昼前のちょっとした空き時間。四人がテーブルを囲って沈黙している。手にはトランプ、場の中央には4枚のセブンカード。

 


 手持ちの少ない秋葉が苦虫を潰したように、

 


「……パス
3ですっ」

 


 そう宣言し次の志貴へと回す。

 


「すまん、俺もパス」


「わたしも―――!」


「あはっ、私もです」

 


 パスの志貴に都古、琥珀と笑顔で続く。


 その陽気さはいいのだが、秋葉の方からぎりぎりと歯軋りが聞こえてくるので志貴は半分気が気でない。ちらっと横に目を移せば、そこには額に青白く血管を浮かばせた秋葉が見られるのだから。

 

 前と同じようになっては困ると必死にアイコンタクトを図る志貴。


 その甲斐あってか、目線を感じた秋葉はギロリと志貴を己が敵のように睨んだ。

 


「(ウザい! さっきから何ですか、兄さん!)」


「(いや、睨むなって! とにかく秋葉、わかってるな?)」


「(……?)」


「(都古ちゃんがいるんだよ! 見てる前で大人げない事は勘弁な!)」

 


 子供、特に親戚の子供が見ている前で、遠野家当主がトランプの戯れに負けそうになりテーブルをひっくり返す行為など見せられる筈もない。

 


 秋葉にも思うところがあったのか、若干顔を染めて視線を返した。

 


「(あ、当り前です! 私だって時と場所を考えます)


「(だったら秋葉、渋ってないで早く!)」

 


 その必死の訴えに、秋葉はどうしようもないとわかっていながら手持ちのカードに視線を移す。


 

やるせない、納得しがたい悔しさが込み上げる。琥珀が笑っているから三割増しで。

 


 しかしまあ、いくら悩んだところで戦況が変わるわけでもなくこのターンを凌げないのは変わらないまま。


 仕方なく、本当に仕方なく自らの心に折り合いをつけ、頑張って無情になる。

 


 そして深呼吸したあと、

 


「……ワタクシニハダセルカードガナイノデコウサンシマス」

 


 半ば自我崩壊を起こしたように言った。志貴、物わかりのよい妹に涙ぐむ。

 


「やた
―――! 秋葉が脱落―――!」


「いえ
―――い、敗北者その一です!」

 


 だが、そんな秋葉の葛藤なぞどこ吹く風よと喜ぶ二人。敗者に鞭打つその姿に、志貴はぎょっと目を開き瞬時に秋葉に目を向ける。

 


 志貴の不安、というか恐れ。


 にもかかわらず、

 


…………

 


 秋葉にこれといった動きはなかった。疲れたように溜息を吐くだけである。

 


 相手も都古。まだ無遠慮な元気が許される年齢だ。このくらいの子が物静かだと逆に心配してしまうし、言いすぎかもしれないが誰にでもこのくらいはっちゃけられるのなら、むしろ可愛いのだろう。

 


 ……
琥珀さんはどうなるか知らないけど。

 


 その一つだけ、今の志貴にある心配事はそれだけだ。それだって昼食を終えたぐらいには忘れてる、些細なことでしかない。

 


 ソファに深く持たれて、志貴はのんびりと次に回る自分の番を考えながら思う。

 


 今日も快晴。暑くて、だるくて、平和だなあ、と。

 

 

 


 ―――で、その数分後、アホみたいな爆発音が遠野家に轟いた。

 

 

 

 






 

 シオンとさつきと遠野家と

 

 第七話

 






 

 

 

 

「な、何だ!」

 


 いきなりの揺れに、爆発に、志貴の脳内に先日の出来事が掘り出され、

 


 その時の半元凶であった秋葉を見た。

 


「―――な、何で私の方を見るんですか!? 今ここでトランプやってたばかりでしょ、私は!」

 


 志貴と琥珀に含みある眼差しを即座に向けられて、秋葉は自分のアリバイを盾に必死に抵抗する。


 中で一番落ち着いていた琥珀が固まった場を動かすため少し笑って、

 


