暗く、長いトンネルを抜けた様な感覚。

 

 リアルな質感が身体を包んで、スッと冷たい風が頬を撫でた。

 開けた目蓋から、水色が視界一杯に広がって――――

 

 

「あ、おはようございます、ご主人様♪」

 

「…………タマモ?」

 

 

 丸い琥珀色の瞳が、可愛らしく動く。

 光を遮って目の前に現れたのは、間違う筈もない、共に聖杯戦争を駆け抜けたキャスター・タマモであった。

 

 

 同時に、その光景に混乱する。

 

 ムーンセルに入り、役目を終えて分解した自分。

 従者として最後まで文字通り身を捧げ、一緒に消滅してくれたタマモ。

 

 

 停滞する世界に懸念を残しつつも、その結果に悔いは無い。

 

インプットした願いが正しく叶えられたのなら、タマモと共に支えてくれた彼女も電脳世界から抜け出せた筈。

データでしかなかった自分には、上出来の結末だと思う。

 

 

「やん! そんなとこ触ったら……」

 

「ご、ごめんっ」

 

 

 もぞもぞと手を動かした際に、タマモの身体に触れてしまう。

 

 

 呆けていた頭が、段々と事態を処理していく。

 草の上に寝転がっている自分と、後頭部に当たる柔らかな感触。

 

 これは所謂……膝枕だと、先に感じた手触りも含めてようやく解った。

 お尻を触ってしまったのかなと、赤面する顔を抑えて思う。

 

 

 

 

 優しく髪を梳く、タマモの指。

 目覚めたばかりの所為か、まだ自由に己の身体は動かせない。

 

 仕方なく、今は彼女に身を委ねた。

 

 

「……綺麗だ」

 

「え、そ、そうですか? ……あ、だから起床直後にセクハラしたんですね。

おぼろげな意識の中、本能で玉藻を求めてしまったと……もう、ご主人様ったら!」

 

「いや、空の話だって」

 

 

 夢に似た神聖な雰囲気を即座にぶち壊すタマモは、相変わらずだ。

 

聞かなかった風にスルー。

 このやり取りも、何だか酷く懐かしく感じた。

 

 

「空、ですか?」

 

「うん、本物を見たのは初めてだけど、これが空なんだよね?」

 

 

 タマモの向こうに見える、際限無く広がる澄んだ水色。

 01で表わされた天井に近い、けれども力あるそれをじっと見つめる。

 

 タマモは微笑んで、頷いた。

 

 

「はい、此処はセラフの外ですから」

 

「……やっぱり」

 

 

 掌を握り、開き、身体の調子を確認する。

 

 

「――っと」

 

「ご主人様!?」

 

 

 立ち上がろうとして、早速足がもつれてしまった。

 タマモに窘められながら、今度は彼女に支えられゆっくりと身体を起こす。

 

 

 ――――瞬間、目に映る風景に息を呑んだ。

 

 

「こ、ここは……?」

 

 

 豊かな緑。

 小高い丘から見下ろす景色は、そのほとんどを草原が埋める。

 

 遠くには――集落と言うのか、酷く時代錯誤を感じる藁作りの家がポツポツと。

 まるで千年も前にタイムスリップしたと勘違いしてしまう程、違和感のある世界観。

 

 

 これは、どういう事なのか――

 

 

「……あの、ご主人様」

 

 

 眉を八の字に曲げて、隣に立つタマモが自分を見上げる。

 

 困惑した面持ち。

 しかし、何処か嬉しそうに口元を緩めて。

 

 

「此処が何処なのか、解ります?」

 

 

 首を振る。

 ただ、電脳世界と比べて心地良いと――何となく思っていた事を口にした。

 

 

「あはっ、それは宜しゅう御座いました♪」

 

 

 頬を染めて、嬉々とした表情を浮かべるタマモ。

 何故喜ぶのか、そう疑問を持った矢先に彼女は続けた。

 

 

 愛嬌の溢れた顔で、悪戯っ娘の様に微笑んで。

 タマモはピンと耳を張り、眼下の景色に目をやった。

 

