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補足!

「憑依in月姫no後日談」最終話はstory after 2 years――二年後としましたが、実際は聖杯戦争終了(冬)→ワラキアの夜、白レン騒動(夏)→オシリスの砂(一年後の夏)→最終話(夏終わり頃)となっていますので、正確には最終話は一年半後となっています。

後日談はそこからさらに一、二ヶ月後の話としています。時間軸跳ばし過ぎで申し訳。

 

 

 

   *

 

 

 

 賑やかな話声を背に、衛宮士郎は扉を引いた。

 

 

 時刻は正午を大分過ぎたのだろう。

 照りつける日差しが、少しずつ下がってきた気温と相まって心地良い。

 

 坂の上に構えたこの洋館も、賑やかに、暖かくなる時間である。

 

 

「あ、衛宮さん! いらっしゃい」

 

「久しぶり、弓塚さん」

 

 

 屋敷に入ると同時に、人影が士郎を迎える。

 

 

 遠野の屋敷。

 

 訪れるのは何度目か。

多くもないが、決して少なくもない筈だ。

 

 

 知る人ぞ知る大の資産家であり、宗主である遠野家は分家と合わせて財閥めいた一大グループを形成しているとは凛の談。

 そのせいか、この家が及ぼす影響力というのも幅広いのだろう。

 

 もっとも、遠野家の二男である友人の顔を思い描く限り、どうにもピンとはこないのだけど。

 

 

 それでも、身内以外に真祖や吸血鬼、錬金術師に聖堂騎士。

果ては英霊なんて大所帯を抱えて日常を送っている辺りに、遠野家の余裕と裕福さが見て取れる。

 

 

「……うちとは大違いだな。

全く、もし藤ねぇレベルの大食いキャラがもう一人でもいた日には」

 

「あの人なら今は部屋で――って、衛宮さん?」

 

「ん? あ、いや、何でもないぞ」

 

 

 怪訝に顔を覗きこまれて、我に返る。

 

 家計の心配は必要ない。

 現状は問題なくやり繰りできているのだから、と士郎は思考を中断した。

 

 

「知ってる、勉強中なんだろ? 玄関前でシオンさんや翡翠さんから聞いたよ。

 ……てっきり、シオンさんが教師役を務めているかと思ってたけど」

 

「あはは……シオンじゃ頭良過ぎて逆に駄目なんだって。

 琥珀ちゃんなら上手く教えられると思うんだけど、今は無理だし」

 

「そっか。なら、一人でやってるのか?」

 

 

 あぁ見えて根は真面目だから、独学も性には合うのだろうと何となしに思う。

 外から家庭教師を呼ぶという選択肢は、金銭面よりもこの屋敷の環境を考えればわざわざ聞くまでもないだろう。

 

 

 士郎の問いに目の前の女の子の、両サイドに結んだ髪が揺れる。

 

 初見は茶色に染められた綺麗な長髪が、膝元くらいまであった気がする。

 だが、人間の器で動いている現在の彼女は、人形師の趣向かセミロングといった感じ。

 

 薄黒い、ツーサイドアップで整えられた外見からは以前の様な威圧感がまるで無い。

 

 

 だからだろうか。

士郎にも――女性経験の豊富さもあってか――弓塚さつきの表情は前よりずっと簡単に読み取れた。

 

 

「……むぅ」

 

 

 ――不機嫌。

 納得し難いと言わんばかりに口を尖らせて、士郎を見据える。

 

 

「一つ下の……鮮花さんが」

 

「あ、あぁ」

 

 

 士郎は思う。

 

 何と言うか、もう少し女心を考えた方がいいのではないか、あいつはと。

同時に、この話題には出来る限り触れない方がいいだろうと。

 

 

 友人には借りもあるし、そんなものが無くても困っていれば助けよう。

 

だが、日常での地雷撤去は例外なのだ。

 それに限っては、仕方なくも士郎は自分自身で手一杯なのだから。

 

 

「あー……取り敢えず、邪魔するのもあれだからな。

 少しばかし疲れもあるし、どこかで休ませて貰えると助かるんだけど……」

 

「なら、空き部屋の方へ案内しようか?

 居間にはお茶菓子があるけど、もうすぐ都古ちゃんが占領しちゃうし」

 

 

 頼むよ、と士郎は頷く。

 海外では――否、日本に帰って来てからも、士郎の抱える問題が一段落するには時間が掛かった。

 

 この屋敷に来て、酷く日常を感じ取った所為なのか。

 身体に溜まった疲労が、ゆっくりと染みだしていくのを士郎は先から感じているのだ。

 

 

 立ち話も何だからと、弓塚は士郎の鞄を拝借する。

 ベッドメイクはちょっと時間が掛かるけど、と苦笑いする弓塚さつきに、士郎はある疑問を浮かべた。

 

 

「ん? そういうのは翡翠さんの役目じゃないのか?」

 

「そうだけど、一応わたしにも任されているんだよ? 秋葉さんから」

 

 

 それはおそらく、あの友人に限定して任されたのだろう。

 無意識に緩まっている彼女の頬が、士郎に暗に伝えている。

 

 

「それにほら……わたしも暇なんだ、最近」

 

「暇?」

 

「うん、やる事は変わってないんだけど、落ち着いたというか気が抜けたというか……」

 

「……あぁ」

 

 

 つまり――平和になったという事だ。

 何をもって落ち着いたのかは分からないが、そういった雰囲気は微かに、訪れたばかりの士郎にも感じ取れる。

 

 主に弓塚さつきから。

 ならば、落ち着いたというのは友人が関係している可能性が大である。

 

 

 

 

 何を話し、何を言われたのか。

 

 

 去年の夏に続いて今年の夏も、この町には異変が起きたらしい。

 らしい、というのは、その友人からこの事件には関わらないようにと必死に念を押されたからである。

 

 歯痒い思いはあるが、士郎とて自身の力量は弁えている。

 互いに実力を知る相方にそう懇願されては、介入した際の事態悪化を懸念せざるを得ないのだ。

 

 

 だから、この町で何が起こったのかは分からない。

 ただ、大変だったと――全て終わったと、憂いの無い表情でシオンさんから一言だけ。

 

 万能は望まずとも、まだまだ力量不足なのだろうと士郎も溜め息を吐いて終わらせた。

 

 

 

 

 ――――士郎のキリツグは、未だ遥か彼方にある。

 

 

「落ち着いたってことは、弓塚さんの身体は……」

 

「うん、今年の夏も本体に戻って動いたけど、もうその必要はないかなぁって」

 

 

 少なくとも、しばらくの間は。

 もしかしたら年単位で吸血鬼の身体に戻る必要はないかもしれないと、若干口元を綻ばせて言う。

 

 

「……そうか」

 

 

 それを聞き、士郎も静かに微笑んだ。

 弓塚さつきが――士郎の知る人達が、災いに巻き込まれなくなるのなら。

 

 

 力持つ者は、自然と同等の力を引き寄せる。

 

特に魔性の強い力。

 それは遠野秋葉のような混血の末裔や、遠野家の長男や両義家の跡取りがもつ上位の魔眼。

 

 そして、吸血鬼となり強大な力を持ってしまった死徒・弓塚さつきが該当する。

 

 

「良かったな、弓塚さん」

 

「うん、ありがとうっ」

 

 

 だから、これは士郎にとっても喜ばしい。

 幾ら人間の害悪となる吸血鬼であっても、彼女の心、在り方は生粋の人間と変わらない。

 

 世の魔術師や異能者達の目に留まらず、この屋敷で人間らしく暮らしていけるのであれば――

 

 

(キリツグは……親父もきっと、こんな世界を)

 

 

 もしも、と士郎は思う。

 