「まあ、秋葉様はずっと私たちといましたし疑う余地などありませんが」


「そ、そうだな。俺もそう思ってた」


「兄さん!!」


「ぎゃあ
―――!!」

 


 憤慨した秋葉に紅い髪で身体をぐるぐる巻きにされ、志貴は悶える。


 その様子に都古が驚いて「ほ兄ちゃん!」と叫びながら助けようとするが、いかんせん空中に吊りあげられているため難しかった。

 


 そんな二人を放っておいて、秋葉は琥珀と話を進める。

 


「で、琥珀。今の爆発はどこから!?」


「はい、東館の方から聞こえました。正確にはおそらく志貴さんの部屋からではないかと」


……またかよ」

 


 げんなりした表情で不満を漏らす志貴。昨日の今日なので無理もないが、場所だけにその原因は志貴だということを表している。

 


 ずっと吊るしあげてるわけにもいかないので、取りあえず秋葉は下ろすついでに志貴を床に叩きつけておいた。

 


「ぶっ!」

 


 顔面から落ち、痛みの余り両手で顔を押さえながらぴくぴくと蹲る。

 


「兄さん、遊んでないで急いで現場に向かいますよ! シオンや弓塚さんも心配ですがまずは翡翠の無事を確認しないと!」


「そうでした! 翡翠ちゃんの身に何かあったら……つまらない話をしている場合ではありません!!」

 


 言うも早く一目散に琥珀が駆け出す。

 


「こ、こら待ちなさい! もう、兄さんも早く、」

 


 志貴を叩き起こして首根っこ掴むと、若干、髪を反転させて足早に歩を進める。


 元気な都古も面白がって、しかし周りに合わせて顔を真面目に変えて、遅れないよう三人のあとを追いかけていった。

 

 



 

 

 

 

 



 ついた先は戦場だった。戦場ではないがそんな雰囲気が確かにあった。

 


 ドアからそっと様子を伺う必要もない。


 扉は吹き飛び、そのすぐ近くに翡翠がいたからだ。

 


 傷一つない姿を見て、志貴が安堵の息とともに近寄ろうとした時、本能に足が止まった。秋葉も、翡翠を過剰に愛する琥珀でさえも近づけない。

 


 周囲をよく見ろ。内から発する警告に志貴は身構えながらに従う。

 


 そして見つけた。

 


―――シオン、弓塚さん!」

 


 志貴の声の先、そこにはメイド服に身を纏った二人が、部屋の奥に追い詰められるようにして立っていた。


 二人がこの場で真剣なのは一目でわかり、加えてシオンは状況の不利を理解してか顔を歪めていた。

 


 翡翠に見入っていた二人も声を聞いて駆け付けた志貴たちに気付く。


 途端、シオンが驚いた顔になる。

 


「いけません! 三人とも下がってください!」

 


 言うと同時、翡翠がフライパンを手にシオンと弓塚に躍りかかった。


 七夜の目をも剥くその早業。二人は横っ跳びに避け、翡翠の打撃は目標を失い壁に激突。

 


 凄まじい音とともに壁が粉砕されて辺りに煙が立ち込める。

 


「逃げ脚だけは泥棒猫です」

 


 で、翡翠が舌打ち一つにフライパンを構えなおす。


 その光景、完全に力関係が狂っていた。

 


「あ、ああああああぁっ―――!! まさか翡翠ちゃん、あの薬を!?」

 


 唖然とする志貴と秋葉をよそに、唯一心当たりのある琥珀が叫ぶ。


 琥珀のリアクションに不敵に翡翠は笑った。

 


「そうです。姉さんの怪しい所業もたまには私の役に立ってくれました」


「な、何なんだよ琥珀さん、その薬って!? 性格が反転とかしちゃうのか!?」

 


