今いる場所も忘れて、目の前の女の子に意識が固定される。

 床に手をついて前屈みで近付いてくるから、胸元からちらりと白い肌が覗いて、先日とは別の意味で心臓が強く脈打った。

 

 本気、冗談、どっちなのか読み取れないけど、潤んだ瞳は悲しいからとかそういう負の感情からじゃない。

 ……だったら、何も悪くないかもしれない。可愛いは正義だし。

 

 

 身体は動かない。

 動かないけど、距離は段々と狭まっていく。

 

 

 

 

 ――――瞬間、肩を痛いくらいに掴まれて、後ろに思いっきり引っ張られた。

 

 

「えっと……二人とも、先に片付けしよ? 今は昼間なんだし……ね?」

 

 

 もの凄く微妙な、何とも表現し難い顔をした弓塚が開けた視界に入る。

 

……そう言えば、弓塚のことすっかり忘れてたっけ。

 

 

 

 

 

憑依in月姫no外伝

第十二話

 

 

 

 

 

「前振りが長いな」

 

「何か言いました、橙子さん?」

 

「いや、朝起きて飯が出来てるというのは実に素晴らしいと言っただけだ。昔を思い出すがな」

 

 

 日付変わって翌日の朝。

 

半分くらい倉庫になっていた部屋を片付けたのが昨晩。

途中で力尽きて眠ってしまい、そのまま夜を明けた次第である。琥珀が中途半端に手伝うから、仕事が倍増えた感じだった。

 

 そんな整理整頓では全く戦力にならない琥珀も、早起きして一人でご飯の支度を済ませてくれたのだから文句は言うに言えない。……ちくしょう。

 

 

 琥珀の要領の良さに呆れながら、昨日と変わらない格好の魔術師へ目を向ける。

 

 遅くまで何をしていたか知らないが、一人遅れた朝食を頬張る橙子さんの目下には分厚い隈がある。

 もしかして、また連日で徹夜でもしているのだろうか。あんまり忙しそうには見えないけど。

 

 

「何だ、じろじろと人の顔を見て」

 

「いえ、顔色悪いなぁと。大丈夫ですか?」

 

「ん……何、心配には及ばん。君の思想改造……ではなく、修行に支障はない」

 

「さりげなく物騒な事を……」

 

 

 聞き間違いであるのを願うのみである。

 

 

「君の修行とて、私が付き添って行うわけではないからな。

睡眠が足りてなかろうと、術式のヘマをする程落ちぶれてはおらんよ」

 

「そういえば“認識”がどうとか言ってましたけど、俺は何をすればいいんです?」

 

 

 琥珀に変わって食器を洗いながら、肝心な事を聞いていなかったと今更な質問をする。

 

対して橙子さんは魔術の話を片手間に新聞を読み始める。

向こうにとっては、大した事じゃないんだろう。

 

 

「物質の硬度を瞬時に数値化できれば“硬さ”の“認識”は飛躍的に高まるだろうからな。

測定手段はビッカース、モース、ショア、ロックウェルなど多様に渡るが……半年あれば十分に染み込ませられる」

 

 

 コーヒーをくいっと喉に流し込み、問題ないと言わんばかりに言い切った。

 

 

「椅子に鎖で縛りつけ、身体の自由をまず奪う。視覚、聴覚、嗅覚、味覚も邪魔なだけだ。これも一時的に魔術で奪う。

 そして周囲に魔方陣を描き、君の脳に映像として直接落とす。壊れたカセットテープの様に延々とだ……地獄の淵が見えるまで、限度一杯まで行く……! 君が完全に倒れるまで……修行の後は骨も残さん……!」

 

「せめて骨は……じゃなくて、お願いしますから意識も残して下さい」

 

 

 緊縛プレイに放置プレイなんていきなりハードルが高すぎます、橙子さん。

 

 

「どうだ、早速始めるか? ちょうど飯も食べ終えたところだ」

 

「冗談抜きで監禁されるんでしたら、その前に二日ほど時間が欲しいのですが」

 

「何だ、やり残した事でもあるのか?」

 

「一度、三咲町へ帰ろうかと。

電話で連絡入れれば済みますけど、半年も会わないとなると直接会って言った方がいいと思いまして」

 

