――Story after 2 years

 

 

 

 

 

 

Side・空の境界】

 

 

 

 自分宛てに届けられた、白い一通の便箋。

 

 窓から照り付ける日差しをシャッターで遮り、椅子に深々と背を預ける。

 煙草を咥えながらに目を通して――蒼崎橙子は、その口元を薄く綻ばした。

 

 

「おい、幹也。橙子の奴が笑ってるぞ」

 

「……本当だ。何か良い事でもあったんですか、所長?」

 

 

 式の言葉に、仕事中の幹也が顔を上げる。

 

 昨年に付き合い始めたにも関わらず、特に進展が見られない二人。

 橙子としては、ネタが枯渇気味なために何らかのアクションが欲しかったのだが、

 

 

「ふふ……いや、何。琥珀から近況報告を貰ってな。

 内容だけに、不覚にも頬を緩めてしまったのだよ」

 

「琥珀……あぁ、遠野の使用人か」

 

 

 アイスを掬いながら、式が思い出した様に呟いた。

 

 遠野。

 式自身にも、多少ばかしの因縁はある。

 

 

「それで何て書いてあったんです? 彼ら、元気にしてますか?」

 

「まぁ、ボチボチと言ったところだろう。今年の夏も無事に過ぎたらしいしな。

 ……時に黒桐、一つ質問があるんだが」

 

「何です、急に改まって……」

 

「――――式と子作りする気は、まだ無いのかね?」

 

「「ぶっ!」」

 

 

 脈絡の無いいきなりの発言に、両者噴き出す。

 

 咳き込んだ式の背中を叩く幹也。

 冷や汗を垂らして、恨めしそうに橙子を睨む。

 

 

「……その反応からすると、未だに手は出していないのか。

 ちっ、これでは何年後になるんだか。……黒桐、私は我慢弱い。半年で式を身籠らせろ」

 

「しょ、所長。それは無茶振りですよ。

 ……というか、また何かの悪巧みですか?」

 

「馬鹿者。これは列記とした、次世代に繋がる実験だ」

 

「実験?」

 

 

 子供、実験。

 法的にアウトな連なりに、幹也は橙子の意図を掴めない。

 

 冗談で済ますには、橙子の表情は微笑んでいる事すれ真剣だ。

 

 

「七夜、浅神、巫浄の血を受け継ぐ子と、両儀の跡取り。

 退魔四家の血を巡らした人間となれば、潜在能力もかなり面白い事になるだろう」

 

「はい? ……えっと、それって」

 

「年下に遅れを取っている場合ではないぞ、黒桐。

 まぁ、私としては退魔と人外、その矛盾を孕んだ子供にも興味は尽きないがな」

 

 

 くっくっ、と忍び笑いを漏らす橙子。

 

 

 幹也の記憶では、あの三人はまだ籍を入れてはいない筈。

 男一人に女二人という時点で法律上認められないが、だからこそ彼はどうするのだろうかと。

 

 責任はしっかりと取るように。

 目蓋を閉じて年の近い苦労人を思い浮かべながら、幹也は深く嘆息した。

 

 

 

 

「――し、師匠! それって本当ですか!?」

 

 

 バンッと扉を開けて入って来たのは黒桐鮮花。

 その後ろには、薄紫の長髪をポニーテールに結わえた藤乃の姿。

 

 

「買出し御苦労。遅かったな」

 

「夏休みですから子供達が多くて……って、それよりも!」

 

「あの三人の事か? 御めでたい筈が、やけに突っ掛かるじゃないか」

 

「だって、二ヶ月前に私と会った時は何も変わりはありませんでしたよ。

 一言もそんな話は出なかったのに……もう! やっぱりケチですね、七夜さんはっ」

 

「そうは言ってもな……」

 

 

 橙子と比べ、割と頻繁に鮮花は彼らと会っている。

 その鮮花に何の連絡も無い事に、本人は腹を立てている様だが――

 

 

(おそらく、七夜自身の預かり知らぬところだろうな)

 

 

 それなりに律儀な彼からでなく、琥珀から手紙が送られて来たのがその証拠。

 もっとも、鮮花の立腹は連絡云々だけでなく、

 

 

「むぅ、少し狙ってたのに……好敵手足る立ち位置の私では不利でしたか」

 

「あ、鮮花……アキ兄さんに迷惑掛けちゃ駄目だって」

 

「……人の彼氏を見るとどうも対抗心が出るのよね、私」

 

「はぁ、鮮花の将来が心配だよ……」

 

 

 寝取りだけは止めようね、と友人の性格に頭を痛ませる藤乃。

 彼女も従兄同様、人生の半分は苦労に悩まされていそうである。

 

 