 弓塚さつきの手を取りここまで引っ張ってきたのは、士郎ではなくあの友人である。

 ――親父なら、親しい友人が吸血鬼へと変わり果ててしまった時、どう対処するであろう。

 

 

 いや、どうしたかったのか。

 

 

(……同じに決まってる)

 

 

 それは多分、考えるまでもないのだろう。

 そう、士郎は荒れた掌を握り締めて思う。

 

 昔に見た、薄らとした月明かりの中での親父の横顔。

 縁側に二人で腰掛けながら、紡いだ言葉は忘れない。

 

 

「……俺が、キリツグだ」

 

 

 胸に染み込ませるように、士郎は呟く。

 

 掲げた理想に比べて、士郎の力は全然足りない。

 何が起きても、決められた結末しか用意されずとも、それを捻じ曲げてやるくらいの力が欲しい。

 

 

 だから、士郎は今日も力を欲するのだ。

 

 

 

 

「――――弓塚さん」

 

「ん?」

 

 

 そうして、ふと思い浮かんだ名案に士郎は唐突に口を開く。

 

 時々、考えた事もあった。

 ただ、いざ実行に移す現実が目の前に迫ると……流石に口籠る。

 

 

 案内しようとした矢先、呼び止められて振り返るさつき。

 

 その数年経つも未だ残るあどけない容貌に、士郎は心苦しくなった。

 

 良心や常識。

 倫理や論理。

 

 それらが、士郎が言葉を発せずにいる最大の障壁。

 

 

 だが、

 

 

 

 

 ――“衛宮が本当に譲れないものは、そんな事じゃないだろ?”

 

 いつかの友の叱責が脳裏に木霊する。

 社会の倫理や規範、そんな事よりも大切にすべきことが自分にはあると、背中を押してくれた友の言葉。

 

 

(俺が……俺達が――)

 

 

 ――キリツグなのだ。

 

ならば、そう。

 今からする行為にも、あの友人はきっと許してくれるだろう。

 

 

 死徒の中でも、二十七祖に並ぶ程に膨大な力を有する弓塚さつき。

 彼女の溢れんばかりの生命力を魔力へと変換し、扱うことができれば、士郎の戦術の幅は更に広がる。

 

 世界の干渉を受けるが為に、現状は短時間しか展開できない自身の奥義・固有結界。

 相手をも自身の世界に隔離可能であるその魔術は、上手く扱えば被害を最小限に留められる理想のフィールドだ。

 

 

 弓塚さつきが人として暮らし死徒の力を必要としないのであれば、その力はぜひ欲しい。

 

 

「どうかした、衛宮さん?」

 

「……悪いけど、一つ頼みたい事があるんだ。他の誰でもない弓塚さんに」

 

「わたしに?」

 

「あぁ、実は――――っ!?」

 

 

 士郎が次の言葉を紡ぐよりも早く、

 

 

「――I am the bone of my sword!」

 

 

 朱色の円環が四つ、士郎の突き出した右手から展開される。

 そこに衝突するのは燃え盛る業火や滑空する漆黒の刃、ついでに純正の巨大な魔力弾。

 

 轟音を響かせながら花弁を喰らい、士郎の盾は凡そ半分が削り取られた。

 

 

「……せ・ん・ぱ・い?」

 

 

 硝煙の向こうに揺らめく影。

 士郎にとっては、実に聞き覚えのある声であった。

 

 屋敷の間取図を頭の中で再確認。

 逃げ遅れないよう、今後の流れを予想して身体強化を行使する。

 

 

「またですか、またですか、またなンですかぁ?」

 

「落ち着きなさい、桜。

……まぁ、私たちが玄関先で話している隙にナンパなんて、ちょっと油断してたけど」

 

「そうよね。凛の言う通り、私たちが側にいればシロウも自重するよねって思ってたのに」

 

 

 怒気を多分に含んだ声色が三つ、順にロビーに響き渡る。

 

 

「あれ、もしかして――イリヤさん!?」

 

「こんにちは、吸血鬼のお姉ちゃん。おかげ様で問題は無事解決したわ。

貴女の彼氏さんにもお礼を言っておいてくれないかしら」

 

「うん、良かったぁ……って、何か凄く大きくなった?」

 

「ふふ、年相応よ。これでも色々と足りないくらいね」

 

 

 スラリと伸びた身体を一回りさせ、軽くお辞儀をするイリヤスフィール。

 言葉使いに幼い面影は見えるものの、外見は既に凛や桜と変わりない。

 

 一人の淑女が、間抜けな女っ垂らしに鋭い眼光を浴びせる。

 

 

「まぁ……そっちも無事で何よりよ。

可能性はあると思ってたけど、まさか本当にお姉ちゃんまで……ねぇ?」

 

 

 イリヤの言葉に、凛が長く下ろした黒髪を掻き分けながら繋げる。

 

 

「えぇ、越えてはならない一線は確実に存在するわ。

 獣で頭のネジが百本跳んでる衛宮君にだって、まだその線はある筈なのよ?」

 

「ま、待て、遠坂。怒る理由はまぁ、いつもと変わらないとは思うが……。

 何か、今日はいつにも増して凄んでいないか?」

 

「……ははっ」

 

 

 哂う凛。

 

 釣られて士郎も笑った。

 何故かは解らないが、説得のスタート地点から彼女達は既に聞く耳持たないからだ。

 

 

「ねぇ、先輩」

 

「さ、桜?」

 

「浮気なんて言葉が存在しないように、何人もの若い魔術師、魔力を持った女の子に手をだしました。

児童ポルノも無視しましたよね? そして今度は寝取り……NTRなんですか?」

 

「いや、そういうつもりじゃ……」

 

 

 前髪で面を隠し、ドス黒い雰囲気を放つ士郎の彼女。多分、彼女。

 

 士郎にとっては、キリツグを目指す事こそが重要である。

 相手にどんなラベルが貼られているかは二の次であるし、そこに魔力があるから繋いでいるだけなのだ。

 

 

「衛宮君、流石に人妻は危ないわよ。もう呆れるくらいに」

 

「それも恩人の……お姉ちゃんとして一度本気で、シロウの魂に響くまで“お仕置き”しなきゃ駄目そうね」

 

「お、おいおい、弓塚さんはまだ籍を入れてないから――」

 

「そんな些細なことはいいんです! お願い、ライダー!!」

 

 

 瞬間、桜の真横から鎖が一直線に射出される。

 士郎を絡み取り締め上げ、捕縛しようとしたその白銀の得物は――

 

 

「――い、いない!?」

 

「上です、サクラっ!」

 

 

 先まで士郎が居た場所には、赤銅に刀身を染めた大剣が床に深々と突き刺してあるのみ。

 刀身にはルーン文字が刻まれており、それは士郎が友人と二人で製作したある効力をもった独自の剣。

 

 曰く、人目を引き付けるだけの初歩のルーンを用いた魔術。

 経験豊かな、場馴れした魔術師が相手であれば、その効力は一秒も持たないだろう。

 

 

だが、士郎にとっては刹那の時間が重要なのである。

 後手に回らないだけの、その微かな時間があれば――

 

 

「うおおおぉ!!」

 

 

 天井の一点が破砕され、その隙間から士郎は身を投げ出した。

 

手に有するは覇者の剣。

 背中を貫かんと飛来する呪いの弾丸を切り落とし、士郎は街中へと疾走した。

 

 

「先輩っ、前よりも足が速くなってる!?」

 

「またどっかの女を引っかけたわね、魔力ブーストが半端ないわ!

 セイバーはイリヤを連れて先回り、私はあの馬鹿が散らかしたここを片付けたら合流するから!」

 

「ちょっと、凛! セイバーでも追い付けるか分からないわよ!