 翡翠のニヤリに鳥肌が抑えられない志貴。動揺も隠さず琥珀の肩を必死に揺らして問い詰める。

 


―――マキューEX……マキューXにさらなる強化と性格の前向き要素をプラスしてEXとか付けたらかっこいいじゃん、と思いまして、」


「このおバカ!!」

 


 アンニュイに語る琥珀に秋葉が横からヤクザキックをお見舞いし、見事に琥珀は沈黙。今回の犯人は琥珀だった。

 


「で、でも翡翠、一体どうしてこんな事を」

 


 翡翠のオーラにうろたえながら志貴は聞く。


 そう、いくら琥珀がふざけた薬を作ろうとも、どうして自らそんな危ない代物に手を出し、あまつさえこのような事をする必要があるだろうか。

 


 だが、志貴の無垢すぎる問いに、翡翠は首を振り人差し指をビシッと突き出す。

 


「やはり……志貴様は愚鈍です」


「え?」

 


 いきなり性格を指摘されて話の見えなさに呆ける志貴。

 


「この二人は、今朝志貴様を起こしました」


「うん」


「さっき志貴様のベッドシーツを取り替えていました」


「うん」


「それだけで十分です!!」


「えええええぇぇ――――――!!?」

 


 大人しく聞いていたが結局見えなかった。翡翠はそれで話は終わりとばかりに目下の敵であるシオンとさつきを鋭く睨む。

 


「この茶番をあまり長引かせるつもりはありません。お昼が遅れてしまいますので」

 


 言ってフライパンをしまうと、翡翠は両手からエネルギーを発し、目の前で大きく回転させ始めた。

 


「冥土(メイド)の土産に受け取りなさい! 暗黒翡翠流―――!」

 


 本人は面白いことを言っているが、周囲はそれどころではない。


 荒れ狂う力の奔流。地は揺れ、割れて、まともに立つことすら危うい。

 


 誰よりも早く動いたのは、直感の優れている志貴だった。

 


 七夜の血が、あの技を打たせてはいけないと全身に伝える。このままでは部屋が吹き飛びまた昨日の二の舞だと。

 


「―――秋葉、琥珀さんを頼んだ!」


「兄さん!?」

 


 秋葉が叫ぶよりも早く、状況判断を第六感に任せて志貴は駆けた。

 


 ―――窓は空いてる。よし、

 


 コンマの確認。翡翠に邪魔されぬよう俊足でシオンと弓塚のもとへ行き、二人を両脇にさっと抱える。

 


「「「―――え?」」」

 


 翡翠、シオン、弓塚が一瞬の出来事に驚く間、志貴は振り返らずそのまま窓から飛び降りた。


 その直後に「し、痺れた〜」や「な、危険に晒されたいのですか、貴方は!?」「ちょ、遠野君下して〜、体重ばれちゃう―――!」など賑やかな声が目下の庭から聞こえる。そうして部屋は伽藍洞。

 


 ついでに翡翠の心も伽藍洞。

 


「そ、んな…………志貴様が、かけお……ち?」

 


 ギリギリと油が切れたような音を立て、翡翠は秋葉に訊く。

 


「いや、それは違うんじゃないかしら」


「許せない……使用人の分際で志貴様の心をたぶらかしてっ」

 


 聞いちゃいなかった。手をわなわなと握り締め、脳天からどす黒いパワーが翡翠から湧くようにして流れ出る。

 


「もう、もう我慢なりませんっ!!」

 


 溜まっていたストレスを糧に身体を強化。跡を追うため同じくして窓から飛び出した。

 


「…………はぁ」

 


 見ていた秋葉は止めるもせず、勝手にやってて、といった表情で溜息を吐く。危険な翡翠を呼び止めないのは当たり前。だって志貴も半分、悪い。

 


「あたし、最近兄さんにアピールしてないなあ……」

 


 お昼のちょうど五分前まで秋葉は一人、物想いに耽っていた。

 



 

 

 ◇

 

 

 