「兄さんもこれで落ち着いてるし……はあぁ、どこかに彼女持ちのいい男、転がって無いかなぁ」

 

(駄目だこいつ、早く何とか……しなくともいいか)

 

 

 そう思った橙子だった。

 

 煙草を灰皿に押し付け、席を立つ。

 もう一度だけ便箋を手に取り、橙子は文字を追う。

 

 

 

 

 ――取り敢えずは、一段落か。

 

 

 暫くしたら、三咲を訪れるのも悪くない。

 蒼崎橙子は人体複製を可能なまでにした稀代の人形師だが、人が生命を作り出す神秘の素晴らしさも知っている。

 

 引き出しの奥に折り畳んだそれを静かに放り、鮮花と藤乃に声を掛けた。

 

 

「二人とも。帰って早々に済まないが、今から買い物に付き合う気はあるかね?

 あの三人への祝い品だ。まともな物を選ぶとなれば、私一人では荷が重い」

 

「あ、それなら私も……ほら、鮮花も行こう?」

 

「……し、仕方ないわね。こうなったら驚く奴を贈ってあげるんだからっ」

 

 

 そっぽを向いて頷く鮮花に、橙子は苦笑する。

 

 いつまで続くかは分からないが、こんな日常も退屈しない。

 世間から身を隠した自分の周囲に、これ程人が集まるのもそれは可笑しな話だが。

 

 

 

 

「あの……師匠」

 

「ん?」

 

 

 橙子が財布を探す傍ら、鮮花が調子を落とした声で訊ねた。

 

 

「私がこういった……お嫁に行ったり子供を産んだりする時も、師匠は祝ってくれますか?」

 

「……」

 

 

 その問いの意味するところ。

 

 

 

 

「師匠は、生粋の魔術師なんですよね?」

 

 

 鮮花の視線。

 そこに含まれたものを読み取った橙子は――

 

 

「暇にならない限りはな。そして、今のところ此処を離れる予定は無い」

 

「そ、そうですか……」

 

 

 素直に喜ばないのは、聡明さ故からか。

 魔術師というものを理解し始めた鮮花にとっては、橙子の在り方は根拠が無く懐疑的だ。

 

 

「そうだな――」

 

 

 理由は、おそらく言っても解るまい。

 

 それでも、一応は口にしてやる。

 

 

 ――解ける事の無い、謎掛けみたいなその答えを。

 

 

 

 

「“この世界”の私くらいは、君等の側に居てやってもいいだろうとな。

 ただ単に私はそう思っただけだよ、鮮花」

 

 

 聞いて眉をひそめる弟子に微笑んで、蒼崎橙子は夏の繁華街へと足を向けた。

 

 

 

 

 

 

SideFate/stay night

 

 

 

 中東の、古びた宿の一室。

 老朽化した扉が開き、一人の女性とその従者が現われる。

 

 

「先輩、無事に終えてきました」

 

「全く……姉妹揃って肝が据わっているとはな」

 

 

 赤い外套に守られる様にして姿を見せるのは、桜とセイバー。

桜は淡いピンクのスカートを揺らしながら、部屋で帰りを待っていた人物へと抱き付いた。

 

 

「酒場のマスターから情報ゲット。これで、明日にでも依頼を果たせますねっ」

 

「そうか。サンキューな、桜。

 あそこの店主はどうにも警戒が強いから……うん、助かった」

 

「えへっ、色気に勝る武器はありませんから」

 

 

 あ、でもボディタッチはさせてませんよ。

 そう慌てて言い直す桜に、士郎は複雑な心境の中、曖昧な笑みを浮かべる。

 

 桜と出会ってから約二年。

 あの弱々しい女の子が、良くもここまで力強くなったものだと。

 

 

「成長して嬉しい様な、危険も増えて悲しい様な……やっぱり素直には喜べないな」

 

「ならば、貴様が間桐桜を巻き込まなければいいだけの話であろう?

 人形師の依頼を受けた後、躊躇なく女性を頼るとは……情けないぞ、小僧」

 

「む、仕方ないだろ。俺が行くと、多分荒事に為りかねない。

 それに桜がいてくれれば、依頼の成功率だってずっと上がるんだ」

 

 

 イリヤの為にも。

 そう言って士郎は、己の拳をじっと見つめる。

 

 士郎の義姉である、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。

 聖杯の器足るべくして作られた彼女の身体は、もう持たない。

 

 

「アキが人形師に仲介してくれて、遠坂と桜が協力してくれる。

 俺一人なら最初から躓いていただろうけど、何人もの力が集まれば全然難しい事じゃない」

 

 

 築かれた人脈は、剣を鍛つ事しか出来ない士郎にとって宝にも似た大切なもの。

 全てを救う“キリツグ”になる為に――士郎は全てを頼るのだ。

 