 ……あぁもうっ! それじゃ吸血鬼のお姉ちゃん、また会いましょう!」

 

 

 叫び、各々が散開する。

 その間にも、士郎は屋敷から遠く遠くへと離れていく。

 

 

 

 

「――挨拶は、また次の機会か」

 

 

 ここの所、彼女たちに邪魔されて友人の顔は見れていない。

 それでも、穏やかな日常を友人が送れているのなら幾らでも機会は訪れるだろう。

 

 背後に迫る赤い外套を、魔力放出全開の両足で振り切りながら、

 

 士郎は今晩どこに泊まろうかと、交友関係を考えながら坂道を神速に下っていった。

 

 

 

 

 

憑依in月姫no後日談

 

 

 

 

 

「……何か騒がしくね?」

 

「大方、アルクェイドさんと都古ちゃんが暴れているんじゃないですか?

 そんな事よりも、七夜さんはもっと集中して下さいよっ」

 

「いや、鮮花さん? そろそろおやつ時だし、こっちも休憩を挟んだ方が……」

 

「なら、この問題が解けてからにしましょうか」

 

 

 肩越しに答案用紙を覗き、赤ペンで×の字を容赦なく記す。

 

 半袖から伸びる細く、綺麗な腕を恨めしく思いながら溜め息を一つ。

 割と近くにある黒桐鮮花の面にジト目を向けるも、有無を言わせぬ笑みを返された。

 

 

 七夜アキハもとい、遠野アキ。

 

 今年の夏に迎えた、自身の知る最後の事件。

 冥界の鳥・オシリスの砂が一晩にして起こした人類滅亡へと繋がる災いも、志貴やシオンの活躍によって無事に終息する事が出来た。

 

 常人を遥かに凌ぐ本物の八極拳士となった都古ちゃんとの対峙や、ブサイクな化け猫との遭遇も今では良い思い出だ。

 

 

 そうして琥珀と弓塚を連れて奔走したのも、もう二ヶ月程前になる。

 

 

「鮮花……これってどこが間違ってるんだ?

 ちゃんと公式通りに解いた筈なんだが……」

 

「もう、七夜さんってば応用力が全くありませんね。

 これはさっき教えた公式とは別に、先日教えたのも並行しなければ解けませんよ」

 

 

 真夏に訪れた、沢山の向日葵と七夜の先人達の墓を前にして“七夜アキハ”の物語は幕を閉じた。

 

 それ以降は秋葉から貰った“遠野アキ”という人間を。

 己の将来や弓塚の社会復帰、親しい女性二人への責任問題なんてのに頭を抱えながら、今日も日々を過ごしている。

 

 

「……この調子じゃ間に合いませんね」

 

「あれだ、もう今年は諦めて来年に――」

 

「仕方ありません。こうなったら、最早私が住み込みで教えましょうっ」

 

「何でだよ!?」

 

 

 立ち上がりよしっ、と気合いを入れる鮮花。

 短いブラウンスカートが揺れ、腰元まで届く黒髪が陽射しを受けて薄く染まる。

 

 遅れに遅れた受験勉強。

 高校に通わずとも受験資格は秋葉が何とかしてくれるらしいが、本来は実力で大学受験の証を取らねばならないだろう。

 

 

 実を言うと、余りやる気は無い。

 何となしに、ここから先は自分の力だけで進みたいのだ。

 

 だから、秋葉や鮮花には悪いが今年は受験資格を取る事に集中できればと思っている。

 

 

どの道、遠野アキは遠野家の二男でおまけに養子。

全くの好き勝手は出来ずとも、長男である志貴よりは自由の効く位置ではないだろうか。

 

 

「――という訳でさ、お前も肩の力を抜いてくれよ抜いて下さい。

 だいたい、お前だってまだ学生なんだから幾ら何でも住み込みはヤバい」

 

 

 そもそも鮮花の通っている女学院は全寮制の筈。

 ついでに、屋敷に来るのであれば鮮花よりも藤乃の方が二倍ばかし嬉しいのだけど。

 

 見上げる鮮花の表情は、まるで出来の悪い同僚を見つめるように容赦ない。

 

 

「来年ですか。まぁ、そうなれば私も受験生ですから教えるのは楽になりますが……」

 

 

 目を逸らし、腕を組み考え込む仕草。

 

 

「お、同じ学年……これはチャンス?

 ……し、仕方ないですね! これとこれとこれを解いたら休憩にします。その時にじっくり考えましょうっ」

 

「何か増えてるぅ――――!?」

 

 

 原因は不明だが、どうやら鮮花の機嫌を損ねたらしい。

 許しを乞おうと鮮花に顔を向けるも、肝心の家庭教師様は背を向けブツブツ独り言。

 

 どうやら、上手い逃げ道は無いらしい。

 

 

「……はぁ」

 

 

 諦めて、ペンを握りながら参考集に目を通す。

 

 世間一般と変わらない日常。

 自分がこの世界に来てから求めていたものは、確かにこのような平穏な日常生活である。

 

 だから不満は全く無い。

 愚痴を吐いても、この日常の有り難みを自分達は身体を持って知っているから。

 

 

 ただ、

 

 

(何で、鮮花が手伝ってくれるのか……)

 

 

 心当たりが無いため不気味である。

 借りは圧倒的にこちらの方が多いし、好敵手として切磋琢磨する仲であった筈。

 

 

 最近は落ち着いた所為か、弓塚を連れて橙子さんの事務所に通う回数も減少した。

 そのせいもあって、鮮花や藤乃、要は“空の境界”のメンツに会うのは月一くらいだと覚えている。

 

 それが変わったのは、夏を過ぎた辺りからか。

 どう変わったかと言われたら、鮮花が訪れる回数が増えたくらいしかないのだけれど。

 

 

「……全く」

 

 

 困ったものだと、誰に聞こえる事の無い溜め息をもう一度。

 

 明るく快活な鮮花の性格は、友人として付き合う分には文句ない。

 叱責され、励まされ、負けている面には隠さず嫉妬するその姿は、三咲町を出てからの七夜アキハに間違いなくプラスの影響を与えただろう。

 

 それは今でも変わらない。

 遠野アキにとって、黒桐鮮花は同年代としても、そして魔術師としても掛け替えのない友人である。

 

 

 そんな距離、だった筈なのだが……

 

 

「鮮花、せめてこの数式だけでも解いて見せてくれないか?

 正直、この参考書じゃ参考にならないし」

 

「本にケチ付けない。というか、それだって結構いい値段するんですよ?」

 

 

 参考書を睨むこちらに対して、贅沢だなぁと呆れた声を。

 

 文句を言いつつも、鮮花は先に赤ペンを走らせた問題を覗き込む。

 シャープペンをスッと取られ、そのままノートに走らせた。

 

 

「しっかり覚えて下さいよ、全く」

 

 

 耳元で響く。

 

 精神的だけじゃ無い。

 ここ最近の鮮花は、物理的にも距離が近い……ように感じる。

 

 

(……勝手な錯覚かもしれないが)

 

 

 黒桐。

 すぐ隣にいる女性は、黒桐幹也の妹である。

 

 同じ血を引いているのだ。

 

 

「……」

 

 

 遠くで喧騒が聞こえる。

 

 どこかで聞いた様な声色。

 微かに反響する部屋で、じっと座ったまま目の前で細かに動く端正な指先をぼぅと見つめる。

 

 

 

 

 彼女の兄。

 黒桐幹也は、三名の女性の心を無意識にも引きつけた。

 

両儀、浅上、巫浄。

 かの有名な退魔四家のうち、三家。

 

 

 黒桐の血は、退魔を引き付けるのではないか。

 前に、面白半分に橙子さんから聞かされたのを覚えている。

 

 実際のところは分からない。

 ただ、この場にいる両名にもそれと同様の図式が成り立つのだ。

 

 

 片や、同じ黒桐の血を引く鮮花。

 片や、七夜と浅神の血を引く退魔の生き残り。

 