 

 秋葉には顔見せるなと言われてから時間はそう経っていないので、おそらく話す事は無理だろう。

 

そもそも、秋葉がこちらの現状を把握しているかと言われると微妙なところだし。

翡翠に秋葉の世話を任せたのは琥珀だが、その理由が嘘偽りなく伝わっているかは俺のあずかり知らぬところである。

 

 

 取りあえず、余計な心配をさせないためにも翡翠と有間の方には面と向かってしばらく留守にする事を言っておく。

 時南医院で弓塚の薬を補充するのも忘れていないが、三咲に戻る一番の目的はそれだろう。

 

 加えてもう一つ、橙子さんに確認しておかなければいけない事がある。

 

 

「それと我儘ですみませんけど、今年の七月、八月辺りは三咲町で過ごさせてもらっていいですか?」

 

 

 我ながら注文の多い野郎だと思ったが、事の他、橙子さんからの小言は聞こえてこない。

 

こちらの考えてる事に察しがついているのかどうなのか。

 目尻を若干上げて、新聞から目を離した。

 

 

「遠野四季が反転したのは八年前ですけど……もしかしたら、原作でも八年前じゃないですか?

こっちの世界は本編の開始が一年早まってますから、もしそうだと“ズレ”てますよね、これ」

 

 

 周囲に目を配りながら、間違っても部屋の外に漏れないよう声を落とす。

 琥珀はともかく、弓塚に聞かれたら説明するのに苦労を背負わされることになる。

 

 

「君が彼女の誕生日を祝ってから五ヶ月後だからな。原作の年齢と比較すると、一回り早かったが、別に今更どうという事はあるまい。

事実、君が正確な知識の元に行動していたとなれば、この“ズレ”には対応できなかったわけだしな」

 

「結果オーライですね、わかります」

 

 

 淡々と述べる魔術師。

 遠野で起きた八年前の惨劇なぞ昔の話、と興味無さげに切り捨てる。

 

 

 しかし、八年前の事件が原作より早く起きたのなら、粗末であるが一つの可能性が浮かび上がる。

 

 猟奇殺人事件の前倒しは介入した結果。

だが、八年前の惨劇は完全なる原作との“ズレ”。

 

 

だとしたら――――

 

 

「聖杯戦争やタタリの出現が、原作より早い時期に起きる可能性があるんじゃないでしょうか?

両儀式が昏睡状態に陥った時期も、黒桐さんの年齢から考えると一年早いですし」

 

「…………ふむ、そう言った推測も少々乱暴だが出来ない事はないな」

 

「この世界が原作とズレているなんて思いませんでしたから、この街に来るまで気にしませんでしたけど……一回疑い始めると、過去にも気になる点が結構見つかったんです。四季の反転時期も、それで記憶に引っかかりましたよ」

 

 

 志貴や代行者には来年の夏と言ってしまったが、この街に来て状況は変わった。

 いや、状況は変わっていないが、気付くべき事にようやく気付いたのだ。

 

 

 七夜が襲撃された時期は知らないため比べようはないが、原作で四季が反転したのは琥珀が八才か九才の頃。

 

 そして今、橙子さんは一回り早いと言った。

 

 つまり、この世界で起きた“八年前の惨劇”は本来“七年前の惨劇”である筈だったという事。

いくら原作やったのが昔だからと言っても気付けよ俺、と大いに反省。

 

 

「確率はどうにも言えませんけど、警戒しておいて損はありませんから。

ついでに言うと、三咲町には志貴や真祖、下手したら代行者もいないので」               

 

「遠野秋葉だけでは返り討ちに合うから、タタリは倒せずとも身内くらいは守ってやりたいと?」

 

「そんなところです。翡翠や都古ちゃんもギャグならともかく、シリアスだとどうなるかわかりませんし」

 

 

 神妙な面持ちで、橙子さんは新聞へ視線を戻す。

 紙面を睨んだまま微動だにしないのは、真摯に今の話を考えてくれているからか。

 

 

 ……一度、橙子さんに頼み込んででも記憶の齟齬を正した方がいいのかもしれない。

 

 

 浅神に伝わる能力、歪曲の本質、四季が反転する時期。

 

