※以下の文章はHPの月姫SS「憑依in月姫no外伝」の第三十七話の続きとなります。
「…浅上藤乃の行方はまだ掴めていない。鮮花が一度接触したが、取り逃がしてしまってな。
幸いと言うべきか、鮮花が駆け付けたのは藤乃が無関係な輩を殺戮する一歩手前。“原作”のような暴走状態に陥るにはまだ殺人が足りていない」
「な、なら、まだ藤乃は助かるかも――」
「落ち着け、七夜。従妹であり、鮮花と同等に妹分として付き合ってきた藤乃が心配なのは解る。
鮮花も既に事件に介入しているため尚の事だろう。何より、君は鮮花に借りが多い」
戸を開け放ったまま佇む自分から目を逸らし、蒼崎橙子は腰かけていた椅子に一層くたりともたれ掛かる。
唇の隙間から出る煙が、薄暗い室内を曇らしていく。
「――君の気持は解る」
念を押すように紡いだ。
七夜アキハは浅上藤乃を見捨てられないと。
一つの幼い魂を不可抗力とはいえ取り込んでしまった故に、その親族の不幸は無くしてやりたいと思う罪悪感。
そんな自身の都合も確かにあるが、藤乃と鮮花、この二人と親しい間柄であるから助けたいと想う気持ちが今は強い。
理由は簡単だ。
今は七夜アキハだけではない。
七夜アキハの魔眼は潰れ、身体も完全治癒には至っていない。
それでも、手を差し伸べてくれる仲間が自分にはいる。
「橙子師匠っ!」
「心昂って拳を握りしめているところ済まないが、私は君に説教の一つでもくれてやりたい気分でね……ふふっ」
「……なん……だと?」
空気が凍りつく。
思わず後ずさるが、身体はそれ以上進まず。
振り返ってみると赤毛と茶髪。
琥珀と弓塚が、すぐ後ろで自分の身体を固定するようにして掴んでいた。
何故、と思ったが答えは簡単。
琥珀や弓塚の後ろからずっと列になっているため、単純に下がる事が出来ないのだ。
大所帯で伽藍の堂を訪れた事が仇になったらしい。
「ア、アキさん、何か出直した方が良くありませんか?」
「橙子さんすごく怒ってるような……。アキ君、心当たりは?」
「あ、あるわけないだろ!? こっちは聖杯戦争から帰ってきたばかりなんだぞっ」
その一言で、橙子さんが立ち上がる。
一応味方である筈の魔術師に腰を低く構えながら視線を送る。
魔眼とも見間違う程に鋭い瞳が、身体の芯を貫いた。
「なぁ、七夜。君は本当に阿呆だな」
「……ははっ」
怖すぎワロタ。
「魔術師の隠れ家に英霊やら真祖を連れてくる馬鹿がどこにいるっ!!
戦争でもおっ始める気か、貴様はああああああ――――っ!!」
憑依in月姫no日常
Episode.1「帰還」
「――――で、取りあえずだが君の連れてきた客人には一旦散って頂いた。
ある程度の金銭は渡したので、まぁ寝床に困ることはないだろう」
「なんて扱いだ……」
伽藍の堂に帰還後、これまでに無い一喝を受けた。
戦力過剰にそこまで頭を悩ませるものかと不思議に思うが、魔術師にとっては色々あるのだろう。
現在、琥珀と弓塚と揃ってソファに大人しく座っている。
他のメンツは言わずもがな、門前払いである。
オフィスの椅子に重く腰かけ、煙草をグリグリと灰皿に押しつけながらこちらを睨む橙子さん。
何がそんなに気に食わなかったのか解らないが、目だけは合わせないように注意しておく。
魔眼で人に苦痛を与えることなど、この人にとっては造作もない事だから。
「ん、どうした七夜。何故そんなに俯いている?」
「いや、はは……戦争帰りなものですから疲労が溜まっていてですね」
「……」
「……」
嫌な空気である。
「……あ、あの……橙子さん?」
隣に座っている弓塚が、そっと挙手をして橙子さんの顔を窺う。
「何だ、さつき」
幾分か声色が和らぐ感じ。
弓塚の人柄のおかげか、自分ほど怒りが向けられる事はないらしい。
「えっと、魔術師の工房に皆を連れてくるのはそんなに不味かったんですか?