 後日談な話になるけど、メイド二人を伴って追ってくる翡翠(メイド)を背に街中を掛けるのは随分と恥ずかしいものだった。

by エロ学派に加えてメイド萌えの各印を学校で押された志貴

 


 

 

「落ち着いてくれ、翡翠! どうしてそこまでシオンと弓塚さんを恨む!?」


「そこにメイドがいるからです!」

 


 屋敷を飛び出し街を掛けに駆け回り、着いた終着点が路地裏だった。この人寄らぬ異様と化した空間なら、少なくとも周りに迷惑をかけることはない。

 


 ここに来たのは志貴の思うとおりだったが、半ば翡翠に追い詰められる形は自滅だった。

 


「そ、それを言うなら琥珀さんもメイドじゃないか!」


「笑止、あれはただの割烹着。眼中になどありません!」

 


 故に説得に持ち込む志貴だが、一向に明るい選択肢は見えず翡翠は志貴の言葉を切って捨てるのみ。

 


 段々と距離を詰めてくる翡翠に対してついにシオンが、鋭い表情で志貴に決断を求める。

 


「志貴! もはや言ってわかるような相手ではありません。数では勝っているのですからここは戦うしかないかと」


「そんなバーサーカーみたいに……」


「でも志貴君、実際翡翠さんの力、というか魔力っぽいのがわたしにも全身に感じ取れるほど桁違いだし」

 


 個人能力ではこの場で翡翠が一番上。反則的なパワーアップに琥珀の恐るべき才能が思い知らされる。


 そして場の緊張に便乗して、何気に呼び方を「志貴君」と変えた弓塚は志貴に何も言われなかったこと、つまりはその呼び方を受け入れられた事にキャーと一人、心でガッツポーズをしていた。

 


 それに対して志貴は知らずに翡翠を眼前に緊張しているので、

 


「さつき、少しは状況を考えてください」

 


 変わってシオンが叱咤する。ニコニコしていた弓塚もばれてたのに慌てて戦闘態勢へと移行した。

 


 覚悟を決めた二人。

 


「はあ……仕方が無い、か」

 


 日常から非日常へ。七夜を取り出し、眼鏡を外す。


 注意すべき点は、翡翠を傷つけない。シオンと弓塚も傷つけない。それと昼間から派手な戦闘は起こさないこと。

 


 ようするに、

 


「時間はかけられないな。二人とも、速攻でけりをつけるぞ!」


「了解」


「まかせてよね!」

 


 志貴の号令に両脇で構えた二人が声を合わせる。

 


「志貴様が私の邪魔をするのは不本意ですが、いいでしょう。志貴様の愚鈍を直すためにも一度倒して差し上げます!」

 


 翡翠が、駆けた。手には先ほどのフライパン。三人を巻き込むように大きく、そして思いっ切りフルスイング。

 


 もちろん簡単に当たる志貴ではない。壁を使って跳躍、悠々と翡翠の上を飛び越してすぐさまシオンに、

 


「シオン! エーテライトだ!」

 


 叫ぶ。


 翡翠を無傷で捕えるのならエーテライトで神経接続するのが最も早い。意図を瞬時に理解したシオンはその唯一の攻撃に移る。

 


 だが、

 


「甘い!」


「―――なっ!」

 


 懐から取り出したるは銀のお玉。フライパンでは不足と見た翡翠は小技の効くお玉に変えて、伸びるエーテライトを弾き落としたのだ。これにはシオンも驚く。

 


「はあああぁ!!」

 


 怯むところに追撃。お玉が千となって襲いかかる。

 


「―――やらせないっ!」

 


 咄嗟に弓塚が間に入り、荒れ狂うお玉を両手で押さえた。


 敵を前に、弓塚の顔が険しくなる。瞳が段々と紅に変化しギリギリと力が強まって、

 


 グシャ!