 

「……ふん、まぁいい。

 それで貴様の首尾はどうなのだ? 彼女を働かせておいて、自分だけのうのうと帰って来たのではあるまいな?」

 

「二カ所、奴等の拠点を叩いたさ。投影魔術も使ってないから、変に噂される事もない」

 

「……ほぅ」

 

 

 セイバーが目を細める。

 

 

 魔術師の鉄則、神秘の秘匿。

 人の輪に入るのなら、敷かれた規則を遵守する。

 

 それが、衛宮士郎が己に打ち込んだ一つの縛り。

 

 

「という事は、予め投影しておいた一対の夫婦剣――刃を潰した――だけで制圧したか。

 ……それなりに、力が身について来たようだな」

 

「な、何さ? お前が褒めるなんて気持ち悪いぞ」

 

「戯け。これを賞賛と取り浮かれるな、底が知れる」

 

 

 厳つい面を作り、士郎を睨むセイバー。

 

 

「聖杯戦争では出会わなかったが、いずれ貴様も――彼女と逢う事になるだろう。

 その時に恥じぬ様、地力は付けておかなければなるまい」

 

「運命か……何か、俺達には似合わない言葉だけどな」

 

 

 士郎の疑問を、セイバーは一笑に伏す。

 

 一を捨て、九を救い上げて来た。

 この世界の衛宮士郎は全てを救う等と、未だに息巻いている。

 

 

 現実も見れない餓鬼か、それとも――

 

 

「先輩。ライダーを通して姉さんと連絡、取り終えました。

 明日の昼には私達と合流するから、さっさと休んでおきなさいって」

 

「よし、なら俺達も寝るとするか。セイバー、見張りは――」

 

「あ、あの、先輩っ!」

 

 

 士郎の言葉が、桜の強めの語気に遮られる。

 

 スッと立ち上がり、俯いてベッドに腰掛ける桜。

 それだけで、士郎も察した。

 

 

「あ……そ、そうか。

 セイバー、悪いけど……」

 

「仕方あるまい。今晩は外にいるとしよう」

 

 

 背を向けて扉に向かうセイバー。

 背中越しには、微かな熱気が漂っている。

 

 少しだけセイバーが振り向くと、そこには既に桜の唇を奪っている士郎の姿。

 ……まだ部屋を出ていないというのに、随分と手慣れたものである。

 

 

 

 

「あぁ、小僧。もう一つだけ忠告し忘れていたんだが――」

 

 

 びくりと、後方で震える気配。

 

 早くも二人の世界に没入していた士郎と桜は、この雰囲気の最中で声を掛けたセイバーに驚いて、

 

 

「性感染症には気を付け給え。どうにも貴様は危機感が足りぬ様なのでな」

 

「セ、セイバーさん……。大丈夫ですよ、私と先輩は」

 

 

 何を今更、と頬を少し膨らませる桜。

 士郎の身体に隠れながら、顔を赤くして怒る様は可愛らしい。

 

 

 しかし士郎の恋人として幸せに浸るその表情も、そう長くは持たなかった。

 

 

 

 

「勘違いするな、間桐桜。

 ――――私が言っているのは、今朝の女との行為の事だ」

 

「えっ?」

 

「ば、馬鹿、セイバーっ! ――うぐぅ!?」

 

 

 呻く士郎。

 一瞬にして首に伸ばされた桜の手に苦しみながら、セイバーに怨嗟の目線を送る。

 

 

「て、てめぇ……い、いつ見てやがった」

 

「ふっ、凛から監視を頼まれているのでな。ここ最近の貴様の行動は七割方押さえていると思え。

先は剣の腕が上がったと言ったが……三日で女を、しかも魔力を持つ女性と関係作れる様になったとは――あぁ、そちらの方も褒めてやろう」

 

「せ・ん・ぱ・い〜?」

 

「ち、違……これは……」

 

 

 ミシリミシリと鈍い音。

 桜から段々と、ドス黒い気配が漏れ出していく。

 

 

 対魔術師や死徒に対して、士郎の劣っている点は魔力量から為る持続性。

 

 如何なる投影魔術でも焼き切れない様に回路を鍛える事は出来ても、魔力の絶対量は士郎だけでは仕様も無い。

 故に、多くの魔術回路を持つ女性とお近づきになり、惚れさせ、パスを繋げる事は一つの対応策でもあるのだが――

 

 

「この間も余所の女に手を出したばかりで……ねぇ、先輩。女の人の気持ち、考えた事ありますか?」

 

「ある訳なかろう。でなければ十九人の女性と――いや、今朝のでちょうど二十人目か。

 たった二年でそれ程に食い散らかす男に、そんな思慮など持ち合わせておらんよ」

 