 致命的なミスは無かったものの、原作と記憶の食い違いは、一歩間違えれば取り返しのつかない惨事を招いていたとしても不思議ではなかった。

 

 

 この不安定な世界で月姫本編を無事収束できたのは、単に志貴が原作以上に強かったからだけだろう。

後は運が良かったのだ。

 

 

 

 

 ――――気を引き締めろ。

 

 

 ゴールが見えても、まだ安心するには程遠い。

 原作との違いから少しでも情報を読み取り、未知の事態に備えなければ。

 

 三咲町に帰って、また戻ってきたら頼んでみよう。

 

 

 カップを指で叩き、コーヒーのお代わりを催促される。

返事の代わりに大きな溜め息を吐いて、それに答えた。

 

 

 

 

    ◇

 

 

 

 

「おぉ〜、我が家に帰ってきた! って感じだね」

 

「取りあえずカッパ脱げよ、暑苦しい」

 

 

 で、離れに帰ってきた俺たち。

いや、正確には俺と弓塚だ。琥珀は時南医院の方へ用事があるので、一足先に先に帰宅して休ませてもらう事にした。

 

 

「しかし、何もお前まで付いてくる事ないだろ? どうせ有間に顔は出せないんだし、帰って来たって意味ないぞ」

 

「だ、だってアキ君と琥珀ちゃんいなくなったら、わたし橙子さんと二人っきりじゃん!? 何されるかわからないよっ」

 

「だからってこんな天気のいい日にカッパ着こんで電車乗るなよ! 三回も職務質問されただろ、お前のせいで!」

 

「えへへ、暗示の魔眼でスルー余裕でした!」

 

 

 いつの間にか魔眼を扱えるようになったおかげで調子に乗る弓塚。

 使い勝手の良さに少し羨ましい。そして妬ましい。

 

 

「はぁ……だいたい一般人に魔術行使してるのをあの代行者にでも見つかったら、それこそ本気で殺されかねないってのに」

 

「むぅ、夜になってから動くんなら私も怪しい恰好しなくて済むもん。橙子さんには二日貰ったんでしょ? だったら日帰りなんて急がなくても、今日の夜にこっちへ帰って明日の夜に戻ればいいのに」

 

「明日は明日で用事があるんだよ」

 

「何が?」

 

 

 それは、と言いかけて、止める。

 

これは弓塚に話せる内容ではないと、口を閉じて沈黙した。

 

 

 明日は鮮花経由で、藤乃と会う事になっている。

 ただ一緒に買い物をするだけなのだが、その時に以前に交換し損ねた藤乃のメルアドをゲットしようかなと。鮮花に教えてもらえば早いのだが、やっぱり本人に直接聞いた方がいいと思うし。

 

 メルアドが交換できたら、こまめにメールを送る予定だ。

 そう言うのは苦手なんだが、会う機会も少ないからそのくらいしか好感度を上げる方法は思い付かない。

 

 

(……この程度で、原作が良い方向へ逸れたら苦労しないが)

 

 

 もし……もしも、藤乃が何らかのサインを送ってきたら、出来る限り駆けつけよう。

 鮮花とも原作以上に仲良さそうだったし、万が一にも逸れる可能性はゼロじゃない。

 

 

 

 

 そう、これはいつかの様な自己満足。

 

 従妹の藤乃を救おうとする姿勢を保つ事で、この身体の意識を“殺して”さらに魂まで好き勝手使っている罪悪感を薄らげる。

 

 物語上で死んでいた人物に憑依したのは、死人を操っている感覚にも似ている。

 もちろん一人の人間として精一杯生きているし、八年間もこの身体で過ごしてきたのだから、自分の身体としてもすでに違和感はない。

 

 

 ただ……頭の隅に残留している、どうとも言えない感覚。

 これが消えない事には、あと腐れなく“七夜アキハ”として生きる事ができないんじゃないかと、そんな錯覚を覚える。

 

 

 

 

「――――珀ちゃんは教えてくれないし……って、アキ君ちゃんと聞いてる?」

 

「すまん、聞いてなかった」

 

 

 内側に沈んでいた意識を戻す。

 