 

「此処は平安末期。ぶっちゃけ私の故郷ですよ、ご主人様」

 

 

 

 

 

Fate/extraSS

『もう少しだけと、願った狐』

 

 

 

 

 

「え……?」

 

 

 耳に届いた言葉が脳内で二度三度、意味を咀嚼しようと繰り返される。

 

けれども、余りにも現実離れした内容は唖然とした表情を作ったまま、一向に元に戻らない。

 

 

 平安末期。

 玉藻の前の生きた、遥か昔の世界。

 

 

「タマモ、一体どうして――」

 

「はいはい、ご主人様の疑問は疾うに承知しておりますから、まずは腰を下ろして落ち着きません?

 摘まみ物ならありますので、小腹を満たしながら整理を致しましょう」

 

 

 のんびりと変わらない口調でタマモは言う。

 言われるままに草の上へ座ると、彼女も姿勢を同じくした。

 

 突如、背後からの物音に慌てて振り向くと、

 

 

「はい、御苦労さま」

 

「狐?」

 

 

 二匹の狐が、頭を垂れる様にしてタマモの前に現われる。

 何処で覚えたのか、頭上には大きな葉っぱを皿にして果物や木の実やらが乗せられていた。

 

 タマモはそれらを手に取ると空いた頭を撫でてやり、狐はこの場を去っていく。

 

 

「えへへ、パシリにしちゃ上々ですね」

 

 

 碌な親玉ではなかった。

 

 

「ではご主人様、些かお行儀は悪いですけど、食べながら現状把握といきましょう。

 あ、これなんて水々しくて美味しそうな果肉……ん〜、酸っぱい!」

 

 

 緊張感もない駄狐、とは言うまい。

 彼女の性格について突っ込むのは、最早今更であるのだから。

 

 

 頬を押さえるタマモに習って、自分も同じものを口に入れる。

 電子の世界の食べ物より、歯応えが妙に感じ取れた。

 

 美味しいと呟き、傍らに寄り添うタマモが顔を綻ばせる。

 

 それだけの仕草で、心が簡単に満ちていく。

 

 

 

 

 そよ風が緑を揺らし、心地良く吹き付ける。

 

 視線を遠くに向けながら、少しずつタマモは語り始めた。

 

 

「……ご主人様、これ、多分私のせいです」

 

 

 身体を見て下さい、と手を差し出すタマモ。

 此処に来て触れるのは二度目だが――確かめる様に触れ、ある事に気付く。

 

 

 それは、ほんの少しの違和感だけど、

 

 

「……リアル、なのかな」

 

「はい、正真正銘、私は人の身……じゃなくて、狐の身として現界しています」

 

 

 ふわりと尻尾が左右に動く。

 

 確かに、言われてみると何処となく“そこ”にタマモを感じ取れた。

 それに合わせて、自分の身体にも目を向ける。

 

 

 データとして生まれ、消えていった身体。

 血の巡りが、心臓の動悸がはっきりと伝わって来るこの肉体は、明らかにセラフの時とは違っている。

 

 

「ご主人様も同じく、です。

……ほんと、聖杯って凄いですね」

 

 

 感心した様にキャスターは互いの身体を交互に見つめる。

 

 聖杯。

 その一言が、引っかかった。

 

 

「あはっ、私も聖杯の中に入りましたから。

 詰まりそう言う事ですよ、ご主人様」

 

 

 何が、詰まりなのか。

 

 聞くまでもない。

 これは――――タマモの願った結果なのだ。

 

 

「願いは無いって言わなかったっけ?」

 

「甘いですっ! そうは問屋が下ろさないのが世の常、人の常、狐の常ですよ!」

 

 

 言うが早いか、タマモは待ったましたとばかりに力説する。

 あんまり大声もどうかと思ったが、彼女が楽しそうなので仕方なしに横槍は収めた。

 

 

「だって〜、私ってばご主人様に仕えてからまだ一月半くらいじゃないですかぁ。

 愛妻弁当も、初夜の、こう、蜜の溢れる語らいも――告白イベントだけじゃ物足りませんって! 良妻狐だけに!」

 

 

 何を想像しているのか、クネクネと悶えるタマモ。

 胸を突いてくる人差し指が、非常にくすぐったい。

 

 

「あれ……タマモ、満足していた筈じゃ?」

 

「そりゃ、最後までご主人様の側にいる事ができたのは嬉しゅう御座いますよ?