「……あは、あはは。二十人……私と姉さん、イリヤちゃんにセラさん、カレンさん……。

 あれ、先輩? 後の十五人って誰ですか?」

 

「お、落ち着け桜。これは“キリツグ”になる為の必要な事で……ぐっ、そ、そこは……。

 セ、セイバアアアァァァッ!! てめぇも見てないで助けろよ、助けて下さい!!」

 

「――ふんっ」

 

 

 服を脱がされ黒い十字架に磔にされた士郎を一瞥し、今度こそ退出する。

 

 とんだ女垂らしだが、士郎は二年前にセイバーの理想を打ち砕いた。

 圧倒的な実力差の中で、己の想いを吐露しながらに一太刀、致命傷を浴びせたのだ。

 

 

 

 

 過去の衛宮士郎を殺すのではなく、見届ける事。

 その行為はどうも、羨望の念が時々胸の奥から湧いてしまう。

 

 だから、これは八つ当たり。

 

 

 胸を張って理想を追い続けられるであろう、この世界の衛宮士郎への取るに足らない悪戯だ。

 

 

 

 

「――――理想と女を抱いて、溺死しろ」

 

 

 腕を組み壁に身体を預けながら、

 

 セイバーは桜の責め苦に喘いでいるであろう士郎を脳裏に浮かべ、深く長い溜め息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

Side・月姫】

 

 

 

 カーテンの隙間から漏れる陽光。

 何度になるか分からない寝返りを打った遠野志貴は、漸く目蓋を開けて身を起こした。

 

 女の子の気合いの入った叫び声が、外から聞こえる。

 

 

「……またやってるのか、あの二人は」

 

 

 朝っぱらから、と思いながら時計に目を映すと、短針は疾うに天辺を回っていた。

 

 午後の三時。

 どうりで腹が減っている訳である。

 

 

 隠す様に下半身を覆っていた毛布を剥ぎ、傍らに置かれていたトランクスを履く。

 Tシャツを取りながら窓の外を覗いてみると、屋敷の庭で戯れる二人が予想通りに拳を交わしていた。

 

 

「――お姉ちゃん、覚悟!」

 

「そろそろ決着付けるわよ、都古っ」

 

「ハッ、うりゅうばん打っ――――!!」

 

「いったあああぁぁぁ!?」

 

 

 見事な手刀に爪先を抱えてのたうち回る少女。

 遠目から眺めていた志貴も、その一撃に鳥肌を立てる。

 

 勝ち誇っているのは、有間の長女である都古ちゃん。

 長期休暇の間は遠野の屋敷に住み付くため、志貴にとっても嬉しい限り。

 

 

 そして対戦相手であるもう一人の少女は――

 

 

「くぅ……やっぱり向こうの身体の様には動かないわね」

 

 

 

 

 ――――幼児退行した、アルクェイド・ブリュンスタッド。

 

 

 都古よりも小さい背格好で、痛めた個所を擦りながら草の上に寝転んでいた。

 

 

「……結構経つけど、未だに慣れないなぁ」

 

 

 呟いて、志貴は着替えを済まして部屋を出る。

 

 現在のアルクェイドは、意識の残骸で動いている人形に過ぎない。

 本体は千年城で鎖に縛られ、吸血衝動を抑えた眠りへと入ったのだけど――

 

 

「流石は先せ……師匠のお姉さんって事なのかな」

 

 

 詰まりは、弓塚さつきと同じやり方。

 もっとも、アルクェイドの方は強過ぎる吸血衝動故にもう本体に戻る事は出来ないのだが。

 

 

 ナイフは常に身から離さず。

 ポケットにある感触を確かめて、志貴は彼女の騎士である事を自覚する。

 

 白き幼姫とレン。

 そして家族を守るために、志貴は長き旅路を終えて此処にいるのだ。

 

 

 

 

 廊下を渡り、台所へと足を向ける志貴。

 秋葉がいたら即退散……そう小言の煩い義妹に若干の恐れを抱きながらそっと顔を出す。

 

 

「――シオン?」

 

「む、漸く起きましたか、志貴」

 

 

 エプロンを装着し、お玉を片手に料理に奮闘している錬金術師の姿。

 側には料理関係の本が付箋もそこそこに開かれており、かなり真面目に取り組んでいる事が伺える。

 

 シオンが料理。

 いつもは琥珀とアキ、さつきが分担して行うそれを、シオン一人とは珍しかった。

 

 

「起こしてくれれば手伝うのに。

 というか、隣で寝てたんだから声を掛けてくれても良かったんじゃないか?」

 