 どうやら弓塚が何か喋っていたらしい。

 無視した形になったせいで、弓塚の頬がリスみたく膨らんだ。

 

 その頬を突きたい衝動を堪えながら、さてどう話したものかと考える。

 藤乃と出掛けるためと言ったら変に疑われそうだし、そこまでして会いたいのかと聞かれたらどうにも答えられない。

 

 

 弓塚の視線から出来るだけ気を逸らせて、荷物を置く。

 そこで、部屋の中に置かれていた異物に気がついた。

 

 

「……手紙?」

 

 

 六畳ほどの畳が敷かれた部屋の中央に、ポツンと封筒が置かれてあった。

 元々余計なものが置かれていない部屋なため、白いソレは場違いなくらいに目立っている。

 

 

「弓塚、これってお前のか?」

 

「え、違うけど……」

 

 

 何故こんなところに、こんなものがあるのだろう。

 遠野家宛なら秋葉の下宿先か有間の家に届く筈。そもそも、ここは世間からすれば隠れた納屋みたいなもので、住所も何もあったものじゃない。

 

 

 手に取ってみても差出人の名前は見つからなかったので、仕方なく封を開ける。

 

 書かれている文字を見て、目を疑った。

                                                             

 

「――――これ、志貴からだ」

 

「志貴って……あ、もしかして遠野君? 眼鏡かけてる殺し屋さんの」

 

「そう……うわ、なんか懐かしいな。まだ旅に出てからそんな経ってないってのに」

 

 

 久しく感じるのは、馬鹿に密度の濃いイベントを過ごして来たからかもしてない。

 志貴も青子についていって大変だっただろうが、こっちもここ最近は精神的に色々あったし。

 

 

 この手紙は、アルクェイド辺りが使い魔でも作って志貴に貸したのだろうか。

 

 前の世界より技術が少し遅れているため、まだ携帯は国内通信のみ。

海を越えての運送でなければ届く筈もないし、早くも志貴が習得したとは考えにくい。

 

 

二三枚に渡って書かれた手紙に、目を走らせる。

 

手紙には不自然にも名前が一度も書かれていないところを見ると、おそらく、俺以外の別の誰かに渡る可能性も考慮したのかもしれない。

おかげで若干読みにくかった。「怖い年上に怒られた」なんて書かれてもどっちかわからないっての。

 

 

「遠野君とアルクェイドさん、元気にしてるって?」

 

「あれ、お前ってアルクェイドのこと嫌いじゃなかったっけ?」

 

「嫌いというより怖いの。でも、街を守ってくれたし、わたしを襲った人を倒してくれた人だから感謝してるよ」

 

 

 すぐ睨まれるからお礼は言ってないけど、と苦笑い。

 

 内容が気になるのか、肩越しに手紙を覗きこんできた。

顔が近い。それに背中に当たってるぞ、おい。しかし気持ちいいので、あえて黙ってる俺。

 

 

「あ〜、コホン……と、取りあえず二人とも仲良くやってるそうだ。

いつの間にか黒猫の使い魔も増えて、四人で旅してるらしい」

 

 

 どうやって結ばれたかは知らないが、レン死ななくて良かったねと言っておこう。

 

 

 内容は修行や依頼の事はあまり触れられておらず、ほとんどが日常的な話だった。志貴らしいと言えば志貴らしい。

 

 最近の悩みはアルクェイドが毎晩夢魔を使って夢の中まで襲ってくる事で、それを撃退するのに苦労しているとか。

寝ている時くらい休めよ、お前ら。

 

 

 ……というか、読み進めていくうちに志貴とアルクェイドの関係がわからなくなった。

 

志貴がアルクェイドに抱く感情は“愛”ではなくあくまで“友愛”かと思えてくる程、アルクが煩い的な事ばかり書いてあるし。

甘い言葉は黒猫……つまりレンについて書かれている時だけ出現する。何故か、字も丁寧でポエムになる。

 

 

 そして青子への愚痴も長かった。

 

魔術を教えるはいいが、教えるのが下手でかつ覚えられなかったら志貴のせいと理不尽スパルタ教育の王道を突っ走っているらしい。

 

