「ただいまー」

「あ、お帰りなさい、志貴君」

 

 志貴が帰宅すると同時、待っていたように弓塚が出迎える。パタパタと足をならす姿はまるで懐っこい子犬のよう。

 

 靴を脱ぐ志貴の傍ら、率先してカバンを持つ。

 

「志貴君、テストどうだった?」

「うーん、まあ、頑張った分それなりに結果は出たような感じ」

 

 ひどくやつれた顔で、苦笑交じりに志貴は言った。弓塚も笑顔で答える。

 

「シオン、すっごく張り切ってたからねー」

「あれをもう一度やれって言われたら今すぐ逃げ出すくらいきつかったけどね」

「うん、お疲れ様」

 

 のんびりした雰囲気の中、弓塚を前にして志貴は歩きだす。

 

「もうベッドメイクは終わってるから、あとは夕飯までゆっくりしててね。時間になったら呼びに来るから」

「ありがと……っていうか、なんか悪いね。たくさん働いてもらっちゃって」

 

 申し訳ないというように、頭をかく志貴。

 それに対し弓塚は逡巡なく振り向いて、

 

「ううん。志貴くんがくれた仕事、楽しいよ」

 

 どっかのヒロインの象徴を奪うほど、向日葵に似た笑みでそう言った。

 

 

 

 

 

シオンとさつきと遠野家と

『メイドの未来図』

 

 

 

 

 

「――はぁ」

 

 志貴を部屋へ送った後のこと。

 

「――ふふ」

 

 リビングで弓塚は頬を緩ませていた。テーブルに突っ伏した感じにごろんと、目はとろんと見るからに幸せの最中だ。

 

「……さつき、貴女は先ほどから何をやっているのですか」

 

 シオンが若干気味悪そうに、しかし親友のそんな視線にも動じない。

 

「うん、なんか春が来たかなーって。えへへ」

「……今の季節は設定上、夏過ぎ秋入り頃なんですが」

 

 シオンの声も聞こえない。弓塚の脳内はきっと桜が舞ってるであろう、気分はさながらTo Heart

 

「たぶん、志貴さんと何かあったんじゃないですか?」

 

 そこへ琥珀がやってくる。その後ろには翡翠もいて、リビングには仕事の終えた使用人全員が集まった。

 

「えへへ、やっぱりわかる?」

 

 当てられたことが恥ずかしいらしく、弓塚は笑いながら照れてみせる。

 

「それでさつき、志貴と何かあったのですか?」

 

 もともと何たる期待もしていないようで、紅茶のお茶請け程度に尋ねるシオン。翡翠は気になるのか、黙って弓塚を見つめている。

 

「えっとね、大したことはないんだけど私たちっていつも志貴君のお出迎えやお世話してるでしょ?」

「まあ、仕事上そうするのは当たり前ですけど」

「でね、それって新婚みたいだなーって思わない?」

「――ぶっ!」

 

 思わず紅茶を吐き出しそうになる。目を丸くさせ咳をすること数回、不意を突かれたシオンは胸を軽く叩きながら弓塚を見やる。

 

「いきなり何を言い出すんですか、まったく」

「……し、新婚さん」

「あはっ、弓塚さん可愛いこと言いますねー。これはさっそく志貴さんに報告しなければ」

「こ、琥珀さんそれ意地悪ー!」

 

 呆れるシオンと惚ける翡翠をよそに、弓塚は琥珀を必死に抑える。

 

「だって弓塚さんがあまりにも可愛いこと言うものですから、私としてはご本人に伝えた方が宜しいかなと思いまして……たぶん楽しくなりますよ、展開的に?」

「そ、その前にここ追い出されちゃいますよ、秋葉さんに!」

 

 その言葉に、琥珀はふと首を傾げる。

 

「あれ? 弓塚さん、秋葉様の事、気づいてたんですか?」

「そんなのはここに来て二日で気づきましたよ。私は志貴君ほど鈍感じゃありませんから」

 

 少しむくれて弓塚が言う。

秋葉に雇われて基本的人権は必要以上に守られるようになったが、志貴の鈍さもさることながら少し談笑するだけで秋葉の視線が痛いのだ。おかげで浮いた話も心も特になし。

 