「三度は肩を揺らしました。それでも眠っていたのですから、私に非はありません。

 ……それに、私も起床したのは昼過ぎでしたから、その……」

 

 

 余裕は無かったのです、と顔を染めてシオンは言う。

 

 秋葉か翡翠に現場を押さえられたのか。

 もし押さえられていたのなら、シオンの焦り具合も頷ける。

 

 

「あー、確かに昼まで一緒に寝てるのがバレたら、色々と不味そうだ」

 

「そうなのです。どんな在らぬ想像を掻き立てられるか……全く、この私とした事が」

 

「で……結局のところ、秋葉達には見られたのかな?」

 

「そこはご安心を。リーズバイフェが上手く誤魔化してくれた様ですから。

 ……まぁ、彼女の追及もそれは面倒なものでしたが」

 

 

 やつれた様な顔付き。

 呑気に寝ていた手前、少し罪悪感に苛まれる志貴。

 

 どうしたものかと辺りを見回し――

 

 

「そう言えば、何でシオンが一人で料理しているのさ?」

 

「え……あぁ、それは料理担当の三人が朝早くから出掛けているからです。

 代理としてアーチャーに任せられていましたので、マスターである私も手伝わなければと思いまして」

 

「そっか。なら、暇だし俺も手伝うよ」

 

「よ、宜しいのですか?」

 

「はは、いつも時間を持て余してるしこのくらいは……」

 

 

 大袈裟に驚くシオンに、志貴は苦笑いを返す。

 

 

 屋敷の中で、志貴には明確な役割は無い。

 それは同居人であるシオンやゴドー達も同じだが、志貴と彼らは違う。

 

 遠野家の一員としてアキや翡翠、琥珀が各々仕事を持っているのだから、志貴も何かやらなければと思うのだが、

 

 

「……碌に学校も行ってないし、戦闘技能以外はからっきしだからね」

 

「そんな事を悩んでいたのですか、貴方は?」

 

 

 呆れた風にシオンは言うが、志貴にとっては真剣な事。

 料理や掃除なら人並みに出来るが、秋葉が遠野の長男としてそれを許さない。

 

 優しげに、兄さんは気を遣わなくても良いのですと。

 気持ちは有り難いが、そんな訳で今ではアキと琥珀が紹介してくれるアルバイトが労働を味わうオアシスとなっている。

 

 

 志貴の心境は、身近なシオンも十分に解っている筈。

 

 

 しかし、

 

 

 

 

「――――志貴、貴方には貴方しか出来ない役目があるではないですか」

 

 

 何事でも無い風に、首を傾げながらシオンは紡いだ。

 

 

「俺にしか?」

 

「はい。志貴は七才の頃からずっと、世界を旅して回って来た。

 ――強くなるために、そしてそれが果たされたからこそ、此処に帰って来たのでしょう?」

 

 

 守る。

 それこそが遠野志貴に課された使命であると、まるで志貴を称える様に。

 

 

「ならば、平常時は堂々と身体を休めていれば良いのです。

 事実、貴方は半月程前にもこの町を守り、元凶に刃を突き刺した」

 

「シオン……」

 

「――――と、言うよりもですっ」

 

 

 途端、シオンがズイっと志貴に迫る。

 

 穏やかな口調から一転。

 怒りに満ちた、阿呆な子を叱る感じに額に血管を浮かばせて。

 

 

「仕事に悩む前に、人間として志貴は女性関係を配慮しやがりなさい!

 真祖に使い魔、秋葉に翡翠に都古……そして私っ。昨晩営みをした本人が言うのもあれですが、少々手を慎む気はないのですか!?」

 

「い、いや……でもほら、ちゃんと最低週一は相手をしてるから――」

 

「そういう問題じゃないでしょうが―――――!!」

 

 

 溜まっていた鬱憤を捲し立て始めたシオンに、漸く地雷を踏んだと悟った志貴は急いでその場から撤退する。

 

 エーテライトに捕まったらお終いだ。

 蜘蛛の如く空間を縦横無尽に使い、シオンの魔の手から必死に逃げる。

 

 

 そうして思う。

 

 

 有間の叔母さんに頼み、暫くは向こうの家に泊めて貰おうと。

 帰って来たリーズさんにどんな眼で見られるかも分からないし、本気で身を隠していようと。

 

 シオンの怒声を背に、リビングを颯爽と駆け抜ける。

 

 

その刹那。

テーブルの上に置かれた紙切れが志貴の瞳に映る。

 

 丁寧な字は、おそらくアキか琥珀のもの。

 志貴は少しだけ立ち止って、その内容に目を走らせ――

 

 

 

 

「――――」

 

 

 笑った。

 

 元に戻して走り出す。

 有間の家から戻ってきたら、アキに一つ頼み事が増えたなと思いながら。

 