志貴曰く、魔術の修行より一方的な弾幕ごっこをしている方が多く、おまけにそこへ志貴を愛するアルクが介入して真祖と魔法使いの喧嘩に発展するのが日常茶飯事……と、滲んだ字で訴えていた。

 

 

「……成る程、危険だな」

 

「はは……えっと、わたしだったら身体持たないかも」

 

「いや、身体は大丈夫だと思うんだが」

 

 

 精神の方が非常に心配である。

 

 寝床ではアルクェイドに襲われ、昼間は青子に襲われ、夕方に一息ついたところでレンに癒される。

 ……どう見てもロリコン患者一直線です。本当にありがとうございました。

 

 世間から身を隠せるよう修行するのは友人として喜ばしいが、志貴の年上嫌いに拍車が掛かりそうで怖い。

 

 

 とまぁ、そんなギャグとも何とも言えない内容に乾いた笑いをしたところで、後半のある文章に視線がいった。

 

 

「――――血を吸われそうになった? アルクェイドにか?」

 

「え、どういう事!?」

 

 

 血、という単語に弓塚が些か過剰に反応する。

肩を掴む手に、力が少しこもった。

 

 

「いや、大げさに書かれてるわけじゃないんだが、夜中に一回身動きを封じられたとか。

 青子が割って入って吹き飛ばしたらしいし、それ以後は特に何もなかったと書いてあるから大丈夫だとは思うけど……」

 

「アルクェイドさんが……」

 

「真祖の吸血衝動は情愛から来るものだが、弓塚も例外じゃないからな。血は定期的に薬で補っているとはいえ、気をつけろよ?」

 

 

 二人の関係を深く詮索した事はない。いや、詮索する暇がなかった。

 

 何せ、志貴が旅だったのは猟奇殺人が幕を閉じた翌日。

二人が仲良く談笑してるのなんて、デパートで志貴のダブルデートを目撃した時のみだったし、把握しろと言う方が無理なもの。

 

 

 愛情がアルクェイドに向いていなかった分、今になって原作のイベントが起きたのかもしれない。

 真祖の寿命でもある吸血衝動……設定が“ズレ”ていたなんて考えは、さすがに虫が良すぎたようだ。

 

 

 手紙を折り畳む。

 

 

 ……アルクェイドの吸血衝動は懸念事項だが、こっちから積極的に関わる事ではない。

 それなりに志貴の近況が知れて良かった、という事にしておこう。

 

 

「んじゃ、琥珀が帰ってくるまでテレビでも……って、弓塚?」

 

「――――ん……ん!? な、何かな?」

 

「なぜ焦るし」

 

 

 どこか惚けた表情をこちらを向け、だらしなく口を半開きにした弓塚。

声をかけた瞬間、まるで寝起きの様に顔をこすった。

 

 その仕草が何だか艶めかしくて、胸が高鳴る。

 

 

「ど、どうした? まさか今の話聞いて……吸血衝動に心当たりあったりとか」

 

「ち、違うよ! そ、そうじゃなくて――――こ、これ!」

 

 

 言葉を遮り、ぐいっと髪を掴んで引っ張られる。

 痛い、超痛い。

 

 

「ア、アキ君の髪の毛すごい伸びたなぁって! 見つめてたらボケっとしちゃっただけで」

 

「そ、そうなのか?」

 

 

 いつになく必死な弓塚。

 

その勢いに気圧され、言葉が喉元で突っかかった。

 あ、とか、うん、とか気の無い返事しか声にできない。

 

 

「別に変ってわけじゃないけど、何で切らないの?」

 

「あ、あぁ……えっと、短くすると幼く見えるんだよ。で、長いと逆に大人びて見えるから仕方なく」

 

 

 話を誤魔化された気が……と思いながらも、ものを言わせぬ雰囲気に口を閉じた。

 

 

こちらの髪を掴んだまま放さず、弓塚はそれを一つに纏めたり二つに分けたりと無言で弄る。

特に喋る言葉が見つからないので、俺も黙っていた。

 

 

 大分、伸びたんじゃないだろうか。

 視界の端に移る自身の紫っぽい髪の毛と弓塚の白い指を見て、思った。

 

 小学生の頃は短くても構わなかったが、成長するにすれ段々と印象も変わってしまい……今では吸血鬼前の弓塚くらいの長さかもしれない。

 もうこの身体、遺伝子的にどうなってんだよと言いたくなる。男のくせに。

 