 まあ、吸血鬼の身で人並みの幸せを掴めるわけがないと諦め踏んではいるけれど……、

 

「私だってまだ女子高生なんですよ? 少しくらい夢見ちゃってもいいじゃないですか〜」

「よしよし、だから妄想に励んでたんですね」

 

 涙流す弓塚を琥珀が頭さすりながら抱いてやる。

 

「それでも新婚は飛びすぎですよ。何ていうかワンパターン過ぎて虚しい感じがします」

 

 シオンが紅茶を啜りながらため息とともに呟き、翡翠もそれに頷く。

 

「じゃあ何だったらいいの?」

 

 どうせ私は高校中退でバカですよ、と拗ねる弓塚。

 今だ弓塚を撫でている琥珀がその質問を返した。

 

「そうですね……私でしたら結婚なんてことはしませんね。志貴さんを取って逃げ切れれば勝ち、だと思いますよ」

「え、琥珀さん、結婚したくないの?」

 

 見上げる弓塚の乙女ちっくな質問と瞳に少し考えさせられる琥珀。

 だがしばらくの後、諭すように、

 

「だって弓塚さん、志貴さんが他の女と完全に結ばれてそれを祝う人は何人いると思います?」

「――あっ」

「はい、祝杯を挙げるよりこぶしを挙げる人の方が多いんですね、これが」

「志貴にはろくな知り合いがいませんからね」

 

 無論、自分を含めてですけど――自嘲気味にシオンがまとめる。

 

「まあそういうわけでして、私はコツコツと貯金しながら機会を待っているわけですよ。成就できそうになりましたら、志貴さんと翡翠ちゃんを連れて行方不明になっちゃう予定です。おそらく見つかりませんから、決して探さないで下さいね」

「うわああぁ……琥珀さんて実はけっこう黒い?」

「何をわかりきった事を……」

「……姉さんには失礼ですけど、私は志貴様以外と旅する予定はありません」

 

 珍しく翡翠が会話に入る。

おそらくは姉の計画を弓塚に鵜呑みにされるのは嫌だったのだろう。

 

「翡翠ちゃん! そんなご無体なこと言ったら、お姉ちゃん悲しくて死んじゃうよ?」

「……」

 

 死んでしまえ、とはさすがの翡翠も言えないが、無言であることから翡翠の気持ちを他二人は綺麗に汲み取る。

 

「これが日頃の行いというものですか……メイドというのは時に悲しいものですね」

「シオンはどうなの? 志貴君と駆け落ちーとか不倫だーとか考えてる?」

「……そんな昼ドラ一直線な思考は持ち合わせていませんし、考えるとしてもずっと後でしょう。今は使用人としての務めを果たすので精一杯ですから」

「うわぁ、シオン現実的だ」

 

 うろたえる弓塚に、シオンはゆっくりとため息を吐く。カップを静かに置く優雅さが、何だか知らない格の違いを見せつける。

 

「……さつき、主に仕えるものとして、一番大事なのは状況把握の能力です」

 

 そして窓辺に指さす仕草。

 つられて弓塚が視線を向ける。

 

 ――黒猫一匹と目が合った。

 

 一秒経たずにふい、っと視界から消える猫。

 大きいリボンが似合ってて可愛かったなー、とか思いながらも、シオンの言いたいことはいまいちよくわからない。

 

「シオン、あの猫さんがどうかしたの?」

「ふふ、いえ、秘め事を言うときは次からはあの猫のいないところでした方がいいです、と言いたかったのですよ」

 

 時間ですね、と立ち上がるシオン。琥珀と一緒に秋葉の書類整理をするのは彼女の仕事だ。

 

「じきに会えると思いますよ。私は以前に会ったことがあるのでわかっただけです。非難は受けませんからね」

 

 それだけ念を押すように言い残し、行ってしまった。弓塚の頭には?マークが浮かぶだけだが。

 

 

 

 それから弓塚がレンに会うのは数日後。場所はたぶん志貴の部屋。

 ちなみに後日、琥珀と翡翠ともども秋葉に一日中、睨まれる日があったりなかったり。

 

「……志貴君って猫にまでモテる?」

 

 訳が分からず、少し妬いた弓塚だった。