 

 

 

 ――『故郷へ、墓参りに行ってきます』

 

 

 七夜志貴と七夜アキハの生まれた地。

 子供の頃のおぼろげな記憶と、忘れられない綺麗な月夜。

 

 

 そんな想いを馳せて――

 

 

 

 

「計算――通りですっ!!」

 

「なっ!?」

 

 

 琥珀お手製の落とし穴に、志貴の身体は呑み込まれた。

 

 

 

 

 

憑依in月姫no外伝

最終話

 

 

 

 

 

「ふぅ……疲れたぁ」

 

「さっちゃん、ちょっと体力無さ過ぎじゃない?」

 

「家でいつもゴロゴロしてるせいだろ、絶対」

 

 

 早朝に屋敷を出発し、九時間くらい交通機関で移動していただろうか。

 終点の駅を降りてから大分歩いて――

 

 

「だ、だって〜。うぅ、人間の身体って不便だよぉ」

 

 

 息を切らした弓塚を引っ張り進むのは、緑の豊かな田舎道。

 夏の陽射しが照り付ける中、汗を拭って足を進める。

 

 

 七夜の里。

 

 

 誰の人目に触れる事無く朽ちていたその地を、一通り整えるだけに凡そ一年は費やした。

 

 遠野家を完全に離れて、という訳でなく、近くの民家に長くて一カ月程滞在。

 その繰り返しのため、時間が掛かってしまったのは仕方ない事なのだが。

 

 

「キャスターさんの空間転移があればなぁ……」

 

「あはは……確かに、それがあれば随分と楽だけど」

 

「……わざわざ呼び戻すのも気が引けるしな」

 

 

 三人揃って溜め息を吐く。

 

 神代の魔術を駆使するキャスター。

 彼女がいれば、里の片付けも大分楽になっただろう。

 

 

 しかし、キャスターはもう遠野の屋敷にはいないのだ。

 

 

「上手くやれていますかね、キャスターさん?」

 

「自称演技派とか言ってたし、便りが無いのは忘れる程に夢中になってる証拠だろ」

 

 

 弓塚が橙子さんから無事に肉体を与えられ、普通の少女として過ごせる様になったのを境目に。

 ――キャスターはこちらの元を離れ、冬木の地へ移り住む事を決意した。

 

 失敗したら帰って来ると、そう言ったキャスターからは音信不通。

 今頃は柳洞寺で新婚生活を送っているのではないかと推測してみる。

 

 

「アサシンの奴も、弓塚の使い魔を飼い慣らして旅に出たし……」

 

 

 仮にも英霊が自分探しの旅とは如何なものか。

 本人の経歴を考えれば、解らない願いでも無いけれど。

 

 

 従者二人が消えた遠野の屋敷は、それでも未だ賑やかだ。

 

 半年に一度は弓塚を監視に来ると言ったシエルは、三ヶ月毎に会いに来ている。

 士郎や凛、鮮花や藤乃も、時々三咲町まで訪ねてくれる。

 

 

 

 

 そう。

屋敷はまだまだ、騒がしい。

 

 

「あっ、もしかしてあそこじゃ――――わぁ、凄い!」

 

「壮観だな……良く一人で出来たもんだ」

 

「ふふ、植物の世話は得意ですから。

二人に驚いて貰っただけでも、頑張った甲斐がありましたね」

 

 

 鬱蒼とした林、七夜の里へと繋がる入口に、

 

 

 

 

 ――――横一杯に広がる、向日葵の花。

 

 

 眩しさに目を細める。

 夏の太陽に照らされた、一面を埋め尽くす黄色が自然と笑みを浮かばせる。

 

 

「前に俺が来たのは……そうだ、琥珀が種を植えた時だったか」

 

「はい、アキさんにはお墓の方をお願いしていましたから、後は私に任せて下さいと……」

 

 

 一陣の風に、麦藁帽子を押さえる琥珀。

 涼しさを感じさせるそれに、髪を、リボンをなびかせながら琥珀は口元を綻ばせた。

 

 

 ――その仕草に、思わず見とれる。

 

 

「アキさん?」

 

「……綺麗だな」

 

「え?」

 

「い、いや、こう……向日葵と一緒に映るとさ」

 

 

 呟いた言葉を、頬を掻いて誤魔化す。

 素直な感想も言えないヘタレであった。

 

 

「あはっ、ありがとうございますね」

 

「……」

 

 

 琥珀相手には、照れ隠しも大した意味はないんだけど。

 

 

「アキ君がお墓で、琥珀ちゃんがお花を?」

 

「そうだな。まず里を見つけるまでが苦労したが、それ以降は骨探し。

琥珀は荒れた土地を少し手直しして……その結果だな、これは」

 