 


 お玉を握り潰す。

 


 同時にバックステップして距離を取る翡翠。


 このままいけるか、そう思った志貴だったが、懐からまたお玉を取り出して構え直す翡翠には隙がない。

 


「くっ、すいません、志貴。あれほどの戦闘力を持っているとは計算外でした」


「いや、俺もかなり驚いてるし、あれはしょうがないよ」

 


 歯噛みをするシオンに志貴は呆れた口調で返す。エルトナムの秘儀であるエーテライトをお玉で返されてはどうしようもない。

 


 志貴は翡翠の動きに警戒しながら考える。

 


 あの翡翠のエネルギー。その根本となる、黒い渦のどこかにある「死」を突けばあの膨大な魔力は消滅するだろう。

 


 だがそれは果てしなく難しい。


 自分ではなく他人の身体で、体内に入った毒を消すように物ですらないものに限定し、さらにその極限に集中した状態で素早く動く翡翠を正確に突くなど、

 


 不可能だ。せめて直視の魔眼にだけへ意識を向ける状況が欲しい。

 


「シオン、弓塚さん」

 


 隣の彼女に小声で囁く。

 


「二人で翡翠の動きを三秒だけ止めてくれ。そしたらその隙に、」

 


 この眼で『殺す』から。瞳を蒼く、冷酷に変えてそう言った。

 


 その浄眼と冷たい二文字に弓塚は息を飲む。対して頷くシオン。

 


「さつき、志貴のことは後で話しますから、今は戦闘に集中を。上手くいけば翡翠を傷つけないで終わるのですから」


「え、殺す……のに傷つかない?」

 


 理解し難い。だが言われたとおり、頭を振って雑念を落とす。シオンが言うのであれば正しいと、そう信じて。

 


 三人の息が揃う。

 


「―――いくぞっ!」

 


 志貴が言って、三人同時にアクションを起こす。

 


 弓塚が翡翠を押さえつけようと後ろへ回り込み、シオンのエーテライトが一瞬で束縛するための円を描く。


 そして志貴が、ロアを消滅させた時以来の極度の集中状態で、

 


 ―――見えた!

 


 魔力の渦に点を見る。


 軋む眼球を持って志貴は即座に駆けだした。

 


「―――甘いです、志貴様! これくらいで勝ったと思わないでほしい!」

 


 翡翠が志貴を睨みつけ叫ぶ。しかし甘いと抜かす翡翠に何ができよう。弓塚が後ろからホールドし、さらにシオンがエーテライトで縛っているのだ。暗黒翡翠拳といえど、両腕が塞がれてしまえば反撃など出来もしまい。

 


 志貴も含め、この場三人はそう思っていたのだ。

 


 しかし志貴の直感を、シオンの計算を翡翠はさらに凌駕する!

 


「私には指一本あれば十分です!!」


「!? ダメだ、志貴、下がって!!」


「な、これは―――!?」

 


 薄暗い路地裏が一瞬でピンクに染まる。


 渦巻く線が宙に浮かぶここはすでに魔法の異空間。

 


 
「―――あなたを犯人です」

 



 

 
()固有結界、ぐるぐる翡翠ワールド。

 


 翡翠の特性である洗脳に特化したこの大魔術は、防げるものなど存在しない、最強の催眠術である。おそらく真祖もバカになる。

 


「わけが、わからないっ……」


「し、志貴君!」

 


 カランと乾いた音が響く。


 地に七夜の短刀を落とし、志貴は足を止め苦しそうに頭を抱える。

 


「志貴様、まずはシオン様を」

 


 その言葉にはっとしてシオンは志貴を注視する。


 だがそれよりも早く志貴はシオンへと疾走し、勢いそのまま壁に叩きつけた。

 


「かはっ」


「シオン!」

 


 弓塚が叫び、助けようと身を捩るが動けない。翡翠ともども巻かれたエーテライトはまだ解かれず、そして今シオンの両手は志貴によって封じられた。

 


 決着を急ごうとしたことが失策だったのだ。

 