 そこから、どのような答えが導き出されるのか。

 

 

(……ま、まぁ、関係無いか)

 

 

 余計な妄想を勘付かれる前に振り払う。

 だからと言って、それをドキドキする理由にして良い訳がない。

 

 

 心頭滅却。

 要らぬ事ばかり考えた日には、弓塚に抗う事無くミンチミートだ。

 

 あの娘、強いし。

 ……強過ぎるし。

 

 

「七夜さん?」

 

「お、おぅ、何だ!?」

 

「……お客さんですよ。

 勉強は一先ず休憩にしましょうか。七夜さんってば呆けてばかりで、全然覚えてくれませんし」

 

「わ、悪い――って、客?」

 

 

 小言と共にちょいっと指差す鮮花。

 その指先の向こうには――窓。

 

 否。

そのすぐ近く、外壁に沿う様にして立っている一本の木。

 

 

 その上に、

 

 

「お邪魔しますよ、七夜君」

 

「シ、シエルさん!?」

 

 

 スタリと、そよ風と共にカーテンを揺らして元代行者は床へと着地。

 礼節正しく、履いていたカソックは幹の上に置かれていた。

 

 

 法衣がなびく。

 

 隣に立つ鮮花が会釈をし、それに応えた。

 

 

「こんにちは、シエルさん。お久しぶりです」

 

「えぇ、こちらこそ。貴女はここで……あぁ、苦労してますね」

 

「はい、出来の悪い兄弟子を持つと……」

 

 

 大袈裟に肩を竦める鮮花の様子に、シエルは苦笑する。

 

 視線が走る。

 

 机の上に広げられた参考書類。

 規則正しく針を刻み続ける時計。

 それらを前にして、馬鹿な先輩に勉強を教える後輩の姿。

 

 

 シエルの瞳が、一瞬曇る。

 

 それが――何となく、悔やんでいるように思えた。

 

 

「シエルさん、今日は何か?

 というか、窓から入って来るなんて都古ちゃんの真似ですかい?」

 

 

 椅子に背もたれながら、大きく開け放たれた窓を指す。

 記憶が正しければ、この人はいつも呼び鈴を鳴らして訪問して来た筈。

 

挨拶程度に軽く掛けた言葉は、しかし沈黙で返された。

 

 

「……」

 

 

「……シエルさん?」

 

 

 無言で、元代行者は鮮花からこちらへと向き直る。

 

 横一門に固く結ばれた唇。

 自分にとって思い出したくない、嫌な空気が部屋を包んだ。

 

 

 今は、紛れもない“日常”なのに。

 感情を読み取れない、幾重にも隠された瞳を向けられて、

 

 

「……彼女に会わないため、ですよ。

 いえ、正確には貴方以外にと言った方が正しいでしょう」

 

「彼女というのは、さつきさんの事ですか?」

 

「あの、シエルさん? ここに鮮花がいるんですが……」

 

 

 よもやシエルの表情が浮かないのは、鮮花の存在が余計だったからではないのか。

 

 鮮花の問いに頷くシエルは、特に困窮した様子はない。

 ゆっくりと、まるで安心させるように言葉を紡いだ。

 

 

「鮮花さんは……そうですね、貴女は聡明です。

 それも、そこにいる遠野アキよりずっと――違いますか?」

 

「言われる程に秀でてはいませんが、後者は否定しようにも出来ませんね」

 

「そこは先輩を立てておけよ、おい」

 

「いいじゃないですか。馬鹿は馬鹿でも、七夜さんの馬鹿は良い馬鹿ですから」

 

 

 全く悪びれた風も無く、鮮花は自然と言ってのける。

 取り敢えず、この後輩に非常に舐められている事だけは理解出来た。

 

 

「まぁ、同席させる必要はなかったのですが……鮮花さんも無関係とは言えない話ですし、仕方ありません」

 

「私が……ですか?」

 

「えぇ、もちろん、話の中心は遠野アキに収まってしまいますが」

 

「嫌な予感しかしないな、もう」

 

 

 聞かされる内容は全く予想付かないが、シエルの口調からして説教されている雰囲気である。

 ちなみに、ここ最近で周囲に迷惑を掛けた自覚は一応無い。

 

 

「遠野アキ」

 

「はい」

 

「貴方は、この名前をご存知ですか?

 ――Trhvmn Ortenrosse

 

「は?」

 

「トラフィム・オーテンロッゼ。この名を耳にした事はあるのかと聞いています」

 

 

 厳かに紡がれたその名前。

 

 頭を掠める何か。

 けれど、引っかかるにしては余りにそれは薄かった。

 

 

「ん……どこかで聞いた事があるような……無いような」

 

「七夜さん、男ならそこははっきりと断言して下さいよ。

 ただでさえ外見がアレなんですから」

 

「ア、アレとは何だ! これでも結構気を使ってるんだぞ?」

 

「だからって何でリボンの種類が増えてるんですか!? 似合ってるのは認めますけどっ!」

 

 

 言い返そうとして、横顔に突き刺さる鋭い目線。

 

 一呼吸置く。

 自制して、話を元に戻すために元代行者の問いに答えた。

 

 

「あー、悪いけど聞いた事はない……かな」

 

 

 頬を掻く。

 そもそも、その名は日本人では無く外国のものであろう。

 

 ならば、自分が知る機会なんてある訳ない。

 あったとしても、知るのは一般人と同等の情報でしか有り得ない。

 

 

 こちらの答えに表情を変える訳でもなく、そうですかと一言。

 そして、続けた。

 

 

「ならば……真祖狩りと言えば分かりますか?」

 

「――あぁ、そうか」

 

 

 呆けたように、言葉を吐いた。

 

 そこに秘められている意味は恐ろしく、一層に暗い。

 それでも、今となっては古い話だから。

 

 

「二年前、違うな、もう二年半か」

 

「はい、トラフィム・オーテンロッゼとはその当時、真祖狩りを提案した張本人。

 二十七祖の一角であり、ネロ・カオスを対アルクェイドに駆り立てた人物です」

 

 

 不穏な単語の羅列に、鮮花が眉をしかめる。

 

 

「あの……ネロ・カオスって、前にさつきさんやアルクェイドさんの手で倒された死徒ですよね?

その人を送りこんで来たって事は、その死徒は彼以上に強大な力を持っている訳ですか?」

 

「それは違います、鮮花さん。

確かにトラフィム・オーテンロッゼは死徒の中で破格の力を持っていますが、それは彼の領地、権力、発言力にあります。個体としての生物的な面では、二十七祖の中では並のレベルでしょう」

 

「……何だか貴族みたい」

 

「成る程、思い出して来た」

 

 

 古びていた戸棚を開けるように。

 頭の中で、以前に橙子さんの手で整頓された記憶が引き出される。

 

 白翼公。

 魔術師上がりの死徒であり、真祖狩りの件からネロ・カオス消滅の責任を取らされるであろうとか何とか、そんな記憶。

 

 ただ、まさか今日になってその名を聞く事になるとは思わなかったが。

 

 

 緊迫感の無い事が表情から知れたのか、見透かしたようにシエルは言う。

 

 

「永遠を生きる死徒にとってはたった二年。

 人間と同じ感覚で捉えてはいけませんよ、七夜君」

 

「い、いや、それは分かってますけど……」

 

「そうですよ、シエルさん。

 仮にその真祖狩りの件について何か動きが見られたとしても、それなら七夜さんではなくお義兄さ――じゃなくて、七夜さんのお兄さんに言うべきじゃないですか?」

 

「……あ、鮮花?」

 

「はい、何でしょう?」

 

 

 気にするなと書いて笑顔。

 

 

「いや、何でも……」

 

 

 違和感は仕方なく放っておき、元の話に集中する。

 

 

 そう、疑問はあるが鮮花と意見は同じなのだ。

 真祖狩りにしても、トラフィム・オーテンロッゼの件にしても、それを真に知るべきはアルクェイドの騎士である遠野志貴である。

 

 自分が知ったところで、それは志貴に伝える役目くらいしか出来はしない。

 

 

 けど、それを聞いた彼女――元代行者は無機質な瞳を向けたまま。

 

何を想っているのか。

 もしかしたら……自分は、憐れまれているのか。

 

 

 

 

 ゆっくりと進む時間の中で。

 

 シエルは額に手を当てて、ようやく表情を崩した。

 

 

 弱った風に。

 本当は、伝えるのが不本意だと言わんばかりの表情で。

 

 

「確かに、お二人の考えは解ります。

 事実、最近になってから死徒の間ではトラフィム・オーテンロッゼを中心とした動きが絶えない。真祖狩りは――確実に、もう一度執行されるでしょう」

 

「そうは言っても……もう、アルクェイドの本体は動かないぞ。

 永遠の眠りに、一体どこの死徒が怯えてるんだよ。まるで無害じゃないか」

 

「……無害?