 

 向日葵を見つめる弓塚に、同じ方向を向きながら言葉を返す。

 

 

「奥の方に苗木と膨らんだ地面があると思うが……そこに、七夜の人達を埋葬してある。

 全員分って訳にはいかなかったが、根気良くは探したからな」

 

 

 肉が削げ落ち、白骨化した遺体を拾い集めて。

 願わくは、祖母や両親の遺骨もその中に収まっていて欲しい。

 

 

 よし、と隣の弓塚が肩を張る。

 何やら気合いを入れて――嬉しそうに、墓のある方へと歩み出した。

 

 

「ちょっとご挨拶してくるから……琥珀ちゃんも一緒に行く?」

 

「うぅん、私は一足先に済ませちゃったから」

 

「なら私一人で。少しの間、二人はここで待っててね」

 

「……ご挨拶?」

 

 

 変な物言いに疑問に思うも、弓塚から返って来るのは緩んだ顔。

 相変わらず、頬っぺたが柔らかそうな奴であった。

 

 

 弓塚の後ろ姿を見つめながら、自身も亡き七夜の人達に掛ける言葉を考える。

 

 純粋な七夜でなく、また魂を取っても七夜のものでは無い。

 そんな人間が掛けられる言葉は――

 

 

「まぁ、冥福を祈るくらいか」

 

 

 安らかに。

 積み上げられた暗殺者としての七夜の歴史は、そこで永劫に眠るのだと。

 

 志貴も自分も、一族の復興なんて事は頭に無い。

 ただ此処は――――七夜の生き残りとして、ケジメを付ける場所なのだから。

 

 

 

 

「……ねぇ、アキさん」

 

「ん?」

 

 

 不意に、ともすれば風に掻き消えてしまう程の囁き声。

 

 

「……」

 

 

 何も言わず、琥珀は体を寄せて腕を絡めた。

 

 その表情は恥ずかしさに染まる事はない。

 むしろ、そこに見えるのは陰りの色。

 

 

 ……最近の琥珀は、時々こうして沈黙する。

 

 

 何を思っているのか。

 瞳を合わそうとすると避けられるため、こうして突っ立っている事しか自分は出来ない。

 

 

「……――です」

 

 

 しかし、地形効果の所為か。

 今日はその先を、心中を明かしてくれるらしい。

 

 

「……怖いです、アキさん」

 

「怖い?」

 

「はい……幸せ過ぎて、私は逆に怖いんです」

 

 

 顔を埋める。

 普段は滅多に見せる事のない、琥珀の弱さ。

 

 

「アキがいて、さっちゃんがいて……屋敷は明るくて、こうして好きな人達と一緒にいられる」

 

「今まで苦労したからな。いい事じゃないか」

 

「……こんな私が、だよ?」

 

 

良い事であれ、悪い事であれ。

 琥珀の口調が変わる時は、何かしら心が揺れている時。

 

 

 今、傍らにいるのは遠野の琥珀ではなく――

 

 

「家が滅んで、感応能力目当てに引き取られて……何度も、犯されたのに」

 

 

 ――琥珀、なのだ。

 

 

「だから、これが夢みたいに思えるの。

 朝起きたら、こんな幸せは何時か醒めるんじゃないかって……」

 

「……なら、これからは手を繋いで寝る様にするか?」

 

 

 琥珀の口が止まる。

 恥ずかしい台詞は勘弁だが、今は琥珀以外に聞かれる事もない。

 

 彼女との間柄、このくらいは言葉にしてもいい筈だ

 

 

「そうすればほら……醒める時も一緒だし、不安も和らぐだろうと」

 

「もうっ、そこは“幸せは嘘じゃない”とか“なら確かめるか?”と言って抱きしめたりするところですよ、アキさん!」

 

「え……す、すまん」

 

 

 元に戻られた。

 

 心情を打ち明けたのを少し気まずそうに、琥珀はジト目で睨んで来る。

 

 

「それに、アキさんと手を繋ぐだけでは不足です。

 そんなので不安を消し飛ばそうなんて甘々ですっ」

 

「……ぐっ」

 

 

 突っ撥ねた言い方に、精神的ダメージを。

 

 女の子一人の不安も打ち消せない。

 本人から言われて、男として結構ショックが大きかった。

 

 

 

 

 ――が、次の瞬間にスッと指が絡められる。

 

 

 掌から伝わる独特の安心感。

 こちらの考えを見越した様な、透き通った綺麗な琥珀色の瞳を向けて、

 

 

 

 

「だから私を――うぅん、私とさっちゃんを一杯、一杯愛して下さいねっ」

 

 