「……シオン」


「やっ、志貴、正気に戻って下さい!」

 


 両の手に力を入れるがビクともせず、志貴からは逃れらえない。


 七夜に似た志貴の、無感情な笑い顔。

 


 そうして、洗脳された志貴がシオンを奪った。

 


「「……ほえ?」」

 


 唇を合わせる。それは志貴には慣れたキスというもの。それを一回、志貴はシオンに行った。


 状況がわからない翡翠と弓塚は目の前の出来事に呆けるのみ。だが当のシオンはやはり、無言でもっと呆けていた。

 


 ただわかるのは、唇に残る温かさで、

 


 シオンの脳裏に、雑念と切り捨てた今朝の夢が強烈にフラッシュバック。

 


「…………計算、不能です」

 


 ポテっと壁を背に倒れる。シオンはついに気絶した。

 


 だが問題はそんなことではなく、二人の行為に心削がれる翡翠。自分が志貴を洗脳したが、あんな事は望んでなくひたすらに混乱する。


 翡翠の、自身に対しての渇望が洗脳を通してシオンに行われたことなど知る由もない。

 


 ただ怒りだけが込み上げる。シオンと、自分を置いていった主人に、果てしない怒りが。

 


 だけど、この場には、

 


「―――そんな、ダメっ……!」

 


 翡翠よりも強い力を持っていて、

 

 


   翡翠の固有結界が薄れる。代わりに現るは緑豊かな、この世のどれより綺麗な庭園。

 

 


 翡翠よりも力をコントロール出来ない人が、立っていた。

 

 



   美しさも束の間、突風とともに庭園は枯れた。術者を中心に細部至るまで枯渇する。

 

 



「え、これは!?」

 


 翡翠が驚くがすでになす術はない。


 荒れ果てた大地と寂しさしかない枯れた草木が翡翠の結界を侵食していく。身体から露散する魔力は、もう、どうしようもなかった。

 


「―――嘘吐き!!」

 


 弓塚が叫び、多数の木の葉が襲いかかる。対象は志貴。シオンを襲った、憎い志貴。

 


 ええ、俺!? という暇もなく木の葉に叩かれ弄られる。その数おおよそ
20hit。空中で幾度かきりもみした後、志貴は気を飛ばしたまま地面に倒れた。

 


 翡翠も、体内を満たしていた爆発的なエネルギーが一気に引き抜かれ、その急激な露散に耐えきれず瞼を落とした。弛みきったエーテライトが落ちると同時、地に膝をつき、そのままふわりと横になる。

 


「……はぁ……はぁ、あれ?」

 


 夢から醒めたような、力の無い目で弓塚は周りを見回す。


 壁にもたれ気を失っているシオン。
Tシャツボロボロで倒れている志貴。すぐ足下で気絶した翡翠。

 


 よくわからないけど、みんな落ち着いたらしかった。

 


「一件、落着……なのかな?」

 


 訊いて、自分で納得する。


 何が起こったのかはわからないけど身体が空っぽと思えるほど、どこにも力が入らない。

 


 立つこともままならず座り込む。そして周りに合わせて弓塚は後向きにゆっくりと倒れた。子供の頃が遊び疲れた時と同じ感覚が身体を満たす。

 


 ほどなくして、スヤスヤと寝息を立て始める弓塚。

 


 路地裏という
@homeは、以前よりなかなか、良い寝心地だったそうだ。

 

 

 


 その後、(一応)駆け付けた秋葉と琥珀が目にしたものは眠る四人。あれだけ騒いだにもかかわらず、志貴以外は服が汚れた程度で傷はどこにも見当たらなかった。

 


 そこらに散らばった瓦礫などは処理班に任せ、皆を運ぶために車を呼ぶ。

 


「少し心配しましたけど、さすがですね、兄さん」

 


 一足先に家路へとつきながら、秋葉は一言だけ、そう言ったという。琥珀に任せて去る姿は、遠野家当主、らしかった。