 それを、誰が証明出来るというのです?」

 

「いや、誰がって……」

 

 

 言葉に詰まる。

 それを知っているのは志貴であり、秋葉であり、翡翠であり……この屋敷に住む人間とそれに関わる人間なら、意識の残骸と成り果てている幼い真祖を目にしているから。

 

 

 そうじゃない。

 シエルが言っているのは、そう言った認識の問題ではなくて――

 

 

「――真祖という存在は、誰の研究対象にもなり得ない不確定要素の塊です。

 真祖は吸血衝動を抑えきれなくなった時点で永遠の眠りにつき、それが彼らの寿命とされる。

 ですが、それですら確証は無い。幾らかの事例からそう我々が捉えているだけで真実はもっと別のものだと、彼ら“真祖”は星に生み出された、私たちとは全く異なる生命体という事しか語れない。そして、その様な不安は天敵である死徒ほど色濃く覆われているでしょう」

 

 

 ならばこそ、彼らが矛を収める筈が無いと。

 

 藪を突いたら蛇。

 その言葉を表す様に、静観を見守る死徒も中にはいるだろう。

 

 

 だが、シエルの話を信じるのであれば、

 

 

「志貴は知ってるのか?」

 

「既に知っているのかもしれませんし、まだ知らないのかもしれません。

 いずれにせよ、彼はこの手の情報収集には慣れています。遠からず、少なくとも死徒が本格的に事を起こす前には、彼の準備は整っているでしょう」

 

「だったら――」

 

 

 彼女は、シエルは自分に何を伝えに来たのだろうか。

 

 歪曲の魔眼はなく、魔術回路も焼き切れ今は魔術を使えない。

 取り得は七夜の血が受け継ぐ人離れした身体捌きだが、それにしたって別段強みになりはしない。

 

 原作の知識を活用して無事に今年の夏を乗り切った今、自身の役目は本当に何も無い筈だ。

 出来る事など――何も無い筈なのだ。

 

 

 そんな、こちらの想いなぞ関係ないとでも突き放つ様に。

 

 

「七夜さん……」

 

 

 鮮花が不安げに囁く。

 

 顔付きで解った。

 鮮花は既に気付いている。

 

 

 シエルの意図。

 何を伝えようとして迷い、歯噛みしているのか。

 

 

「――遠野アキ、心して聞きなさい」

 

 

 重く響く口調に、思わず身体が硬直する。

 晴れた、普段と変わりない昼下がりの空、そよ風が彼女達の髪を攫う。

 

 

淡いベージュのリボンが揺れた。

 

 

 

 

「此度の二度目となる真祖狩り。

 ――その基点は他でもない、貴方に集約されているのです」

 

 

 

   ◇

 

 

 

「遅い! 歩くの遅過ぎだよ、アキ君!」

 

「そう言うなって。こっちは久しぶりの模擬戦で散々に痛めつけられたんだからさ」

 

 

 それはおそらく、鮮花なりに元気付けようとしてくれたのだろう。

 もっとも手を抜く様子は微塵も見当たらなかったため、意地で引き分けには持っていったが。

 

 

「むぅ〜、鮮花さんのレベルなんて私なら圧倒出来るのに……。

 まさかあれかな、惚れた弱みで手加減とか言わないよね?」

 

「……」

 

「あぁ! 黙るって事はやっぱり――」

 

「傷が痛むんだよ、察しろよ!

 それに、ほ、惚れてなんかいないんだからね!」

 

 

 夕日に染まる坂道を、弓塚と二人で下っていく。

 

 さっきまでの話が嘘の様に、自分が世間一般に溶け込んでいく感覚。

 隣にいる彼女と他愛もない話をするだけで、非日常から日常へと戻っていく。

 

 夕暮れに照らされた弓塚の髪は、光の所為か栗色に見えた。

 

 

「……ところで、今日の坂道は何だかやけに荒れてないか?

 気のせい――じゃないよな、遠くにはクレーターが見えるんだが」

 

「あ、あはは、まぁ、気にしても仕方ないし……。

 歩きにくかったらさ、ほら」

 

「ん」

 

 

 差し出された手を掴み、覚束ない足元に力を入れる。

 支えられながらにも一度遠くに目をやると、やっぱりそこにはデカイ穴が。

 

 どこかで見た事のあるヒビの割れ方。

 ガラドボルグが穿った穴に似ているなと、在りもしない想像に苦笑した。

 

 

「あれ、何か可笑しかった?」

 

 

 振り向く弓塚に、首を振って足を踏み出す。

 そうして、彼女と肩を並べて歩き出した。

 

 

「琥珀ちゃん、下手に動き周って無ければいいけど」

 

「そんなはっちゃけた性格じゃあるまいし、身体に負担は掛けてないだろ。

 そもそも、まだ入院させるには早過ぎると思うんだが……」

 

「秋葉さんの気持ちも解らなくないけどね。

 まぁ、わたしや琥珀ちゃんにとってはありがたい話なんじゃないかな?」

 

 

 それよりもっ、と叱りつける様に指を立てる弓塚。

 

 今年で弓塚も十八才。

 仕草が子供っぽいのは、どうにも抜けないままである。

 

 

「お見舞いに行くんだから、あんまり琥珀ちゃんを心配させちゃ駄目だよ。

 ちょっとした傷でも、出来れば気付かれないように気を付けてよね」

 

「ん……あぁ」

 

 

 努力しても、あっさり気付かれてしまいそうだが。

 表面上の傷は特に、薬学の心得があるためか琥珀は鋭い。

 

 

 ただ、それだけならば構わないのだ。

 

 負傷した身体は、幾ら見られても問題無い。

 困るのは――胸に渦巻く不安。

 

 

 昼下がりにシエルから伝えられた、例の話。

 

 あれだけは、絶対に勘付かれたくなかった。

 

 

「……アキ君」

 

「え、な、何だ?」

 

「えっと、もしかしたら元気ないかなぁって。

 鮮花さんに負けた事は違うんだよね?」

 

「こら、負けてないぞ」

 

 

 名誉棄損である。

 

 弓塚は眉を八の字に曲げ、首を傾けた。

 じっと顔を見据えられ、居た堪れなくて顔を背ける。

 

 弓塚なりに気遣いしてくれるのは嬉しい。

 ただ、やはり琥珀にも、そして弓塚にも今はまだ隠しておきたかった。

 

 

 足取りは重い。

 ちょいちょいと突かれる肩に、少しだけ隣へと顔を向ける。

 

 

 

 

 ――何故か、顔を赤くした弓塚がそこにいた。

 

 

「熱?」

 

「ち、違うよ! そうじゃなくて……。

 アキ君のほら、げ、元気ないのってね」

 

 

 照れたように視線は下を。

 頬が緩み、口元もだらしなく弛緩している。

 

 碌な事を考えていないなと、長い付き合いで感じ取った。

 

 

「……も、もしかして夜の心配ごとかなぁ?」

 

「色気づくなよ、こんちくしょう!」

 

 

 予想通りだった。

 加えて、予想以上に誘っている目線が可愛かった。

 

 

「さ、誘ってないもん!