 向日葵の様な、満面の笑み。

 頬を紅く染めた琥珀に、耐え切れずに顔を逸らした。

 

 

 こんな笑顔で、こんな事言われたら――

 

 

「お、お前……そ、そんな恥ずかしい事良く言えるな?」

 

「ひ、向日葵パワーです! 育て親は私ですから――そ、そう、元気を貰えるんですよ!」

 

 

 流石に琥珀も恥ずかしかったのか、彼女は帽子を深く被り直す。

 腕にくっ付いたまま、顔を完全に隠した琥珀を恨めしく思いながら、

 

 

「――――ありがとうな、琥珀」

 

 

 万感の想いを、口にした。

 

 

「えっと、七夜の里の事ですか?」

 

「全部だよ。七才の、琥珀が八才の時から一緒に居てくれた事、全部に」

 

「――っ」

 

 

 バッと顔を上げる琥珀。

 何かを紡ごうと、その口が動くのも束の間、

 

 

「おまたせ! ……って、二人ともどうしたの?」

 

「さ、さっちゃん!? えっと、これは――」

 

「気にするな、弓塚。琥珀が立ち眩みしただけだから」

 

 

 よいしょっ、とそれらしい声を掛けて肩を支える。

 

 弓塚が戻って来るのは、視界の端に映っていた。

 だからこそ、あのタイミングで言ったんだが……

 

 

(これ以上可愛い顔されたら、色々と抑えきれないし)

 

 

 琥珀の心情は知れたのだ。

 追々、不安も何とかして消していこう。

 

 

「アキ君、お参りは?」

 

「ん……いいや、沢山の向日葵を見れたから、これでいい」

 

「ふぇ、そうなの? ……じゃあ、もう帰る?」

 

「そうだな、腹も減ったし駅まで戻るか。

 ――うん、作戦は帰りの汽車で、駅弁食いながら考えるか」

 

「作戦?」

 

 

 琥珀の不満顔、弓塚の呆けた顔を見て、最後に夏の空に目を映した。

 

 

 

 

 この空を見上げたのは、ずっと昔。

 綺麗な満月の夜から、この物語は始まった。

 

 

 

 

「墓参りが終わったから、次は弓塚の母参りってな。

 ……ほんと、そろそろ社会復帰も真剣に考えた方がいいんじゃないかと」

 

「え……えええぇぇ――――!! ちょ、ちょっと待ってよ、アキ君!?」

 

 

 

 

 名は七夜アキハ。

 七夜と浅神の血を継ぐ、中途半端な能力持ち。

 

 

 

 

「わたし、琥珀ちゃんと一緒にアキ君に永久就職する気だったんだよ!?」

 

「弓塚だって家族と会いたいんじゃなかったのか?

 社会に戻ったところで、別に俺や琥珀と会えなくなるわけじゃないだろ……そりゃ、少しは寂しいが」

 

 

 

 

 月姫、空の境界、そしてFate/stay night

 琥珀と弓塚を連れて駆け回り、結局、ほとんどの騒動に巻き込まれてしまったけれど、

 

 

 

 

「むぅぅ、そうじゃなくて……こ、琥珀ちゃん!」

 

「そうね。これ以上は隠さない方がいいかも……」

 

「な、何だ?」

 

 

 

 

 描いて来た終着地点は今此処に。

 次元を超えた長き旅路は、漸く一つの終わりを迎えた。

 

 

 安全運転なんかじゃ決して無くて、その実、何度も死に掛けて、

 

 それでも三人で歩いた道は――何物にも代え難い。

 

 

琥珀とさつき。

 二人がいたからこそ、自分もここまで駆け抜けられた。

 

 

 

 

「その……何だ。

二人のどちらを選ぶか、優柔不断で悪いけど……だが、ちゃんと結論は――」

 

「あはっ……実はそういう問題では無くてですね」

 

 

 

 

 そう、これで一つの区切りが出来る。

 

 前の世界の自分でも、七夜と浅神の血を継ぐ子供でも……そして七夜アキハでもなく――

 

 

 

 

 ――――これからは“遠野アキ”として、己の人生を歩んでいこう。

 

 

 

 

「二人同時に責任を取らなきゃ不味いんですよ、アキさんっ」

 

「わ、わたし達のお腹の赤ちゃん、アキ君がお父さんなんだからね!」

 

「……は、初耳じゃねぇかあああぁぁぁ――――!!」

 

 

 

 

 “七夜アキハ”の物語はこれにて閉幕。

 

 

 

 

――――夏色に輝く向日葵畑に背を向けて、

 

笑みを零す二人を見ながら、新たな問題に遠野アキは頭を抱えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

憑依in月姫no外伝

Fin

 

 

 

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後書き