藤乃さんが大変だってアキ君が言ったら、皆が協力してくれるって……わたしと琥珀ちゃんもその方が絶対に楽になると思ったんですけど」
「さっちゃんの言う通りです、橙子さん。
ですから、その……あんまりアキさんを苛めないで頂けたらなと」
いい感じにフォローを入れてくれる弓塚に琥珀が繋げる。
橙子さんの顔の険しさを窺うのが怖くなるくらい必死さが伝わるが、二人の真剣さにちょっと泣いた。
「その気持ちは受け取ろう。君達二人も、悪気があっての行為だとは思っていない。
だが七夜、てめぇは駄目だ」
「はうぉ!?」
身体の所々に鋭い痛み。
物影から小型の使い魔が容赦なく特攻を仕掛けてきたらしい。
壊れた眼球の復元は完全ではない上、無駄にスピードが早いおかげで正体を見極める事も出来やしない。
「ア、アキ君っ!」
やばいと判断した弓塚の腕が素早く動く。
次の瞬間、その手に握られていたのは五、六匹の雀の形を催した黒い塊。
スッと、魔力が散っていくようにそれら使い魔は消滅した。
「随分弱っているようだな、七夜。
反射神経は元より、微小であった対魔力も無くなっているとは少々驚いたぞ」
「……後で色々とご説明致しますから体罰は待って頂けないでしょうか、いや本当に」
クタクタな身体で本気の土下座。
裏の世界は殺しても割と証拠隠滅でどうにかなるので、殺される側の者としては上の者の機嫌は絶対なのだ。
机を指で数回。
静かなオフィスに、乾いた音が鳴らされる。
やがて、思考の中から帰ってきた橙子さんが口を開いた。
「なぁ七夜。私は以前、君に何度か話した筈だ。
“私たちのような魔術師”にとって大切な事だ。覚えているか?」
「……正直に言いますと、馬鹿とか阿呆とか罵られた事しか記憶にありません」
「解った。身体能力と魔術回路はともかくとして、頭は平常運転のようだな」
溜め息に交じって口から濁った煙が吐かれる。
「仕方がない。今回はさつきと琥珀にも聞いて貰おうか。
そこの阿呆の手綱は君らの方が上手く握れるのだろう?」
「はい、アキさんのなら責任を持って」
「わ、わたしも!」
「余計な気を使っていたか……。
やはり話すべき順番を間違えたな、私は」
自信を持って言い切る二人の姿に苦笑する橙子さん。
この言われように反論しようとは思えないし出来る筈もないのだが、何となく弓塚に言われるのだけは釈然としない。
が、学力のレベルは上なんだからね!
「さて――」
一呼吸置く。
窓から見える景色はやけに薄暗い。
「私が三人に忠告するのは一つだけだ。
強い力は、等しく強い力を呼び寄せる。このルールは忘れるな」
「ルール?」
「そうだ、さつき。この言葉は自身の抑制や心得ではない。
君達が考えている以上に、これは絶対の規則となっているのだよ」
聞いて、思い出す。
それはこの伽藍の堂で何度か耳にした覚えがあった。
規則とは言い過ぎではないかと、最初に聞いた時はそんな感想を抱いたような。
「世の理、でしたっけ?」
「遅い。今更思い出したか。
強い力を持ったとしても、それと同時にその力に均衡した何かを呼び寄せる。
それは運命と言っても差支えない程の因果であり、その因果により世界は今日までこの形を保っているのだと……覚えているか?」
「は、はい、しっかりと……」
星の抑止力が作用しているか、正確な所は解っていない。
だが、力を持ち過ぎた者は同じく力を持つ者の前に倒れ、発達し過ぎた文明は滅びという結果を呼び寄せている。
独裁者は成り立たない。
かの最強と謳われた紅い月でさえも、第二魔法の使い手の前に敗れ去った。
喧嘩を吹っ掛けた理由が気に入らないからであり何と感想を述べたらいいか非常に困る動機だが、これも橙子さんには一種の運命操作になり得るらしい。
この話を聞いて唯一思った事は、七夜アキハでも悪くはなかったという事。
もしも憑依した先が強大な力を有する人間であったのならば、今頃は考えなしに力を振り回して運命に潰されていたかもしれないのだから。
これはあくまで魔術師ではなく蒼崎橙子個人としての考えと言われたが、この人に師事して貰った自分としては同じ考えで在りたいと思う。
ついでに言えば、橙子さんに巡り合えたのもこの因果のおかげだろう。
“弓塚さつき”という魔性の力を所持していたからであり、それなくしてはまた別の結果になっていたようにも思えてくる。