た、ただ琥珀ちゃんは入院してるし、わたししかいないんじゃないかなって!」

 

「さらっと心を読むなっ。

 ……それに、お、お前だって琥珀と似たようなもんだろ?」

 

 

 若干どもりながら、何とか弓塚に向けて言葉を吐く。

 正確には、弓塚のお腹周りにちらりと目を配らせて。

 

 途端、弓塚の頬っぺがまた落ちた。

 

 

「え、えへへ、心配してくれてありがと。

 でもね、わたしってば琥珀ちゃんよりは少し遅かったからさ……」

 

「から?」

 

「……えっと、ふ、負担の少ない体位にすれば大丈夫……だよ?」

 

「――」

 

 

 上目遣いだった。

 

 

「……話を戻そう。というか、これ以上そっち路線で攻められると陥落しそうだし」

 

「え……う、うん」

 

 

 きょとんとする弓塚を横目に、仕方なく弓塚の言う“元気の無い理由”をほんの少しだけ喋る事にした。

 元々乗り気ではなかったが、弓塚のペースに巻き込まれる方が非常に危うく思えるのだ。

 

 主に理性的な意味で。

 

 

「さっきさ、シエルさんと話した」

 

「シ、シエルさん?」

 

 

 こちらの言葉に、弓塚は先までの会話を忘れたように驚いてくれた、

 

 シエルが屋敷に赴き、自分と話していた事。

 そして、その弓塚の反応から確信した事が一つ。

 

 

「やっぱり、弓塚には会ってないんだな」

 

「う、うん。というか、シエルさんが来たことすら知らなかったし……」

 

 

 語尾が小さくなっていく変わりに、その瞳は怪訝なものに。

 アキ君にだけ、と風に攫われる程の弱々しい呟き。

 

 

 シエルが遠野の屋敷に顔を出すのは、決まって弓塚の様子を見るためだ。

 自分の見逃した死徒が、今は人間と変わらない器で日常を送っている弓塚が、無事に過ごせているのかどうか。

 

 だから、屋敷に来たシエルは決まって弓塚と顔を合わせる。

 そうやって時たま、弓塚の屋敷での出来事やシエルの海外での生活を互いに話し合う。

 

 それが二人のルールなんじゃないかと、何となしに思っていたのだけれど。

 

 

 弓塚は沈黙したまま、歩を進める。

 

 小さくなる歩みの幅。

 それは間違いなく、弓塚の不安な心を表していて、

 

 

「……ねぇ、アキ君」

 

「ん?」

 

 

 スッと視線をこちらに寄越す弓塚。

 

 

 ――それって、やっぱりわたしの事?

 

 

 揺れる瞳から、口に出さずとも伝わって来る。

 

 吸血鬼として、世界の害悪として存在する彼女。

 嫌になるくらい、存在自体が周囲の迷惑になる事は既に体験済みだからか。

 

 

「……まぁ、否定はしない」

 

 

 だから敢えて、嘘をついた。

 

 

「や、やっぱり〜! うぅ、ゆっくりのんびりと暮せるようになったと思ったのに……」

 

「そう心配するなって。

今回のはそう大袈裟なものじゃないし、そもそも面倒事には慣れっこだろ」

 

「う……そ、そう言われても……」

 

 

 がっくりと肩を落として俯く弓塚に、楽観的な言葉を掛けておく。

 

 謝罪の言葉を垂れ流す姿を見て、ほっと胸を撫で下ろした。

 

 

 弓塚には悪いが、ここはシエルが訪問した理由を“弓塚の問題”として誤解させておく。

 

 言わなければ、弓塚はきっとこちらを勘ぐるだろう。

 心配して、隠し事の下手な自分では遠くない内に知られてしまうかもしれないから。

 

 

 

 

 ――――基点は、貴方にあるのです。

 

 

 先の対話が、頭の中で繰り返される。

 

 再び執行される真祖狩り。

 その基点は自分にあるとシエルは言った。

 

 

(……はぁ)

 

 

 心中深くで溜め息を。

 時南医院へと続く道程を、弓塚と繋いだ手に引かれながら歩く遠野アキ。

 

 ボロボロで、手を離されたらズコっと転びそうな人間に、

 

 

 ――遠野志貴と衛宮士郎。この両名と親しく、行動をある程度誘導出来るのは……

 

 

(貴方が一番近くにいます、か)

 

 そう。

 つまりは、そういう事なのだ。

 

 

 アルクェイドを守護する志貴。

 裏世界に関係無い、一般人を守ろうとする士郎。

 

 根本的に思考回路が違うせいか、やはり二人は気が合わない。

 だけど、真祖狩りに至っては敵対する者は両者とも変わらない筈である。

 

 

(まだ、衛宮が真祖狩りに関わってくるとは限らないが……)

 

 

 志貴に劣らず、士郎にしても情報網は幅広い。

 その時にならなければ分からないが、少なくとも、耳に入れば衛宮士郎は迷わず飛び込む。

 

 

 ……そして確実に、その二人を大切に想う人も動くのだろう。

 

 遠野志貴には、秋葉やシオン、翡翠が。

 衛宮士郎には、凛や桜、イリヤスフィールが。

 

 二人には直接関係無くとも、セイバーやライダー、アーチャーの存在も忘れてはいけない。

 

 

(だからこそ……)

 

 

 

 

 ――二人を上手く連携させられる可能性のある貴方が、介入するかどうか。

 

 

 そっと、空を仰いだ。

 思い出すだけで息が詰まりそうになってしまうのは、考えるまでもなく、自身の器がちっぽけだから。

 

 二人の行動に気を配り最悪の事態に陥らないよう、あわよくば効率良く物事が進むように調整する役目。

 

 それだけなら、ここまで息苦しい訳が無かった。

 

 

 ――そして貴方が動くだけで、味方は大勢集まるのです。

 

 

 何を馬鹿な事を言うのか。

 遠野アキの影響力なんて、たかが知れているのだ。

 

 二年半前から。

 この身は弓塚の問題で手一杯だったし、それだって琥珀の補佐と弓塚の力があってこそ。

 

 そんな関係で三人一緒に過ごして来たから、遠野アキが関われば自ずと琥珀と弓塚を巻き込んでしまうのだろう。

 言って聞くような二人ではないし、逆の立場であればこちらだって黙っている筈は無い。

 

 

 しかし、やはり遠野アキによって動くのはそこ止まりだ。

 志貴や士郎、秋葉やシオンももちろん黙って無いとは思うが、それは時と場合による。

 

 天秤の反対側に、何が吊るされているかによるだろう。

 

 

 そんな事よりも問題なのは――

 

 

「……」

 

「ん、どうしたの?」

 

「いや……」

 

 

 弓塚さつき。

 

 この人間モドキが動くと、結構洒落にならないのだ。

 

 

 神代の魔女は、現在冬木の町にいる。

 平穏に暮らしているであろうキャスターも、弓塚が死地に飛び込むとなればおそらく力を貸す筈だ。

 

 そこにはおそらく、放浪しているアサシンも一緒に付いて来るに違いない。

 聖杯戦争では世話になったアサシンだが、彼はキャスターの従者なのだから。

 

 英霊二体。

 これはデカイ。

 

 

(人柄か何なのか、やけに気に入られているし)

 

 