 

「……邪魔だから縛るのも有りかもな、これ。弓塚、髪ゴムとか持ってたり」

 

「――――二人ともお待たせしました! そしてアキさん、ここに髪留めがありますけど使います?」

 

「準備いいな。もう驚かないけど」

 

 

 もう用事は済ませたのか、颯爽と現われ会話に加わる琥珀。

 三咲町に帰って来たせいか、いつもよりテンションが高い。

 

 何結びにしましょうか? と弓塚の隣に仲良く並んだ琥珀が愛想よく聞いてくる。

何でもいいんだが、と思った矢先、先日の一件を思い出した。

 

 

 ふいにそれが浮かんだのは、この離れに居たせいかもしれない。

 

 

「白いリボン……あれ、貸してくれないか?」

 

「え、あれは」

 

「駄目か?」

 

「いえ、アキさんなら構いませんけど……私のお古ですよ、あれ。言って頂ければ、新品のを用意しますけど」

 

「それじゃ意味ないって」

 

 

 琥珀が旅行鞄から取り出し、それを受け取る。

 

 身につけるならこれがいい。

 そう思うのは、無駄に感傷的になりやすい気質だからだろうか。

 

 

 志貴を救って、琥珀を救って、そして二人を結んだもの。

 この世界では、琥珀がただ昔の思い出として大切にしているだけのものとなっているけど。

 

 

「これからまた裏の世界に足突っ込むし、お守り代わりとして使いたいんだが……いいか」

 

「……はい、喜んで」

 

 

 特に理由はないけれど、何となく、このリボンは特別であってほしいと思う。

 

 これがある限り、まだまだ頑張って駆け抜けていけそうな、そんな気がする。

 

 

「――――よし、何だかわからないけど、わたしが結んであげるね!

というか、何かしないとまたハブにされちゃいそうだし」

 

「そんじゃ髪形任せた」

 

「……お揃いにするよ?」                                     

 

「ポニテでお願いします」

 

「むぅ……今のはどういう意味かな、アキ君?」

 

「ばっ、押すなっ、それと当てるな! 気持ちいいけどこれ以上は辛いんだよ!」   

 

「え……きゃあっ!?」

 

 

 今頃になってようやく気付く弓塚。

 胸を隠し、顔を赤らめて睨んでくる。しかし誘ってる様にしか見えないため、衛生的に大変悪い。

 

 

 そんなやり取りを見て、琥珀が何やら意地悪そうに笑う。

 少女の視線というより女の視線。やだこわい。

 

 

「あはっ、アキさん、もしかして“むくりなう”しちゃいました?」

 

「「…………」」

 

「な、何で固まるんですか、二人とも! ちょっと今の流行りを使ってみただけですよ、私は!?」

 

「その前に下ネタから離れてくれ」

 

 

 痛い子はそっとしておいて、改めて弓塚に頼んで結んでもらう。

 琥珀が涙目になっていたような気もしたが、何、気にする事はない。

 

 

 結ばれたリボンは一種の決意。

 

 危なくなったら琥珀と弓塚をつれてすぐに手を引く。踏み止まれるのなら、そこで力の限りを出し尽くす。

 冬木では戦闘力よりも、事態を見極める力が重要になるかもしれない。

 

 

 

 

 ――――山道はまだ四合目辺り。一段落、そんな言葉が上手く嵌った。

 

 

 頭を振って、結われた髪とリボンを揺らす。

 優先すべき順位。絶対に死なせたくない人と止むを得ない人を間違えないよう、心の中に天秤を作って胸に釘打つ。

 

 強くても弱くても、選択肢を選ぶ瞬間は必ず来る。

 それだけは、誤る事は許されないのだから。

 

 

 

 

「わ、すごい似合ってる!?」

 

「……アキさん、男の子ですよね? 可愛いですけど」

 

「取りあえず鏡を寄こしてくれ、いや、やっぱり見ない方がいいのかも……」

 

 

……加えて服装にももう少し気を使っておこう。

 女の子に間違われるのが常日頃になる、その前に。

 

 

 

 

 

 

 

 

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