もっとも全てが運命の掌で踊っているなどは味気ないし思いたくない。
要は個人の線引きなのだ。
「君達が私の元へ“彼ら”を連れてくるのを嫌ったのはそのためだ。
あれ程の力が一カ所に長時間留まれば、いずれ何が起こっても不思議ではない。
例え、未来視に近い事が出来たとしても、それを覆す要因を抱えていては逆に足元を救われる」
そう、強く言い放つ。
未来視という部分を強調して、橙子さんはこちらに鋭い視線を投げかける。
原作の流れ。
両義式の覚醒時期が早まっていたり、鮮花が藤乃と親密であり既に魔術師として事件に介入している事など、ズレている要因は多々見受けられる。
しかし、それでも大筋は変わらない。
両義式を中心として荒耶宗蓮が仕組んだこの舞台を、蒼崎橙子はとうの昔に視ているのだ。
その結末に不満はないが、だからこそこの魔術師はそれを変えない事に徹するだろう。
「……七夜、藤乃の件には手を出すな。
君一人でどうこう出来る代物ではないし、かと言ってさつきや他が動けば荒耶を刺激する事になるだろう」
「で、でもそれじゃ――」
藤乃が死ぬ事はない。
だが、手を伸ばせば助けられるかもしれない従妹がいるのに、それが出来ないのはおかしくないか。
理不尽な思いが顔に出たらしく、戒めるように言葉が掛かる。
「落ち着け。私とて……一応は人の子だ。
人の不幸に心は痛まずとも、弟子の友人となれば少々心を動かそう」
「……具体的には」
「私が仕向けた訳ではないが、この件については鮮花が自ら動き出した。
私の方で、私の範囲で、私なりに鮮花の協力はしてやろう」
「……俺はどうすれば」
「“七夜アキハは蒼崎橙子に黒桐鮮花の手助けをするよう懇願した”これで胸の内は収めておけ」
憮然と、それが自然の成り行きであるかのように言われて言葉が詰まる。
どうしようもない。
周囲の人間が強くとも、優秀であっても、それと対比するように七夜アキハの情けなさが露わになる。
「――目下、君にはこの件以上に大切な仕事がある」
そんなこちらの気持ちを汲む筈もなく、淡々と物事は進んでいく。
手招き。
自分ではなく琥珀に向けられたそれに、琥珀は若干戸惑った。
「わ、私でしょうか?」
「適材適所だ。頼まれてくれるかね」
立ち上がり、琥珀は橙子さんの傍まで歩み寄る。
鍵を渡されて一言二言。
頷いた琥珀は、そのまま足を上の階へと向けていった。
こちらに聞かせないつもりか、後半はやけに小声であったため分からなかった。
「と言う訳だ。
連れてきた連中に直接言いたい事がある場合は、一時間なら許可を出そう」
「志貴やシオンさんには携帯で事情を説明しますから構いませんけど……後半は何て言っていたんです? 聞こえませんでしたけど」
「仕様だ、気にするな。
プライバシーのため、君に聞かせるのはどうかと思っただけさ」
そうだろう、と口を向けた先は弓塚。
何があったか知らないが恥ずかしそうに顔を赤く染めていた。
無駄に性能がいいものだから、弓塚にはばっちり聞こえていたらしい。
「なぁ、仲間外れは嫌なんだが」
「アキ君は聞いちゃ駄目! こ、琥珀ちゃんにだって恥ずかしいんだから」
「……今更恥ずかしい事なんてあるのか?」
「今更?」
呟いて互いに思い出すのは、もはや一つの出来事であろう。
逡巡すること数秒、言葉の意味に気付いた弓塚の顔色が桃からリンゴへと変化する。
「……っ!? そ、それでも恥ずかしいの! 絶対にアキ君は見ちゃ駄目だからねっ」
「見るな? と言う事は、橙子さんが言っていたのは“物”か何かか……」
「あぁ! それ以上は考えちゃダメ!」
本気で手を出すとこちらが死ぬ事を解っているからか、抗議は口だけの弓塚。
嬉しくはないが、一周回って見事にパワーバランスが取れている。
久しぶりの他愛もない会話のせいか、こちらも赤くなる弓塚を見てやけに面白く感じてしまうのだ。
可愛いは正義だな、全くもって。
「おい、七夜」
と、思わず忘れそうになっていた橙子さんの呼び掛けで我に帰る。
顔を向けたそこには、何やら酒の摘みでも見つけたような上司の顔。
もとい、意地悪く笑っている橙子さんが目に映った。
「二、三p近くなったな、お互いに」
「はい?」
「君とさつきの距離だ。
何があったか想像はつくが……まぁ、実際に聞かせて貰う方が面白い」
「え、その……」
「さつきはともかく、君はそう初心ではないのだろう?