 けど愛が、ラブラブ度が不十分と言いますか……」

 

 

 タマモ自身、この願いに驚いているのか。

 どうにも戸惑った風に、タマモは視線を彷徨わせる。

 

 

「ご主人様が消えるその時まで、玉藻の前は仕える事が出来ました。

 それで、本当は満足なんです。いえ、満足する筈だったんです……」

 

 

 でも、とタマモは否定して口を噤んだ。

 言葉は続かず、沈黙する。

 

 その先を口に出す事を……タマモは恐れていた。

 

 

 

 

 ――――もう少しだけ、共に歩みたいと思ったのか。

 

 

 嬉しくないと言えば、嘘になる。

 

 人に尽くしたいと生まれ、人ではないとした理由で都を追われ。

 それでも人間という生き物に惚れてしまった彼女に、自分だってどうしようもなく惚れている。

 

 そんな愛らしいタマモと同じ時を過ごせるのなら、それはどんなに素晴らしい事か。

 

 

 トワイスの作った戦争の火種を消し、聖杯を封印し、タマモと共に自分を助けてくれた彼女をセラフの外へと送る事を願った。

 そうして消滅する傍らで、タマモがまだ尽くしたいと、こんな自分と一緒にいたいと無意識にも願ったのだろう。

 

 それを、聖杯は叶えてしまったのだ。

 

 

 

 

 愛おしいと思う気持ちとは裏腹に、背筋が震える。

 

 生きる。

 その事実は、とても重い。

 

 

 自分は消える瞬間、歩んできた道を振り返り満足していた。

 

 七人の命を手に掛け、迷いながらも最後まで戦い抜いた聖杯戦争。

 その結末は、自分には不釣り合いなくらいに悔い無く幕を閉じられたのだ。

 

 

 そして死んだ矢先、与えられた新たな命。

 肌を通る空気、口に残る触感が、如実にリアルを脳に伝える。

 

 生身で降り立った、遠い過去。

 なまじデータとしてしか生きた記憶がないために、堪らなく不安になってしまう。

 

 

 ――それを、タマモは機敏にも感じ取ってしまったのだろう。

 

 

彼女の心情を表わす様に、力なく尖った耳は垂れていた。

俯いて顔は見えなくとも狐だけに解り易いなと、そっと撫でてやる。

 

 

「ひゃっ!?」

 

 

 耳は弱いらしかった。

 

 

「……」

 

「ご、ご主人様?」

 

「迷惑じゃない」

 

「――っ!」

 

 

 びくりと、怯えた表情を見せるタマモに言ってやる。

 

 撫でている耳の代わりに、尻尾が空を向いた。

 大妖怪、神様でもあるタマモなのに、それと同時に彼女は一人の少女の様に愛くるしい。

 

 

「不安なのは隠せない。

 けど、隣にはタマモがいる。タマモと二人で生きていけるなら、心配事なんて比じゃないから」

 

 

 そうだ、と改めて思う。

 一体、何を当惑する必要があるのだろうか。

 

記憶のない自分? 科学技術の無い時代に生きる事? それともこれ以上“生きる”事か?

 

 

 違う。

 胸を満たしている気持ちは、もっと別の――

 

 

「タマモと同じ時を過ごせる。一緒に歩んでいけるんだ」

 

 

 問題など何処にも無い。

 あるのは光ある道、寄り添って彼女と進む先。

 

 

 あぁ……それは何て、希望のある未来だろう。

 

 

 

 

 タマモと視線が交錯する。

 顔を真っ赤にして、小さな唇が徐々に縦に開いていき――

 

 

「きゃあああああ――っ!! プ、プロポーズキタ――――!!