 加えて、弓塚は人形師とも仲が良い。

 もっとも橙子さんの場合は、友好度に関係無くデフォルトで静観徹しの構えかもしれないが……

 

 

(……力は、貸してくれそうだよな)

 

 

 弓塚に加えて自分と琥珀。

 何だかんだ言って、面倒を見て貰っている印象は結構強い。

 

 

 

 

 ――他の方ならともかく、七夜さんは私より弱いですからね。足手纏いは御免ですけど、実力的にそれはあり得ませんから。

 

 

 続いて脳内再生されたのは鮮花の声。

 

 腕を組んで、何て事のないように言ってくれたその言葉。

要は少しくらいなら協力してあげますと、嫌味に付けて伝えられた時には不覚にも口元が緩んでしまった。

 

 蹴りは痛かったが、それだけ価値のある言葉を聞けたと思う。

 

 

 更に、鮮花という要因はかなり周囲を引っ張るだろう。

 

 彼女の師匠は自分と同じだ。

そうなれば、橙子さんが何らかの形で関わる可能性も大きくなる。

 

 また、友人の藤乃と兄である幹也さんも関わって来るかも知れない。

 その際、幹也さんが動くとなれば志貴と同じ魔眼使いの両儀式が連れ添う事は確実である。

 

 

(関わる人が、多過ぎる……)

 

 

 もちろん、それはとても心強い。

 

 自分の所為で弓塚も関わるとなれば、その時は死徒を監視する役目をしてシエルも同行してくれる。

 ここでバゼットから借りを返して貰っても良いし、そうやって人数が増えていけば増えていく程、秋葉だって資金面での協力はしやすくなる。

 

むしろ、彼女は大財閥である遠野家の当主。

対人戦よりもそういった戦略面における補助の方が、力を発揮しやすいのだ。

 

 

(基点が、自分にある)

 

 

 もしも。

 もしも、それが事実であるのだとしたら。

 

 

 遠野アキが動かなければ、琥珀と弓塚も積極的に関わる姿勢は見せないだろう。

そして、そうなればシエルを含めた他の関係者にも動く理由はなくなってしまう。

 

 それでは、志貴と士郎が危なくなる。

 だが、自分が動けば他大勢の人を巻き込むことになってしまう。

 

 

 ――どちらが尊いのか。

 

 

 周囲の人間を、親しい人達を秤に乗せる。

 

 見捨てる訳ではないにしろ、自分の選択で友人が危険に立たされるなら。

 友人が安全になるとは言え、二十七祖が絡む抗争に周囲を――二人を巻き込んでしまうのは。

 

 

 

 

 大きな溜め息と共に、頭を振った。

 

 

「……や、止めだ、止め!

 これはあれだ、橙子さんに相談した方がいいよな、うん」

 

「にゃはは……」

 

 

 隣で申し訳なさそうに笑う弓塚。

 彼女自身が原因とは言え、こうやって悩み振り回されるのは今まで散々繰り返して来た道だから。

 

 

 まぁ、互いに今更な感じはある。

 こんな風に悩まされるのも前から分かっていた事だから、今更なのだ。

 

 先行きを心配して息を吐くのも。

 悶々と煮え切らない思考で情けない姿を見せるのも。

 

 

「わたしってば吸血鬼だしね。なのに人間にこう……戻ってるし」

 

「立ち位置が中途半端だからなぁ。

 人間側と人外側、下手すればその両方から狙われるって損だよな、全く」

 

「敵さんが多いのは仕方がないか、はぁ……」

 

 

 互いに現状を再確認。

 

 手を握って、顔を合わせて、二人一緒に肩を落とした。

 

 

「……ん」

 

 

 影が重なる。

 右肩に僅かばかりの重さを感じながら、前を見据える。

 

 

(……自分で選んだ道なんだ)

 

 

 選んだというか、こうなったのは半ば成り行きなのだけど。

 それでも、確かにいつか、どこかで決意はしたのだから。

 

 だからこそ。

 

 ここが自分達の居場所だと決めた以上、やれる事なんて決まっている。

 

 

「まぁ、敵が多いならこっちも味方を増やしていかなきゃな」

 

「味方?」

 

「橙子さんやキャスター、秋葉達に遠坂さん達。

 周りには優秀な奴らがたくさんいるけどさ、今よりもっと――」

 

 

 多くの味方を作らないと。

 そう、合わせる目線で訴えた。

 

 

「ん〜、でも心当たりとかあるの、アキ君?」

 

「どうだろ。だが類は類を呼ぶとか言うし、周りには常識外れの奴らが多いからな。

 例えば遠野家の親戚に当たる連中だったり、対人戦の滅法強い葛木先生を味方に付ければ……」

 

「あれ、葛木先生って?」

 

「今は秘密。気にしなくても、直に会えると思うぞ」

 

 

 我に秘策ありといった感じに強気の笑みを浮かべてやる。

 ちょっと見栄を張った気もするが、それを見て弓塚も軽く笑い返してくれた。

 

 

「あはは……そうだね。

敵さんが多いなら味方を増やして、それでもって少しずつ敵さんを減らしていけば解決だもんね」

 

「というか、それ以外に足掻く方法なんて見当たらないしな」

 

「わたし達って頭悪いしね、えへへ」

 

「お、おい! ちゃっかり一緒にするんじゃない!」

 

 

 留まっているだけでは、世界に押し流されてしまう。

 

 存在してはいけないとされる吸血鬼も。

 その子を引っ張って生きていく自分も。

 

 

 

 

だから、それを心掛けて歩いていこう。

 

 そうすれば、いつか、いつの日か――

 

 

「そんな訳で、まずは頑張ってこの町の敵を攻略しなきゃな」

 

「え、もう!? と、というかこの町の敵って?」

 

「弓塚の社会復帰……それに伴う最初の難関……」

 

「……ま、まさか」

 

 

 目線は再び弓塚のお腹へ。

 ちょっぴり前に膨れた腹部は、顔付きの変わらない弓塚を見るにどう考えてもただ太っただけとは言えないだろう。

 

 弓塚さつきのご両親。

 スルー出来る問題では到底なかった。

 

 

「え、えええぇ! ア、アキ君ってばまだ諦めてなかったの!?」

 

「諦めるも何も、墓参り行った時にはっきり口にしただろうが!

 お前と琥珀のせいで後回しになっただけで、むしろ最重要事項だろうに!」

 

 

 話が逸れてしまったのは、半分以上自分の責任なのだけど。

 

 不意打ちとばかりに目を開く弓塚の頭に手を伸ばす。

 ちょいちょいと髪の毛を摘まんで、少し叱るような口調に変えて。

 

 

「シオンさんと良く出掛けてるんだし、十分に人間らしい生活してるだろ、お前。

 幾ら髪を染めてるとは言え、他はほとんど本体と大差ないパーツなんだからなぁ……」

 

 

 隣に並んだ時に感じる背丈も、小さめの口から出される声色も、ついでに手の大きさだって変わらない。

 親しい人間が見たら、どうしたって髪を染めただけの弓塚さつきなのだし。

 

 

「本体と大差ないって……ア、アキ君ってば、もう!」

 

「ちょ、何で照れるんだよ!?