暇になった時に、また詳しく聞かせてほしいものだ」
口元を歪ませる橙子さんを見るに、拒否権なんぞある筈ない。
「……」
あの話を言えと。
聖杯戦争の紆余曲折の経緯ではなく、話題に上るのが男女の何たらだと。
「えっと、特に何もなかったとかは……」
「隣のさつきの顔を見て、その嘘が通ると思うのなら私も考えようか。
――――では、私は鮮花と連絡を取る。君達は琥珀に従って行動してくれ」
立ち上がり、橙子さんは煙草を咥えたまま褐色のコートを広げて羽織る。
既にこちらには目もくれず、足早に出ていく姿は完全に切り替えた魔術師であった。
その後ろ姿を見送った後に、微妙に距離を取った弓塚に目を向ける。
橙子さんに言われた事を気にしているのか、先に比べてまた妙に委縮している感じが否めない。
気にし過ぎというか、解りやすいというのか。
もっとも、自分だって弓塚になら言葉攻めは出来ても橙子さん相手なら弓塚の立ち位置になってしまう。
橙子さんのポジションが、割と本気で羨ましく思う今日この頃だ。
「おい、さっちん」
「ひゃ、ひゃい!」
「……だ、大丈夫か? 先に断っとくけど、別に今から何する訳じゃないぞ」
「わ、わかってるよ! ただ、アキ君も橙子さんも変な話題出すから――」
「ストップ、その話は止めておこう、こう、お互い的な意味で」
橙子さんもいなくなった今、琥珀が上の階にいるとはいえこのオフィスには弓塚と二人きり。
冬木からこの伽藍の堂までは聖杯戦争が終わって六時間程で移動を終えたため、魔術回路を繋げてから実際にまだ半日程しか経っていない。
とどのつまり、鮮明に情景を思い出せるからヤバいのだ。色々と。
「ほら、行くぞ」
「う、うん」
手を差し出し、弓塚に立ち上がらせて貰う。
生命力を使い果たしたせいで、まだ一人で出歩ける程の回復には至っていない。
「橙子さんにとっては俺も弓塚も結構大きな不安要素だからな。
情けないけど、動かないのが今できる一番の協力か」
「あはは……まぁ閉じ込めるって言っても結界の張った伽藍の堂の中は自由だし、そんなに窮屈でもないんじゃない?」
「落ち込んでるポイントはそこじゃないんだが……」
励ましてくれる弓塚に苦笑い。
それでも協力できる事を見つけて、それを精一杯にやっていこう。
現状で言えば、さっさと身体を回復させて琥珀と弓塚に介護の負担が掛からないように。
聖杯戦争は終結して、橙子さんとの契約も果たされる。
だから今はそのために、弓塚に与えられる新しい身体と共に準備をしよう。
七夜アキハから遠野アキに。
人の身体へと戻った弓塚を連れて、“日常”へ帰ることが三人の目的なのだから。
「で、弓塚。さっきの内緒話なんだが……結局橙子さんは何を隠したんだ?」
「も、もう! その話も今は禁止だよ、アキ君!」
「いてっ!?」
ポカっと軽い感じでなく割と痛みに近い打撃が肩を突く。
「……なるほど。弱っているアキ君にはこのくらいの力加減なんだ」
「待て、今のは無しだ、全然痛くない」
「じゃあもう一発いい?」
「調子乗るなよ、さっち――いや、勘弁して下さいお願いします」
拳を構える弓塚に屈辱の頭を垂れる俺。
パワーバランスが崩れたのが嬉しいのか、口元を緩ませる弓塚。
二人の負担を無くすために身体の回復に努める気持ちは嘘じゃない。
しかしまぁ、まずは己の立ち位置のためにこそ回復するのが一番だろう。
強気に腕を組む弓塚に従って歩きながら、そんな頑張りが七夜アキハには似合っているのだと溜め息交じりに思うのであった。