現界して早々とは些かご主人様の愛情を見くびっていたかもしれません、狐的に!!」

 

 

 従来通り、シリアスな空気をぶっ壊してくれた。

 

 

「こんこん、あぅ〜」

 

「やだ、眷属達にも聞こえちゃって……えへへ」

 

 

 先程の狐が再び顔を出し、喝采を送る。

 狐相手に照れるのは、側で見ると実に珍妙な具合だった。

 

 暴走にも慣れたもので、隣でブンブンと尻尾を振り回すタマモを余所に、これからの事を思案する。

 

 

 日が傾くのはまだ大分先だろうけど、此処は平安時代。

 自分の感覚、常識を頼りにするのは心細い。

 

 身体の感覚も機能し始め、攫う風は少し冷たい。

 野宿は危険だと結論を下して、上着に手を掛けボタンを外した。

 

 

「ご主人様? 何故服を脱いで……はっ、ま、まさか此処で契りを!?」

 

「はい、タマモ」

 

「きゃああぁっ!! 狐的にはバックが好みぃ――――って、あれ?」

 

 

 外気に触れる素肌を隠す様に、タマモの肩へと学ランを被せる。

 

 自分と比べて、タマモの服装は露出が多い。

 せめて少しでも冷えないためにと、タマモにしては大きめのそれを与えてみたのだが、

 

 

「うぅん、ちょっと汗臭い?」

 

 

 鼻が利く娘は御不満だったらしい。

 

 

「あそこに見える村、行ってみない?」

 

「受け入れてくれますかね? 耳と尻尾は隠すとして……派手な服装はNGかと」

 

「ならタマモを一旦置いて一人で行こうか」

 

「何言ってるんですか、ご主人様の格好も十分奇抜です。

もう生地とかオーパーツ物じゃないですか。下手したら身ぐるみ剥がされて――却下ですね、ご主人様を襲うのは私以外に許せませんし」

 

 

 遠くに映る村落を指差すも、状況は前途多難。

 

 どうしようかと首を捻った所で、タマモがお札を取り出した。

 

 

「まぁ、外見を認識されない様な呪術はありますので、御心配には及びませんが」

 

「いや、在るなら早く――」

 

 

 言ってくれ。

 そう口にする前に、クシャミが出る。

 

 寒い訳ではなかったが、どうやら思考と身体に微妙に差異があったらしい。

 それにしても、服を貸した手前にこれでは格好も何もあったものでは無いと思う。

 

 

「もう、ご主人様ったら!」

 

 

 頬を膨らませて、タマモは怒った。

 

ぐいっと引っ張られる身体。

見ると、タマモが片腕に抱きつき、隙間の無いくらいに密着されていた。

 

 

 柔らかい感触に頭へ血が上る。

 加えて――――毛皮に包まれた様に、身体が暖かくなっていく。

 

 

「ちょ〜っと歩きにくいですけど、構いませんよね、ご主人様?」

 

 

 上目遣いで訊いてくる彼女を、断れる男はおそらくいない。

 当然、自分もそっぽを向いて頷くのが限界だった。

 

 

 

 

 坂道へと足を踏み出す。

 

 聖杯戦争を終結させ、無へ帰る直前まで至った自分。

 それでももう少しだけ、歩む事は出来るらしい。

 

 

 ――他でもない、愛しい彼女と共に。

 

 

 

 

 頭を傾け、肩に乗せて来るタマモ。

 

 耳元で囁く言葉は、顔を合わせずとも――

 

 

「ご主人様、現の世で……また宜しくお願いしますね♪」

 

 

 幸せそうに微笑んでいるのだと、隣を歩くタマモの心を映してくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小説

 


キャスターENDは綺麗に終わっていますし、タマモ自身も満足した終わり方でしたが……物足りないと言うか、もっと幸せにしてやってもいいじゃないか! と思わずにはいられない。可愛いから余計に。

そんな感じで書いたSSですが、変にシリアス短編で自己満足的なSSな気も……まぁ、衝動に任せて執筆したので反省はしてない。

 

以上、お目汚し失礼致しました。最後に、タマモSSが増える事を願って――