てか、すぐにそっちと結びつけるんじゃありませんっ!」

 

 

 行き成り真っ赤になって睨みつけて来る弓塚に、負けじと大声で言葉を返す。

 

 突き刺さるような視線は、頬を染めた弓塚から。

 もっとも、こんなやり取りが出来るのも十分に平和ボケしてきている証だろう。

 

 

 

 

 それが、何だか嬉しくて――

 

 途端、背後から迫る足音。

 こちらに近づく駆け足に、七夜の意識が表立った。

 

 

「弓塚っ!」

 

「きゃっ」

 

 

 乱暴に、弓塚に伸ばされた腕を振り払う。

 右腕で彼女を背に回し、左手は払った勢いそのまま、相手の腕を捻り上げようとして、

 

 

「……あれ?」

 

 

 直前で止まる。

 

 直感。

 目の前の人間に危害を加えてはいけないような、余り自慢にならない第六感がここぞとばかりに警告を鳴らした。

 

 

 弓塚を背中に隠したまま、対峙するのは中年の男。

 実力の中途半端な自身でも、容易く倒せるであろうおそらく極普通の一般人。

 

 だが、その容貌に見覚えがあった。

 

 

 

 

「……お、お父さん?」

 

 

 後ろからそっと響くのは、掠れたような弓塚の声。

 と同時に、遠くから駆けて来る人影を発見する。

 

 そういえば授業参観で見た事あったなと。

 弓塚ってどちらかというと父親似なんだなと、何となしに思った。

 

 

「さ、さつき! あなたってば、やっぱりこの辺りにいたのね!」

 

「お、お母さん!?

 え? あれ? ……何で?」

 

「何でじゃありません! 最近になって目撃情報がたくさん入って来たのよっ。

 髪が紫や赤色の女の子と、やれ商店街やら喫茶店やらカラオケボックス、おまけに薄暗い路地裏で見かけました――って!」

 

「あ……あはは。だ、だってさ、アキ君? わわっ」

 

 

 ぺロリと舌を可愛げに出してこっちに弱った視線を送るのも束の間、母親に抱きつかれる弓塚。

 母親の勢いは止まらない。

 

 

「全く、一体今までどこに……って、このお腹!!」

 

「さ、さつきの身体がどうかしたのかい、母さん!……って、そのお腹は!!」

 

「え、えへへ……」

 

 

 顎が外れる程驚愕する両親。

 見つかって、恥ずかしそうに両手を弄くりながら俯く弓塚。

 

 うん、やっぱりさっちんは阿呆な子だと思うんだ。

 

 

(というか、見張っていなかった自分も悪いが……)

 

 

 弓塚の母親から聞いた目撃証言を信じる辺り、弓塚は相当気を緩めた私生活を送っていたと見える。

 身体を作る際に弓塚似――というか、本体とほぼ同じにして欲しいと頼んだのは自分だが、果たしてこれは自業自得と言えるのか。

 

 

 そんな事を現実逃避気味に考えながら、

 

 

「君が……遠野シキ君だね。

 女性的な顔立ちに薄紫の髪……ふむ、さつきの日記と同じ人物だ。ようやく会えたね」

 

「はは……い、今は遠野アキと申します。

 所でその、ようやくとは?」

 

 

 プレッシャー。

 頭上から降り注ぐ、橙子さんや秋葉とは全く異なるそっと静かな威圧感。

 

 

「何、娘の交友関係を調べ回ったのだが、君だけは中々捕まらなくてな。

 さつきの行方が分からなくなった少し後に留学。親心なりに疑ってみたが、遠野という家柄、一般のサラリーマンでは話し合う事も間々ならない」

 

 

 まぁ、と優しい口調で紡がれる。

 

 

「猟奇殺人の被害者は他にもいた。だから、うちの娘もそうなのだろうと……言ってみれば認めたく無い故の行動だったから、君を疑う気持ちは少なかった。もちろん怨んでもいなかった……わかるかね?」

 

「え、えぇ」

 

 

 怨んでもいなかった。

 見事に過去形である。

 

 

「あの……付かぬ事を聞きますが、会社は? まさか弓塚のせいで辞めたりとか」

 

「有給だ、馬鹿者。

 娘の目撃証言が集まったのだから、何を仕事していられる訳があろうか」

 

 

 会話をまるで遠くで、幻聴のように感じながら別の思考回路が活発に。

 

 

 どう逃げる、どうやり過ごす。

 人間の器の弓塚は魔眼が使えないし、ここで弓塚を抱えて無理に逃走しても、それは事態を悪化させる事にしか繋がらない。

 

 

 そして、頼みの魔術は使えない。

 

弓塚からの魔力提供を受けても、自身に回路が無い今では例外措置で何とかルーン魔術をほんの幾らか扱える程。

 それにしたって酷く時間が掛かるのだから、それらはまとめて選択外だ。

 

 

 ガシリとした大人の掌が、自身の肩に当てられる。

 

 冷や汗を垂らしながら、相方の様子をそっと探った。

 

 

 予定外の両親との対面。

 抵抗する間もなく、あっけなく互いに捕まってしまったけれど。

 

 

 

 

「…………はぁ」

 

 

 少し間を置いて、息を吐いた。

 

 仕方ない。

 そんな想いが胸に広がる。

 

 

 弓塚の奴は、母親に怒られながらニヤけている。

 母親に非行を咎められている女の子のように、染められた髪で目元を隠しながら笑っている。

 

 涙目かどうかは知らないけど、どうやら結果はオーライっぽい。

 どちらにしろ社会復帰のためには解決しなければならない問題で、だったらこんな無理やりな感じも悪くない。

 

 

 むしろ二人して悩む手間が減ったのではないかと、痛い程に掴まれた肩に顔を引き攣らせながら思った。

 

 

 弓塚はこれで良かったのかもしれない。

 ……あくまで、弓塚は。

 

 

「まぁ、君には一度家に来て貰おう。もちろん今からさ。

 聞きたい事は山ほどあってね、この二年半の事や娘と君の関係、あと娘のお腹の事とか、お腹の事とか、お腹の事かな」

 

「いや、あの……今からちょっとお見舞いにですね……」

 

「娘とうちに来るか、君一人で警察に行くか……ふむ、どちらが良い?」

 

「お、お手柔らかにお願いしますっ!!」

 

 

 くるりと方向転換して、歩く先は弓塚家へと。

 

 逃げられないよう両肩を拘束されながら、同じく母親にホールドされている弓塚へと顔を向ける。

 それはちょうど同じタイミングだったらしく、目が合った瞬間、照れた様に弓塚は笑った。

 

 

 その反応に思わず苦笑しながら項垂れる。

 相変わらず、人数倍に呑気な彼女であった。

 

 

「……味方は頼りにならないか」

 

「ああぁっ! い、今アキ君、わたしのこと馬鹿にしたでしょ!」

 

「なっ、彼氏さんなのにさつきの事を!?」

 

「娘を馬鹿にしただと! 許さんぞ、君!」

 

「もうやだこの家族……」

 

 

 父親には本気に、母親には怪しげな笑みを浮かばれて、弓塚には何だか賑やかに連行されながら。

 

 

 

 

 ――メールを打とう。

 

 

 心配させないよう、入院している琥珀に連絡を。

 志貴や秋葉、シオンにも知らせておきたいが、今はまだ黙ったままにしておこう。

 

 

 文字はそんなに必要無い。

 

 詳しく書いても仕方がないし、変に彼女に気を遣われるのは嫌だから。

 

 

 だから伝える事は一つだけ。

 

 

「えへへ、今日はうちで晩御飯だね、アキ君!」

 

「ば、馬鹿、腕を組むな!

 痛い、痛いですって、お義父さん!!」

 

 

 

 

 ――名が変わっても、住む地が変わっても自身に変化は特になし。

 

 

 七夜アキハ。

 もとい遠野アキは、今日も頭を抱えています――と。

 

 

 

 

 

 

 

小説置場へ

 


「憑依in月姫no外伝」最終話の続き。物語が続くのであれば今後の展開は如何なるものか、それを示唆する話でした。

琥珀さんが話の中でしか出てきませんが、それはそれ。最終話では彼女メインな感じがありましたので、後日談ではさっちんにスポットを当てて書かして頂きました。

 

もしもお目汚しになってしまいましたら申し訳。

二度目になりますが……「憑依in月姫」をここまで読んで下さり、誠にありがとうございました。